20 お屋敷にはビリヤード
1512年4月12日
「ビリヤードってありますよね」
「まあこの屋敷にも何台かありますからね」
平凡な一日が今日も始まる。
実は昨日4月11日は、和庭園で花見が行われていたが、今回はばっさり割愛する。
昨日の花見は、本当に何事もなく終了した。何事もなく。良いね?
今は執務室にいる。執務室で作業をしながら、秘書班の面々と雑談に花を咲かせていた。
ビリヤード台といえば、かつての家にこそなかったが、中学の部活の中に、ビリヤード部が存在した。
部員はあまりいなかったが、毎年コンスタントに3,4人が入部する部活だったらしい。ビリヤード場は学校になかったので、卓球場にビリヤード台を置いて練習したり、近所の高校のビリヤード室を借りて練習を行っていたらしい。
といっても、友人にビリヤード部員がいたわけでも無いので、ビリヤードに関しては知らないことのほうが多い。ただ打つだけならそれ程知識はいらないが、あった方が楽しいだろう。
「そもそも、ビリヤードってどこ発祥でしたっけ?」とまあこのレベルの知識なのだ。
卓球やサッカーの歴史は朧げながらに知っているが、ビリヤードがいつどこで生まれたのか、元ネタとなるスポーツは他にあったのか、それすら分からない。
「ビリヤードは、日本語で玉突きと言われている事からもお分かりかと思いますが、その起源は結構古く、紀元前500年頃にまで遡ることができます。発祥地については、中国説、フランス説、イギリス説、スペイン説などがあり、詳しくは分かっていません。現在のような、長方形のテーブルを使うようになったのは、イギリスの話のようです」と、大塚さんが返答した。
へえ。日本生まれの僕に分からない事を平然と返答する皆さんに、毎回感謝せずにはいられない。大塚さんが引き続き説明を続ける。
「なおスペインには、ビロルダと呼ばれる競技がかつてあったようで、どうやらこれが『ビリヤード』という言葉の原型だそうです」
「そんな語源があったんですね」
ビロルダがビリヤード、か。桜の坊がさくらんぼになったようなものか。
「意図して省かない限り、よほど基礎的な語彙でない限り、必ず何らかの語源というものは存在するものですからね。現代ではそれが散逸していることも珍しくはありませんが」
「語源を大切にしつつ、新しい意味を使い続けられると良いですね」
本来の意味が顧みられなくなっている語彙とかも多いが、それも臨機応変に新しい意味と古い意味が使い分けられるとなお良いだろう。
「全くです」と、これは瀬戸さん。彼女の一言で、一旦語源の話には終止符が打たれた。
で。
「確かビリヤード場があったと思うので、そこに行くことにしましょう」
「それがいいですね」
ビリヤード談義にその後も花を咲かせていたら、ビリヤードをしたくなってきたので、ビリヤード場に移動することにする。
さて、お屋敷といえばビリヤード、ビリヤードといえばお屋敷である。お金を持っている人の趣味といえばビリヤードと相場は決まっている(偏見)。
この屋敷にも、その法則からもれずビリヤード場を設置してある。ビリヤードを楽しみたい時は、球戯場や遊戯場が各所に配置されているのでそれを使えば良いが、今回は、本棟179Fにあるビリヤード場を使うことにする。
ビリヤード台にも二種類あるのはご存知だろうか。まあこれも先程の会話で仕入れた知識で、どうやらそれは「キャロム」と「プール」に大別されるらしい。
ボールを当てるか、はたまた落とすかの違いなのだそうだ。恐らく日本で普及しているのはプール型の方だろう。実際、この屋敷にも、球戯場の方にはプール型しか置いていない。今からゆくビリヤード場の方は、キャロムもプールもあるので、双方の違いに注目しても面白いだろう。と。
「さて、着きましたね」
たっぷり遊んでゆく事にしよう。
「っと、ほい」
カンカンと音をたて、球が矢継ぎ早に穴に落ちてゆく。ついに、ふた付きするだけで、全ての球が落ちるようになっていた。
「すごいですね。本当尊敬してしまいます」
「もったいないお言葉です、マスター」
もちろん、今ビリヤードをプレイしていたのは僕ではない。プレイしていたのは大塚さんだ。
ビリヤードには、精神力は勿論のこと、ある程度の体格は必要不可欠なわけだが…あいにく、僕はそれに耐えうるほどの体の大きさを持ち合わせていなかった。
「マスター、打たれますか?」と、ここで瀬戸さんが声をかけた。
「あいにく、この体なもので」
「では、こんなのはいかがでしょう。マスター、キューをどうぞ」
「え、はい、有難うございますってうわぁ!」
瀬戸さんはキュー(球を打つ棒)を僕に持たせると、そのまま僕の脇腹に腕を通し持ち上げた。視界が見る見る上がっていく。
そして視界が上がるのをやめ、ある一点で安定した。それは、僕が普通見ている視界よりも30cmかそれ以上に高いものだった。
「こうすれば、広いテーブルを自由自在に使うことが出来ます。いかがでしょう?」
「いや、確かに便利ですけど、この絵面は少々問題ありますよ」
背後に立たれるのを嫌う狙撃手もいるが、今の状態では背後180度がまるまるとられてしまっている。
「でも、この方法は何かと便利ですよ。ビリヤード台も俯瞰的に見ることが出来ますし」と瀬戸さんがこの方法のメリットを力説した。
まあでも確かに、明らかに動きづらそうであるのにも関わらず、この格好は案外と動きやすい。
自分の動こうとした方向を瀬戸さんが感じ取り、そのニュアンスでリアルタイムに動いている。なんかこの体勢、どこかで見たことがあるような、そんな既視感も覚えるが、この状態で少し遊んでみることにする。
「じゃあ、あれに当たりをつけて…ああ、かすりもしない」
「最初は誰でもそんなものです」
瀬戸さんの声が背後から聞こえる。まあ、最初からなんでも上手くいくとは考えないほうが良いだろう。すぐに二球目に手を伸ばす。
「えいっ。とうっ。」
自分の打った球は、何にも当たらず、ビリヤード台を転がり続ける。そしてついに、
「とうっ。…ああ、打った球がポケットに入ってしまいました」こうなってしまった。
ここまでくると最早ノーコンといって差し支えないだろう。何を隠そう、球技という球技は僕は全て苦手だ。卓球は満足に打ち返せず、サッカーやハンドボールは、走っている間に体力切れが起こり、いざ手にしても見当違いの方向に行ってしまう。バスケットボールに至っては、走りながらドリブルすることさえかなわない。
「結構マスター、体を使う系統のスポーツはお得意じゃないですよね…失礼ながら」
田名川さんにもこう言われてしまい、僕はビリヤードは諦めると同時に、少しずつ時間を使って練習していくことを誓った。
そして僕がおかれているこの体勢、どこかで見覚えがあったような気がしたが、あれだ。クレーンゲームとかに似ている。クレーンに担がれている荷物だ。
僕は今確かに、瀬戸さんというクレーンに全体重を預けていた。本家のクレーンゲームのように落ちそうな気配が全く見えないのが救いだろうか。
「すみません、降ろして貰えますか?」
「私はもう少しこの体勢のままでいたいですが…仕方ありません」
そう言うと、瀬戸さんはゆっくりとかがみ込んだ。それに伴い、視線もごくごくゆっくりと降りてゆく。そして、かがみ終わった後も、暫く解けなかった。それを田名川さんが解いて、事なきを得たが。
かん ころん
そしてゲームはまだ続いている。そんな彼女達を見ながら、その奥にダーツ盤が有るのに気付いた。
「こんな所にダーツ盤なんてありましたっけ?」
「まあ、半分インテリアのようなものですね。どうですマスター、一投しますか?」と、田名川さんが返した。彼女の手にはすでにダーツの矢が2,3本あった。まあ、ビリヤードで不完全燃焼した気持ちを落ち着けるためには、一投しても良いだろう。
「じゃあ、そうします。」
そういって、矢を受け取る。すると、突如ダーツ盤が回りだした。
「あれ、ダーツ盤って回りましたっけ?テレビ番組の企画とかだとときどき見ますけど」
「まあ、そういうものだとお思いください。一種の運試しってやつですね」
運試しか、そういうのも悪くない。ラフにフォームをとり、5mほど離れたダーツ盤に、軽く狙いをつけて軽めの矢を投げる。
そして矢は緩めの放物線を描き、無事にダーツ盤に張り付いた。
「とりあえず当たってよかったです。得点は…線の上ですね。勘定できそうにないです。」
「マ、マスター…これ、点数3倍ですよ」
どうやらとんでもないような所に当たってしまったようだ。
「…一応もう一度やってもらって良いですか?」
そう言って、瀬戸さんからダーツの矢をもう一本渡された。そして瀬戸さんは、ダメ押しと言わんばかりに回っているダーツ盤をさらに3倍ほどのスピードにまで加速させた。
…速すぎてもはや何色なのかも分からない。そんなダーツ盤に圧倒されそうになりながら、それでも緊張したところであまりいいフォームにはならないので、リラックスしてもう一打投げる。どうにかダーツ盤には当たり…
「…今回の得点も3倍です。つまり60点です」
またしても高い所に偶然当たってしまった。
「実はマスター、運はかなり良いんじゃないですか!?」
田名川さんが、多少の驚きを持ってそう言った。
「そうかもしれないです。…こうして第二の人生を、しかも無制限で歩めているのはまず間違いなく奇跡によるものでしょうし」
今自分がここにいる事の奇跡を感じつつ、一日が過ぎていった。
いつもお読み頂き有難うございます。
次回更新は5/3を予定しています。




