18 桜観察
1512年4月3日
「桜が開花し始めましたね」
「そうですね、というかそれ私のセリフなんですけど」
平凡な一日が今日も始まる。
ここは和庭園。この家の庭は、和庭園と洋庭園に分かれている。
洋庭園にはバラ園や噴水が、そして和庭園には枯山水や鹿威しの他に、桜が一本植えられている。今回は、来るべきお花見に備えて、桜の観察を秘書班の面々とともに行っていた。
さて、昨日降った雨が止み、その雨は土と桜を濡らしていた。土は日光や漆喰光の反射もあり茶色に輝いていて、花びらはまだ一枚も落ちていない。どうやら雨は開花に影響を与えないようで、一安心だ。
ところでこの地方では、東京より少しだけ遅く、この時期に開花し始める。開花と言っても、気象庁なら「開花」とすでに宣言しているくらいの状況だとは思う。
確か気象庁の「開花」の定義は、指定した木に5,6輪の花をつけたら、だった気がする。和庭園の方にある桜の木をそれを踏まえて見やると、すでに結構な量の花が花弁を開いていた。もうこれは三分咲きといっても過言ではないのではなかろうか。
一口に「桜」といっても、その品種は様々だ。
普通、日本人が想像する桜といえば、まあきっとソメイヨシノだろう。北海道や沖縄ではまた変わってくるのだろうが、少なくとも本州に住んでいる人で、ソメイヨシノよりも違う桜の方がよく目にしている、なんて人は殆どいないだろう。
実際、この和庭園の桜も、ソメイヨシノを採用している。普通のソメイヨシノより、少しだけピンクが強いが。
しかし、大橋領内…というより、中島皇国ではソメイヨシノは一般的ではない。と、いうより、全国一様に流通している観賞用の桜はどうやらないようだ。そういう意味では、恐らくこの国で一番大きなシェアを占めているのは、ヤマザクラとか、そのあたりだろう。
「桜はやっぱり俳人を刺激しますね」
「万葉集だと、桜を使った歌はすごく少ないんですけどね」と、小池さんが言った。
確かに、万葉集では梅や萩を称える歌が多いが、桜は少ない。僕もその事実を初めて知った時は驚いた。恐らく、当時の人にとって花は眺めるものでなく、香るものだったのだろう。
そんな事を考えていると、僕も一句詠みたくなってきた。
「春雨に 頬さえぬらす 桜かな」
そんな、何のひねりもない句を詠んだ。雨で輝いている桜を擬人法たとえたものだ。
「マスターらしい句ですね。さすが元文芸部といいますか。」と、これは田名川さん。これは褒められていると解釈しても良いのだろうか。
「有難うございます。ありきたりな言葉選びですけど、それが作風と自負していますので」
「ありきたりだからこそ、万人の心に共感を呼ぶ、という事もあります。とにかく、たくさん作ることが大切だと、私は思います」
「その通りです。あ、お茶はいかがですか?」
藤山さんの声を聞いて右手方向を見ると、いつのまにか彼女はお盆を持っていた。
「あ、ありがとうございます」
お盆には、抹茶が入った湯呑みの他に、中皿が4つあり、そこにお菓子が乗っていた。どうやら飴らしい。一つ、桜をかたどったお菓子を口にしてみる。
その瞬間、優しい甘さが口に広がった。優しい、といってもこれは天然の甘さではない。人工の、しかし儚い甘さだ。
「…これは、有平糖ですかね」
「ご想像の通り、有平糖です。モチーフはご覧の通り、桜になります」
そう、有平糖の魅力の一つは、そのテーマ性のもたせやすさだ。様々な色を付けることも出来、様々な形を取るとも出来る。有平糖は工芸菓子としても最適なのだ。
優しい桃色で色づけられた桜が、口の中ですっと溶けていく。そうそう、この感じ。
「やはり美味しいですね。見た目もきれいですし…と、おや?」
見覚えのある顔が庭を見ているのに気づき、有平糖を味わうのを一旦ストップし、生け垣の向こうを見やる。
「おや、こんにちは。お宅の桜も咲き始めましたね」
生け垣の外から声がした。もしや、この声は…
「あら、こんにちは。主人がお世話になっています」
栄四郎さん一家だった。よくよく見ると、栄四郎さんと苗さん、妙さん、齋一郎くん、冴ちゃんがいた。
「これはこれは栄四郎さんではないですか。人数も多いですし、生け垣越しに話すのも何ですから、皆さんこちらでお茶でもどうぞ」
「良いんですか?では、遠慮なく」
そう栄四郎さんが返したので、門番担当の人が門の鍵を開け、開門させる。
しかしこの門もとても大きい。幅は一枚8m、高さは14mと、侵入するものを拒むほどだ。僕の身長では、扉の中ほど(つまり高さ7mほどのところ)にある取っ手に触ることすらかなわない。
神造人間の皆さんだったら、余裕で飛び越えられるのだろうが、普通の人がこれを飛び越えることは不可能、いや飛び越えることどころか乗り越えることすら不可能だろう。
仮に乗り越えられるくらいの力量を持つ人がいたとしても、門番を担当している人が、侵入者を見つけ次第すぐに、金属製の門に高圧電流を流すので、その時点で門を乗り越える事を諦め、三途の川を乗り越える事を考えないといけないだろう。
そんな事はさておき、このサイズにも関わらず頭のおかしいくらいのスピードで門が開いたので、門の外に行き、栄四郎さんを呼び寄せる。
「さあどうぞ」
「ではお邪魔致します。…しかし素敵な桜ですね。とにかく枝ぶりが良い」
栄四郎さんはそう言ってため息を漏らす。
「うわー、おおきい!」
「そうね、とっても大きい」
姉弟…姉が妙ちゃんで、弟が齋一郎くんである…が、子供らしい素直な感想を漏らす。
「あうあー」
赤ちゃん…冴ちゃんも、桜を見て、何かを感じているようだ。そんな一家の様子は、傍目から見るととても微笑ましい。しかし。
「皆さん、折角ですし、枝や庭を眺めるとより先に、お風呂はいかがですか?上がったら、一杯用意しますので」
「すみません、何から何まで」
「そうと決まれば。御影さん、第三副棟の浴室…いや、娯楽棟のスーパー銭湯まで、皆様をお連れしてください。その後のお世話も…多分銭湯常駐の女中さんたちがいるとは思いますが…お願いします」
「かしこまりました。それでは皆さん、私についてきて頂けますか?」
そういって御影さんが歩き出した。それと同時に、無線機でどこかと連絡を取り合っているようだ。そして、栄四郎さん一家がそれについていく。
さて、少し中世~近代日本の入浴文化の話をする事にしよう。
戦国時代当時、日本では入浴は決して一般的なものではなかった。
当時は風呂に毎日入れる訳ではなく、明治時代に下っても、地方では一週間に一度の入浴などは珍しくなかったという。そして、ここ旗ヶ野は、川から2,3kmと、それ程近くもないため、水は貴重品であり、また燃料代を共有できるお隣さんもいない。
つまり何がいいたいか、というと、栄四郎さん御一行が、あまり清潔そうな匂いではなかった、と言う事だ。
本人に言うことはさすがに憚られるが、僕が不快感を示している事はもうとっくに気づかれてしまっているだろう。もう銭湯は開放しても良いかもしれない。
そして30分後。
髪を湿らせた栄四郎さん一家が、御影さんと雑談をしつつ、上機嫌でこちらに向かってきた。
「いいお湯を有難うございます」と、栄四郎さんが言った。その反応を見るに、久しぶりのお風呂は、さぞ気持ち良かっただろう。
すると、齋一郎くんが、気になることを言った。
「なにあれー?おゆがたくさんあって、はいるやつ、なにあれー?」
…?僕は彼の言っている事が一瞬分からなかった。まさか、お風呂に入ったことが無いのだろうか?まだ子供とは言え、それだけの年月を、川の沐浴などだけで済ませてきたと言うのか?
「あれは、お風呂っていうんだけど、知ってる?」
「おふろ?おふろは知ってるけど、あんなおゆのいっぱいあるおふろはしらないよー?おねえちゃん、しってる?」
「いいや、そんなお風呂、入ったこと無い。私が知ってる、いつも入っているのは、もっとむしむししたお風呂だけど…」
姉弟がいずれも、お湯を張るタイプのお風呂をしらない、と言ってきた。どこかで認識の齟齬が生まれているのか。
「(田名川さん、これはどういう事ですか?)」と、田名川さんに耳打ちした。その質問は想定していたようで、すぐに返事が返ってくる。
「(それはですね。マスターと栄四郎さん一家では、「入浴」の概念それ自体が、少しだけ異なっているんです。
この中島皇国では、水も燃料も貴重で、湯を張ってそこに浸かる事が出来たのはせいぜい温泉地くらいの話なんです。ですので、多くの場合、「入浴」という言葉は、少ない水と燃料で多人数が入ることができる、サウナを意味しているんです。
そのサウナにしたって、結局わりとたくさんの水と燃料が必要だったので、回数は毎日なんてことはなく、せいぜい一週間に一度とかそこらだったんでしょうけど、まあとにかくそういう事です)」
なるほど。サウナが入浴か。そう言われれば、昔古いお寺に行った時、「浴室」というのを見た記憶がある。
その浴室には、確かに浴槽が無かった。見た時はどうやって入浴していたのか、と思ったが、サウナにしていたのか。疑問が解決したので、僕は再び齋一郎くんの方に向き直った。
「まあ、お風呂の仲間みたいなものですね。」
「ふーん、へんなの!」
「でも、気持ちよかったね」
「うん!」
姉弟が笑い合う。平和な家庭だ。
「では、お約束していた一杯ですね。どうぞ」
そう言って、栄四郎さん一家に、一杯づつ渡していった。
今回は、春らしく、梅ジュースをセレクト。まあ、梅の実が食べられるのは、春ではなく夏とか冬だけど、細かい事は気にしたら負けだ。
「ぷはーっ、おいしい!」
「甘ーい!」
姉弟が、一口飲んで感想を漏らした。
「季節外れの梅なんて、こんな贅沢もあるんですね」
「梅酒もありますけど、いかが致しましょうか?」
子供は梅ジュースで十分だと思うが、大人はお酒を飲みたいのでは無いだろうか。
「飲みたい気持ちはやまやまですが、午後にまだ作業が残ってますので、遠慮します。次の祭りまで、まだまだ日数がありますし」と、栄四郎さんが返した。
ああそうか。基本的に、庶民はハレの日(冠婚葬祭などの日)にしか酒を飲めなかったのか。ケの日(普通の日)にお酒を飲むことは、やはり抵抗があるのだろう。
「それは残念。お祭りの時に、またお酒はお出ししたいと思います。田名川さん、こちら、保管庫までお願いします」
「了解しました。…ちょっとお待ち下さい、マスター。少し提案があります」
田名川さんは一旦は梅酒を受け取り、保管庫への移動を受諾したが、すぐにそう言って僕の方へ向き直った。
「提案、ですか」
「ええ。このお酒、次のお花見で空けませんか?栄四郎さんご一家にもご参加いただいて」
田名川さんはそう提案した。
お花見に栄四郎さんご一家を、か。悪くない提案だと思う。ご近所のよしみもあるし、何より楽しいだろう。日頃熱心に働いている栄四郎さんご一家に、羽根を休める機会を設ける事にしよう。
「いいですね。栄四郎さん」
「はい、何でしょう?」
「今度、お花見をこの庭で開くんです。そこに、皆様方にも参加していただきたいと考えています」
「花見、ですか。この桜が満開になったら、さぞかし綺麗でしょうね。有難うございます、是非参加いたします」
栄四郎さんから、二つ返事で承諾を貰った。
「ところで、日取りはいつになるのでしょうか?」と、苗さんが聞いた。
ああ、農作業はお天気が勝負とはいえ、暦もあるくらいだから、先に日程を調整しておかないといけないのか。どうしようかな。
「では、4月11日、つまり8日後の正午からでいかがでしょう?」
「8日後ですか。分かりました。では正午にここにまた来ます」
かくして、花見の日取りが決定した。
ところで。
今回は桜を作ってみた、といっても、桜の花びらではなく、
[桜チップ Lv25
燻製に使う木くず。煙の香りを大幅に良くさせ、そこには一種のアロマ効果さえ生み出す。香りを重視すべきハムなどに最適。]
桜の木の方である。桜の花は、見る以外に商業的価値が見いだせない。それなら、こうした木の方が価値があったりする。後はこれだろうか。
[さくらんぼ Lv16
甘いさくらんぼ。中まで身がギュッと詰まっていて、食べたら病みつきになること請け合い。アメリカンチェリーほど発色が良くないが、その色味が好きな人もいる。みんな違うからみんなよろしい。]
さくらんぼである。さくらんぼは「桜の坊」が語源であるから、もちろん桜の関連物品だ。
後は桜の葉っぱも少し作ってあるが、桜の葉っぱの塩漬けはあんまり好きじゃないんですよね。なのでかなり少量となっている。
そんなこんなで、平凡な一日が今日も終わる。
いつもお読み頂き有難うございます。
次回更新は4/19を予定しています。




