16 ガラムマサラ、シナモンティー
1512年3月23日
「ガラムマサラってありますよね」
「カレーのスパイスの一種でしたっけ」
平凡な一日が今日も始まる。
さて、冒頭からいきなりガラムマサラの話を振ってきたのは、秘書班の大塚さんである。
「あれって実際は辛くないんですよね」
「そうなんですか。確かgaram masalaで、辛いスパイス、だったはずですが」
確か実家にガラムマサラが瓶入りで入っていたはずだ。父が色々なものに振りかけて食べていたが、僕自身は「辛いから」と手を付けていなかった。それが辛くない、とは少し興味深い。
「あれです。確かにgaramには、辛いという意味が入っているのですが、それと同時に、熱いという意味も入っているんです」
「さながら英語のhotですね」
インド・ヨーロッパ語族の片鱗を感じる。しかしインド・ヨーロッパ語族という概念を聞くたびに、インドの言語とヨーロッパの言語が同じ系統ってどういうこっちゃ、と毎回思う。
四大文明の発生地的にも、違う発祥、文明圏の言語でもよさそうな気もする。例えばゲルマン諸語はエジプト文明、インド諸語はインダス文明とか。不思議。
「そうですね。つまりgaram masala は‘熱いスパイス’です」
「それは分かりましたが、何故熱いスパイスと呼ばれるようになったのですか?」
父がふりかけていたガラムマサラは、別に湯気だっていたりはしなかったはずだ。
「これが案外と単純な理由で、製作時に熱を加えるからなんです。原料となるナツメグ、クローブ、シナモンなどを最初に乾煎りするので、熱を持ったままガラムマサラになるそうです」
ほう。とここで、疑問が氷解するとともに、新たな疑問点、というより今まで勘違いしていた点が出てきた。
「え、ガラムマサラって単一のスパイスじゃなかったんですか!?」
その疑問に、大塚さんは少しだけ目線をそらし、またすぐに戻して答える。
「ええ。複数のスパイスを使用したスパイスをミックススパイス…そのままですが、ともかくミックススパイスと言います」
まあ確かにそのまんまです。でもそれが良い。大塚さんが解説を続ける。
「結構この香り、スパイスの香りによって違うんです」
「へえ」
「ガラムマサラについては、私も一言申し上げておきたいです」と、新しい声がした。
どうやらここで調理班岸辺さんの登場のようだ。確か彼女はスパイスの調合を担当していたような。
「ガラムマサラの配合をどのようにするかは、インドでは各家庭によりさまざまですが、今回は前述の3種類とブラックペッパー、ローリエ、それからクミンついでにカルダモンを5:5:5:4:4:1:1で配合しています。あと他にもスパイスを微量ずつですね」
「あえて微量の部分を公開しない理由は?」
この説明はスパイスの教本ではなくただの会話につき、紙面が足りないなんて事はないでしょうに。
「100種類くらい絡んでいるのと、地球名が未だついていない種があったりするからです。あと微量でも劇薬的な効果を発揮するのもあるので、そこら辺は少し公開したくないですね。何かのはずみで大量生産することになったら大変ですし」
なにそれ怖い。
で、ガラムマサラの事を話していたら、少しシナモンティーが飲みたくなってきた。そこはカレーじゃないのかよ、と思われるかもしれないが、少し今日はカレーの気分ではない。
そもそも僕が辛党でない、というのはあるのだろう。辛いものより甘いもののほうが断然好きだ。実際には、「辛党」とは辛いものが好きな人のことではなく、甘いものより辛いものの方が好きな人のことを指すのだが、それを考えても僕は甘党といって差し支えないだろう。
つまり何が言いたいかというと、甘党の僕は、スパイスの話を聞いてシナモンティー…甘いシナモンティーをカラダが求めていた。
シナモンティーをはじめとする味付け紅茶が美味しいのは、467階の第44喫茶室だ。エレベータに乗り、喫茶室に向かう。
本棟467階には、基本的に小会議室が立ち並んでいる。なお、小会議室には、一部屋一部屋、例えば「女中隊第374班12係会議室」のごとく、名前がついており、一班一班に会議室、というより控室が与えられている。
基本的に使用人が非番の時は、彼らは、自らの所属している係に割り当てられた小会議室で過ごしているか、使用人棟の自分のベッドで休むか、はたまた外で遊ぶかしている人が多い。当然、他の班の人や僕と雑談に花を咲かせる者もいるが、とにかくそういった人が多いのだ。
まあとにかく、高層階になるに連れこんな小会議室が増えていく訳だが、そんな中にもこういう部屋は少なからず存在する。この第44喫茶室の隣は第59脱衣所になっており、その隣にも第22球戯場と調香室、フォント製作室などが本棟だけで存在している。
僕が喫茶室に入った時、カウンターこそ全て空いていたが、6つあるテーブルは3つがすでに埋まっていた。この午後の時間帯、夜番の人たちが、非番の時間を利用して雑談や情報交換などをしているのだろう。本当に寝てないですね、この人達。
いくら寝なくても大丈夫なのは冊子でも実感でも確認済みだが、以前そう思った時気になって使用人棟を覗いてみたら、結構な人が寝ていたので、恐らく神造人間にとって睡眠は娯楽のようなものなのだろう。
「いらっしゃいませ。カウンターで宜しいでしょうか?」
「ええ」
そういってカウンターの真ん中の席に座る。そして、カウンター奥にあった小さな衝立のようなメニューを眺めた。
見るとそこには表面には飲み物、裏面にはスイーツや他の食べ物のメニューが記載されていた。珈琲はキリマンジャロにブルーマウンテン、エメラルドマウンテン。コロンビアにブラジル、コナにモカと、普通手に入る銘柄の他に、ブレンド珈琲もあるようだ。
それに、カプチーノ等の派生メニューもある。紅茶も、セイロンにアッサム、ダージリン、アールグレイ等の銘柄に、各種フレーバーなどが選べるようだ。その中には、当然のようにシナモンも入っている。他にもオレンジジュースやホットチョコレートなどが頼めるようだ。
メニューを裏返してデザートメニューを見てみると、ショートケーキやチョコレートケーキ、モンブランなどがあった。後はシュークリームやフィナンシェ等もあり、本当に軽く嗜みたい時は重宝しそう。ご飯ものは、オムライスやナポリタン、バタートーストといった、喫茶店おなじみのメニューが名を連ねていた。その中で気になったのは…これはいいな。
「シナモンティーをお願いします。お茶っ葉はおすすめで。あとほうれん草のクレープを」
シナモンティーは当然だが、今回はお昼ごはんとしてクレープを頼むことにした。
「かしこまりました」
そう言っていそいそと準備を始める。
カタカタという音が響きながら、一人カウンターに座ってじっくりと調理工程を眺める。
紅茶の茶葉は、十分に蒸らした後に、熱すぎず温すぎずのお湯を入れる。適度な時間出した後で、素早く引き抜く。ここで香料としてシナモンをいれつつ、ミルクピッチャーと砂糖瓶を棚から取り出す。うん、完璧と言って差し支えないシナモンティーの工程だろう。
そうやって眺めているうちに、他方ではもうクレープが出来ていたようだ。
「お待たせしました」
カウンターの上にクレープとシナモンティーが落ちる。シナモンティーを啜る事にする。
「うん、おいしい」
シナモンが程よく溶けたシナモンティー。しかも、溶け切らずにかすかに浮いているシナモンが見た目に楽しい。香り高いシナモンの匂いを感じる。
このシナモンが組み合わさって、件のガラムマサラが出来る事を考えると、少しはスパイスの万能性を感じる。
しかし、シナモンの香りが豊かなのはもちろんだが、紅茶の香りの強さも負けていない。シナモンの入ったお湯ではなく、今まさにシナモンティーを飲んでいる事を感じさせる。ところで茶葉は何だろう?セイロンでも、アッサムでも、はたまたダージリンでもなさそうだ。後で聞いておこう。
そしてあつあつのクレープ。日本だとどうしても、クレープというと甘いものをイメージしがちだ。チョコクレープ、バナナクレープ、ストロベリークレープ。
そしてそれらのクレープには、まず間違いなく甘い生クリームが入っている。でも、面前にあるクレープは、ほうれん草が練り込まれた甘めの生地に、ハムが挟まっている。こういうおかず系のクレープは、お昼ごはんの代わりにもなって良いね。
本家フランスでも、こういうクレープは結構普及しているらしい。キャベツやトマトをまいたクレープとか、半熟卵に胡椒を振ったクレープとか。半熟卵の方に至っては、クレープ生地を使っているだけでもう巻いてすらいない。
「こういうクレープもアリですね」
「そう言っていただけると給仕冥利につきます」
給仕さん…というかミストレスさん…第七給仕班3係の北口さん…が少し誇らしげな顔をする。
「いや、美味しかったです。ところで茶葉は何ですか?」
「ダージリンとアールグレイを3:2にブレンドしたものです」
ブレンドか。それで、今まで味わったことのない香りだったんだ。北口さんの答えに、深く納得した。
「なるほど。ダージリンとアールグレイですか。では、これで失礼します。ご馳走様でした」
「またのご利用をお待ちしております」
北口さんに見送られ、第44喫茶室を後にする。
「結構、この業界も複雑なものですね」
折角なので、ミックススパイスについて色々図書棟で調べる事にする。
とにかく図書棟は広い。驚くほど広い。向こう側が余裕で霞むほど広い。
本棟内の図書室がコンパクトに必要なものが収められているのに対し、図書棟はとにかく全部入っている。本棟の図書室に必要なものがない場合、この図書棟から配送されていたりするくらいだ。逆に言うと、見つからない本があっても、図書棟まで行けばまず見つかる。
その中で、スパイスの棚は500坪程を占めていた。といっても、500坪全ての棚にきっちり本が入っているわけではないので、いつまでたってもスパイスの棚が終わらない、なんて事はないが、それでも、ミックススパイスの棚だけで3棚は確保されている。
今回は、その中から「五香粉について」という本(これも当然の如く神造人間製)を読むことにした。五香粉について書き漏らしている情報など無いのではないかというほどの厚みで、なかなか見応えがありそうだ。なお、何人か控えている人がいるので、やや視線が痛い。さて、早速読み始めよう。重いページをめくっていく。
『ウーシャンフェンとは
クローブ、ナツメグ、八角、陳皮、カホクザンショウ、ファンネルを使って合成されるスパイスである。』
いきなり疑問点がわいてきた。明らかに5種類を超えて入ってますよね、スパイス。
『なお、なぜ6種類も入っているのに五香粉なのか?それは、五人揃って四天王的精神…という訳でもなく、ただ中国語で「多い」「複雑」くらいのニュアンスしか持っていないようである。
具体的な数字をもって大きいことや小さい事を表すのは中国語に限った表現ではなく、たとえば「桃栗三年柿八年」なども、数字に具体的な意味はないという。「八百屋」や「八百万の神」という表現から考えても、五香粉という名称が取り立てて不自然とは言い難いだろう。』
ああ、少し納得した。「百貨店」とか「百科事典」とかいう表現の「百」も、ただ「なんでも」というニュアンスで配置された字であるわけだし。
『なお、メーカーや地域によって、他のスパイスで代用したり、全く新しい混合にすることが有る。』
さすが中国クオリティ。そういう地域差も魅力の一つなんだろうけど。
ところで、今回は沢山のスパイスを生産した。
具体的に言えば、シナモン、クローブ、ナツメグ、シナモン、ローリエ、クミン、カルダモン。これらは既に生産してあるスパイスでもあったので、効率は良い。シナモン1.54tで1ec。他のスパイスも似たような数値だったと思う。これを使用して、ガラムマサラを生産してみた。
[ガラムマサラ Lv61 118kg 16ec
香りの引き立つガラムマサラ。品質最高級のナツメグ、クローブ、シナモン、ブラックペッパー、クミン、カルダモンを秘伝の混合で混ぜ合わせ、乾煎りしたもの。少し入れるだけで、インド料理の中身がしまり、引き立つ。料理人必携。]
しかし、飽和状態だった各種スパイスを混合して加工するだけで160kg16ecにまで効率が悪くなったのだから、工業的改良は素晴らしい。例えば、今日追加生産したシナモンはこんな感じだ。
[シナモン Lv61 120t 1ec
旨味の深い、香りが強いシナモン。これでガラムマサラを作るとかなり質の良いものが出来る。お菓子に使うと、そのフルーティーにも感じる味わいが引き立つ。アップルパイとかを作っても、このシナモンを使うとまず失敗せずに作れる。それは、このシナモン自体に魔力的な何かが有るわけではなく、ひとえにこのシナモンの美味しさに、他の失敗点が隠れるためである。]
これを見ても、劇的と言っても差し支えないくらい効率が悪くなっていることが分かるだろう。他にも、ウーシャンフェンの中身もあらかた生産しておいた。結構、クローブとかナツメグとか、カレースパイスと被るやつも少なくないんですよね。
そんな事を考えつつ、平凡な一日が終わる。
いつもお読み頂き有難うございます。
次回更新は3/31を予定しています。




