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ec経済観察雑記  作者:
13/66

9 化学談義と読書

1512年2月27日


 さて、今日は朝から博櫛訪問の大きな成果の一つである「化学大全」を紐解いていく。

 内容は中学理科の導入から、いや小学校レベルの理科(化学だけでなく物理や生物、天文学もだ)の整理から始まっている。今この内容が正確かを判定することは難しいが(それを判断するには僕自身の知識が無さすぎる)、あらゆる実験に基づいたかなり正確性の高い内容…だと思う。


 イラストが多く使われており、非常に見やすい。特に天文学、しかも宇宙工学のような発展的な内容ではなく古典的な天文学に関しては凄い。全天の星座が一つ一つ丁寧に描かれている。

 例えばはと座、かもめ座、ひばり座といった鳥類から、薔薇座、すみれ座、百合座といった花の名前まで、本当に様々だ。当然惑星が違えば宇宙も違う、そうなれば全天の位置関係も異なるわけだから、地球産の知識では絶対に成り立たない。 花の名前で星座を命名するというのもお洒落で良い。少し無理矢理感は強いけど。

 しかし、地球だと星座についての知識はギリシャ系の学問のはずだ。どうやって定義を知ったのだろうか?もしかしたら独自に星座を命名したのかもしれない。本業は技術、工学のはずなのに理科学、特に化学の研究を怠っていない鯛坂さんには頭が下がるばかりだ。

 また仮に独自の命名をしていて、さらに中島内で普及の目をみたら、西洋と東洋で星座の対立がいつか起こるかもしれない。それはそれで命名の歴史の研究する学問が生まれるかもしれない。ところがそうなってくると西洋は多くの偉人に因って命名されたのに対して、東洋は一人の偉人によって…あ、それはそれで比較しても面白い。

 奥付を見ると…この本を印刷発行したのは堀永さんか。堀永さんといえば、大橋城で法案や条約案、法令などの策定をしていたはずだ。公務の合間によくやるものですね。

 印刷業にも手を出しているのか…と思ったが、元々彼女の仕事は書類の作成だ。その線で印刷業にパイプが出来ても決しておかしくは無い。将来の独立や隠居を考えたら、印刷業への転身は合理的かもしれない。

 あとは裏表紙だけだがカラー印刷も採用されている。若干滲みがあり、今後の発展に期待したい所ではある。写真について鯛坂さんに尋ねたところ、

「ああ、写真?写真は今フィルムを試作しているんだけど、どうも上手く行かなくてね…硝酸銀は手に入ったから、また研究を続けることにするよ」との事だ。


 こちらでもフィルムの研究はしたい所だが、如何せん理科に詳しい人が…いるな。神造人間は基本的になんでも出来るが、その中でも専門分野がある。

 例えば青木さんは交渉で黒田さんは事務だ。赤川さんは…確かコーヒーの焙煎とかそのあたりだった気がする。彼等は物覚えもかなり良いので、知識や技術を共有することでさらにハイスペック化させる事が出来る。

 その神造人間の中で理科に関する人といえば、例えば気象班の面々だろう。でもまあ今は特に理科に関する研究は当主として積極的には動かず平和に過ごしていく。そんなに仕事を増やさなくてもちゃんと回りますしね。


 うだうだいったがここは第二図書室だ。図書室といっても中央にある大規模高層独立型の図書館ではなく、本館の中にしれっと入っている図書室だ。確かに蔵書は少ないが、本当に必要な本、本当に面白い本だけが入っていて、かなりお気に入りだ。

 こないだのecの研究で本の装丁のバリエーションを増やしたので、図書の品揃えも賑やかになった。こないだ旧装丁で発行された「紅茶入門Ⅰ」は早くも新装丁で第二版の編集がスタートされている。


「さて。ちょっと本でも造りますかね」

 といっても中身ではなく、外身、つまりは装丁やら紙やらの方だ。今回は前回までの装丁に比べて若干薄い、それでいて触り心地のいいものを…こんな感じでどうだろう。適当にカウンターにおいておく。こうする事で巡回した女中さんが所定の場所に運んでくれる事だろう。


 さて、図書室に引き続きこもり続ける。

 先程飲み干したコーヒーは既に片付けられていて、喫茶室を兼ねる第二図書室付属読書室の入って手前から二番目の机には、何冊かの本と筆記用具、ノート、それからルーペしか無い。

 人は秘書課の人が室外で控えている他、いつもの秘書メンバーは図書室内にいる。田名川さんは家政学、大塚さんは工学、瀬戸さんは心理学、藤山さんは美術の本を読んでいる。非常に集中しているようで、話しかけるのは少々はばかられる。


「あ、いつでも話しかけてくださいね」

 思い出したかのように藤山さんが応える。

 因みに藤山さん、今紹介した四人の中では最も身長がない。第一調理班の元締めを担い、また秘書班を含む女中隊全班を纏め上げる女中長の串岡さんほどではないが。

 串岡さんの身長の低さで思い出したが、串岡さんの管理する厨房の天袋の中には実は殆ど何も入ってない。普通、キッチンの天袋には砂糖や塩の替え、それから乾燥パスタ等比較的日持ちのする食品や普段使わない紙皿等の台所、レジャー用品が入っていると思うが、彼女は天袋に塩や砂糖、ベーキングパウダーはもとより紙コップやストローすら入れていない。

 まあ僕も届かないから天袋にものを入れるときは高い椅子を使うが、そうした手間を嫌うらしい。


 話を戻そう。

 先程の話しかけたい雰囲気に対して藤山さんが返事をしてくれたが、よく考えたら急用など特に無い。空き部屋の使途を秘書班の皆に考えてもらいつつ、「化学大全」を読み進める。


「ほう、デンプンにヨウ素を入れると青紫色になりますけど、それをヨウ素デンプン反応と言うのですか。まあ安直な命名ですけど、分かりやすいですね」

 独り言を呟きながら本を読み進めるのもまた楽しい。しかしこの本、本当にすらすらと頭のなかに入ってきて非常に良い。

 もともと文系の僕ですら頭に入ってくるのだから、言葉の選びかたのセンスには脱帽せざるを得ない。神造人間製の本とアプローチが微妙に異なっていて面白い。単に知識を仕入れるだけなら神造人間製、あるいは鯛坂さん製いずれかだけで十分だろうが、比較検討することで物の考え方を覗い知る事が出来て良い。自然科学的な楽しみだけではなく、文学的にこうした本を読む事によってさらに書物の可能性を広げることが出来る、と僕は常々感じている。

 あ、今、中島には主要な出版社、あるいは著者があんまりいない。戦乱の世では文芸に時間と資金をかける余裕が無いのは大きいだろうが、でも旧宮時代には多くのかな文字文学が栄えたり、さらに新宮あらたみや時代には戦記物語が多数執筆される等、多くの文学が栄えた。

 因みにこの間紹介した「海崎うんざき心中」は平雅へいが時代に書かれた傑作で、現実世界の日本では江戸時代頃にきた心中ものブームを一気に400年程早めた巨匠、竜田たつた畝麻呂(うねまろによって書かれた。この戦国時代に文芸作品が少ないのはあまりに勿体無いことだし、早く平和になって多くの文学作品が生まれて欲しい、とも思う。生活に余裕が出来たら、軍記物語とかも大流行りするに違いない。

 多くの出版社ができて、多くの著者が創作活動に汗を流し、そうして生まれた作品にお金をかける。そんなビジネスモデルが成立するような社会を祈るばかりだ。まあ祈らずともec産品の流通によって若干早める事は出来るのだが。

 具体的には、1次産品の積極的な流通で、これまで農業や漁業をしていた人を小説家や歌舞伎役者などに転身することで、結果として社会全体を文化的活動に注力させる、という方法を使えば良い。

 最も、それによって地域固有の農業文化や慣習風習等が消えていくのは本意では無いし、何より勿体無いので、緩やかにやっていきたいところだ。書籍の円滑な流通のために取次くらいはやっても良いかも。


 化学大全の元素図表に心を奪われつつ、さらに読み進めていく。気になったことはメモできるように、洋紙と、それから鯛坂さんから買い取った万年筆は標準装備だ。墨汁が中に入っていたが、どうも使い辛いので、糊で調整してある。

 糊で調整することで書き味は良くなるのだが、どうも面倒だ。好みの粘度に調整するのにまる一日かかってしまったので、毎回作りなおすのは非常に骨だ。後でインクも作る必要があるかもしれない。

 読み進めるにつれて、どんどんとメモするための洋紙が少なくなっていく。洋紙は束に纏めておくと後々探しやすい。万年筆を洋紙に滑らせつつ、読書は進んでいく。


「マスター、そろそろ正午です」

 大塚さんの一言で、もうお昼になりつつある事に気付いた。「化学大全」を読みながら他の書物も漁っていたら(さすがに化学大全だけ読んでいるのは疲れる)、いつのまにかこんな時間に、という感じである。瀬戸さんも、自らの時計を確認して、軽くびっくりしている。

 お昼ごはんは、第一読書室…砂糖瓶とドリッパーのあるこの部屋は寧ろ読書室というより喫茶室だが…で何か食べる事にする。控えの秘書さんを呼ぼうとしたら、

「伊敷さん、マスターにお昼をお願いします」

「わかりました」

田名川さんが既に人を回していた。さすが秘書班長。


「あの…調理班もここにいますけど…」

と、廊下には調理班の面々も集まっていた。そんな彼女らに、大塚さんが言葉を返す。

「あなた方は前科があるのでダメです」

「前科ってなんですか!ちょっと多く作っただけじゃないですか!」

 こちらはこちらで確執が起こっているみたいだが。

「貴方がた、落ち着いて下さい」

 ハッとした表情で両班が振り向く。


「何があったのかは…まあ大体察しが付きますけど…とりあえずお昼を食べてからでも遅くないでしょう?」

「す、すみませんマスター。つい取り乱してしまいました」

「私もです」

 何はともあれお腹すいた。




「やはり美味しいですね」

 結局伊敷さんがバゲットサンドを作った。後はオレンジジュースをオレンジから絞っている。ストレートのオレンジジュースなんて飲んだことが無いので、少しテンションが上がっている。

 バゲットサンドの中身はローストビーフ。ローストビーフは実はあの悪名高いイギリス料理だったりする。イギリス料理も、よくよく味わうと決して不味いものでも無いんですけどね。

 どうも、イギリス料理がまずい理由に関しては諸説あるらしい。産業革命によるもの、国民性によるもの…後で図書室で調べておこう。


「美味しいなんて、有難うございます」

 伊敷さんはその白い歯をニカッと出して微笑んだ。この爽やかさは鵜飼さんや青木さんに通ずる物がありそう。

「すみません」

「あ、青木さん」

 噂をすれば影だ。図書室のチョコレート色の扉の向こうには爽やかすぎる笑顔を撒いている青木さんが順光で立っていた。




「来月のec産品販売計画なのですが…その前にちょっと気になるデータがありまして…」

「何でしょう?安全性に問題でもありましたか?」

 もしそうだとしたら輸出がはばかられる。


「いえ、安全性には全く問題が無いのですが、食品に関して味についてLvを上げれば上げる程カロリーが高くなる事が判明しました」

 何ですって。それは初耳。って事は、いままで口にしていた美味しい物品は、もの凄いハイカロリー食品だったわけか。少しびっくり。青木さんは言葉を続ける。


「ただ、今までマスターには高レベル品を提供してきて、マスターの健康状態に全く変化が無いのです。恐らく不老不死の能力に体型の維持も含まれていると考えられます。身長も体重も成長しない、ということなのでしょうか」

 なるほど、そういう事か。不老不死というものは、想像していたよりもきっちり運用されているものらしい。


「でも基本的に食品は低Lv品にした方が無難ですかね」

 僕自身に変化がなくても、僕の想定する主な顧客は一般人なのだ。「メタボの主原因は旗ヶ野産産品」とかとなってしまうのはあまり宜しくない。


「ええ。ですがある程度のレベルまでならカロリーに変化が無いことも分かっているので、それを活用するのも手ですかね。後カロリーを減らすような改良を行うのもよろしいかと。」

「分かりました。で、生産計画なのですけれど……米を中心に行きたいと思います。この国の収穫期は、米が実る秋であるため、当たり前ですがこれから秋までどんどんと米の量は大橋領全体で減少していきます。少しでも余裕が有ったほうが良いでしょう。

 それからお茶ですね。カルテル構造にメスを入れたいです」

「ええ、大まかなところはそれで良いと思います。後は低カロリー食材の研究は今すぐ必要ないにせよやっておいた方が良いと思います」

「分かりました。やっておきましょう」


 オレンジジュースを飲みながら答える。ec産の蜜柑、Lv1500の蜜柑で絞ったオレンジジュースだ。これ一杯が何キロカロリーになるのだろう。そんなことを考えながら、曇り一つ無い窓硝子に目を滑らせた。窓の外は寒々しい落葉広葉樹が広がっている。…あれ?確か尾親に行く途中は常緑広葉樹が多かったような…ああ。恐らく栄四郎さんのやった事だろう。

 米の収穫できない状況だと、肥料は金肥に頼るしか無い。恐らく大橋藩内では金肥(汚泥や干鰯等)は比較的安価に手に入るだろうが、恐らくそんなものを買う余裕は無かった、というより現在進行形で無いに違いない。落ち葉を肥料や燃焼剤として利用するために落葉広葉樹に植え替えたのだろう。

 さすが栄四郎さん。それによって冬に寒々しい光景が見えるのはなんとなくアレな気もしますけど。話を戻そう。


「ともかく、来月の販売計画はこれでよいですか?」

 機は熟したと思い、販売計画の紙を差し出す。



=販売計画=

米(Lv2)1万石(1500t)

大麦(Lv1)1000石(150t)

鉄(Lv8)100t

硫黄(Lv2)1t

茶(Lv3)10t




「場合によっては、商品の追加があるとは思いますが、最低限これだけは売る感じで」

 そう付け加える。米価は大橋領内において乱高下する。

価格が安定すればもう少し計画的で豊かな生活を送れよう。出来れば今の米の相場は少し高い(1石1両、すなわち1升で30文)ので、できれば1升20文程度にはしたい。

 あとは硫黄か。あの調子だと硫黄を全部火薬につぎ込みそうな気がするが、むしろゴムの開発もして欲しいところだ。南に進出すればきっとゴムの木も採取出来よう。

 硫黄製品のなかで、忘れてはいけないのが硫酸。硫酸と言うとどうしても危険な薬品としてのイメージが付き纏うし実際危険なのだが、それ以上に工業的には恩恵が大きい。

 メッキをかけたりするのにも使えるし、初歩的な化学電池には硫酸は必要不可欠だ。ボルタ電池のような原始的な電池は勿論のこと、鉛蓄電池のような、現代日本でもカーバッテリーとして使われ続けているような電池にまで硫酸は使われている。


「確かカーバッテリーの補充液って37%硫酸でしたっけ」

「いえ、確かにカーバッテリーの液体の中身は硫酸ですが、その補充液は基本的に精製水です。カーバッテリーの液体量の減少は蒸発によるものなのですが、硫酸は常温常圧下では殆ど蒸発しないので、硫酸を追加する意味がないんですね」と、これは瀬戸さん。そうか、それは勘違いだったか。受け売りには注意しないといけない。


 とにかくそういう訳で硫酸工業を発展させれば火薬以上の効果が狙えるだろう。危険性に関しては、それこそ知恵と工夫でなんとかして頂きたいものである。

 アンモニア工業とかも確立すれば農業で飛躍的な発展が見込まれるが、ハーバー・ボッシュ法について理解している人が多分倉橋さんや鯛坂さんしかいない(僕も未知の領域でしか無い)ので、今は扱わない。

 アンモニアというと、どうしても実験室的な方法が先行してしまうが、ハーバー・ボッシュ法を用いることで、大量生産することができる…らしい。

 アンモニアは人類の生み出した最大の化学肥料だが、個人的な考えでは、肥料の改善は自然由来でやってもらいたい。

 そして茶。茶は大橋領内でのカルテルが激しい。1杯分の茶葉が4文なのでかなり高い。

武士の中には茶葉をecで調達(11ecで300gなのでこれでも結構高い)をするものもいるがそれも少数派であり、独占/寡占市場となっている。現在は茶は富裕層、というより武士だけの飲み物となっているが、庶民への普及を考えればもっともっと価格を引き下げたい物である。


「ええ、とりあえずはそれで調整しておきます。引き続き物価を注視しているので、乱高下、継続的な上昇等あればすぐにご連絡します」

 そういって青木さんが結んだ。細かいところを調整するのは、全てお任せする事としよう。


「ではそれでお願いします」

 会議が終了するとともにお昼を食べ終えたので、そのまま読書を続ける。

 やはり読書は楽しい。読書の欠点を挙げるとするならば、絵面的に映えないところだろうか。後は、この身長だと上の棚まで届かない。下の棚には重い本を置いているので、軽い本…例えば本ではないがレポートだ…を取るときに不便する。えっと、イギリス料理に関する本は…


「どうぞ」

 腕を伸ばそうとしたら瀬戸さんがとってくれた。ちょっと申し訳無さがあるが、それにしてもなかなか器用なことをする。

 先ほどまで両手で読んでいた心理学の本(当然神造人間製。450頁あるが、薄い紙を使用しているので、いわゆる普通の、200頁ほどある文庫本と厚さはそう変わらない)を左手に滑らせたかと思うと人差し指を立て、そのまま本を折りたたみ90度回転させ指を栞代わりにするとともにそれにより空いた右手で危なげなく最上段の「イギリス料理の歴史とイギリス文化」を取り出した。ここまでが0.6秒である。

 かといってキレのある動きかと言えば決してそんな事はなく、寧ろ流動的な動きだ。逆にのんびりした印象さえ与える。いや実際とても速いんですよ、実際。


 レポートを読むのもそこそこに、文学作品に触れてゆく。とりあえず当面は竜田作品を読み進めていきたい。しかしこの竜田畝麻呂、新しさに溢れているだけでなく文学的な才能もある。

 信頼と伝統に基づいた正確な文語文法で書かれていながら、登場人物の心理描写が巧みだ。「娘さん」がいつもと縫い付ける糸の太さを変えるシーンとかは特に「娘さん」の心情変化を伺わせる。

 あと情景描写も巧みだ。富士山(当然日本の富士山とは別だが、こちらの世界でもその美しい山体から神格化され信仰されている。読み方は”ふしさん”だ)に被っている雲でこれからの展開を暗示させるあたり、恐らく竜田畝麻呂は地学にも精通していたのだろう。

 それ以外の描写でも何となく話の節々から竜田が教養人であった事を伺わせる。文学に触れながら、今日も日が落ちてゆく。毎日図書室にこもりっぱなしと言うのもなんとなく不健康な気もしますが、でもまあ地球にいた頃から生活スタイルは大して変わっていない。

 元々インドア派だったので、一日中日の光に当たらない事に関して特に違和感はない。


 こうして、今日は天然の日の光をほぼ浴びないまま日が沈んでしまった。このまま夕食に移行する。夕食の会場は、第二食堂…クラシカルな大食堂である。


 夕飯は3穀ごはん、ほうれん草のお浸し、それから鰆の塩焼き。なんともこの、宮中晩餐会すら何の違和感もなく出来る食堂に不釣り合いに思えるメニューだ。

 ただ、ほうれん草のおひたしは、何の焼き物かは分からないものの品のいい焼き物に盛り付けられていて、他のお皿を含めて、この場所に最大限の調和を図っているように感じる。おそらく調理班だけでなく、美術班も盛り付けに関わっているのだろう。あ、後一品あった。えーと、これは…


樫尾かしおさん、このキノコは何ですか?」

 テーブル斜め前の樫尾さんに聞いた。いかにも時計や電卓に詳しそうな名前だが、彼の配属は公務隊第一農水班(メンバーの増加で農水班は分離され、第一農水班長が全ての農水班を束ねている)山菜係であり、特にキノコに詳しい。因みに好きなキノコは香茸と言う事だ。

 どうやらキノコは香りを楽しむ派らしい。でもそれは分かる気がする。僕も舞茸の香りが好きだ。「香り松茸、味シメジ」というが、実際問題松茸のほうがかなり価格帯が高いことから考えても、人々は香りの方を好むのではないだろうか。


「ああ、それは榎茸えのきだけですね」

「え?榎茸といえば白くて細いあれでは…ああ、そうか。そういう事ですね」

 天然物の榎茸と栽培物の榎茸は色も形もぜんぜん違うんだっけ。どこかの本で読んだことがある。我が家では榎茸といえばまず間違いなく栽培物しか出てこなかったので考えが浮かばなかった。

「そうですね。天然の榎茸です」

「産地は何処ですか?」


 すると樫尾さん、部屋…第二食堂の隅にある書棚から計画地図を取り出した。

「世界地図は…ああ、ここですね。ここで採取しました」

 そういって樫尾さんが指差したのは、明らかにここ旗ヶ野とは違う…もっと北東にある所だ。北東といっても尾親とかその沖合とかそんな近い所では無い。そもそもこの星の広さはまだ正確には割り出せてないとはいえ天文調査によって地球より遥かに大きい事が分かっている。

 180万km位じゃ無いかな、と見積もっているが、重力がどう考えても1Gだったりする。中が空洞なのだろうか?それはそれで星全体の強度的な問題が…話を戻そう。とにかく彼が指差したのは、それこそ5万kmやら10万kmやらのレベルで離れた所だった。


「そんな遠い所まで、よく行きましたね」

「実は、榎茸の旬の問題で、今中島では出回ってないんですね。なのでベストタイミングの所を理科班の地学係と生物係に割り出してもらったら、案の定最高の榎茸がありましたよ」

 ああ、こんな所で理科の効用が。理科、もうちょっと勉強したほうが良いかもしれない。ただどうも文系なので、高度な理科(特に物理)は抵抗がある。その上で、理科的な推論を基にちゃんと現物を見つけ出す迷宮班には脱帽する。


「驚きの行動力ですね」

 まあ、何はともあれ本当に美味しい。ec産品では無いが、旬のベストタイミングを付いた、最高の榎茸だ。まあ天然の榎茸を食べるのがそもそも初めてなので、その影響かもしれないが。

 後地味に美味しかったのが、ほうれん草のお浸し。実は僕はほうれん草よりかは小松菜派なのだが、独特の歯ざわりと絶妙な出汁と醤油が主菜の鰆の塩焼きを引き立てていた。因みに鰆は薄味仕様。後で風味付けに昆布醤油(Lv16,1ml,2590ec)を使用した。そしてデザートは洋菓子だった。洋菓子についての具体的な記述はここではしないが、とにかく美味しかったとだけ言っておこう。


「係長、ちょっと見ていただきたいものが」と、恐らく同じく山菜係の住江さんが樫尾さんに話しかける。

「あ、住江さん。見てほしい物ですね、分かりました。ではマスター、申し訳ありませんが、私はこれにて失礼致します」

 そういって樫尾さんが急いで広げた地図を片付ける。

「はい、お疲れ様です」


 こうして樫尾さんを見送った。樫尾さんは、住江さんのゆく方へ歩いていったが、扉をでようとする時に、ふと振り向いて一言残していった。

「ちなみにマスター、『香り松茸、味シメジ』のシメジは、普通食べられているシメジではなく、ホンシメジの事ですよ。普通のシメジはヒラタケの一種です」

「へえ」




「ごちそうさまでした」

 夕食を食べ終えたら、公務隊は公務に戻る。彼等はかつて22時間労働をしていたが、それでは余りに劣悪すぎるので現在は使用者命令で12時間までに労働は抑えて貰っている。

 それでも深夜ふと起きてみると鉛筆をかりかりと走らせているので、もうちょっと自分の体に気を使って欲しいと思う。まあ彼等不老不死なので特に問題は無いのだろうけど、それでも若干心配である。福利厚生等、もうちょっと使用者側から主体的に休んでもらう対策が必要かもしれない。


 そして浴場に行く。この第二食堂から一番近いお風呂はどこか、と言われれば同じ10階にある第六浴場だ。第六浴場は日本旅館風になっているので落ち着きたい時にはうってつけだ。図ったかのようにちょうど停車した下行きのエレベーターに乗り、暫く歩く。

 そうすると、暖簾が二枚見えてくる。手前の暖簾を潜り、ふと鏡を見る。鏡は隅々まで磨きぬかれ、鱗は1枚も無い。3台ある洗面台も、大理石が一つの傷もなく輝いている。清掃班のセンスと真面目さがよく伝わってくる。もっとも、清掃は清掃班以外も分担して行っているので、実際に清掃班がやったのかどうかは、確認するすべも無いが。

 そして扉を開け湯船に入った。うん。やはりこの感じは落ち着く。


 洗い場を見回すと、まだほとんど使われていない石鹸が4つ配置されている。石鹸でも良いが、シャンプーが欲しい所だ。すと決まれば即実行。

「シャンプーを錬成、改良っと」

 このシャンプーはLv4だが、癖のなく使いやすいシャンプー…にしたつもりだ。微妙にリンスインになっていたりする。

 匂いは爽やかかつ甘めのフローラル。某プライベートブランドのシャンプーをイメージして錬成してみた。


 シャンプーを取り出し、洗髪する。やはり良い。細かい所に感じるシャンプーの優しさといったらない。これだけでもシャンプーを作った甲斐があるというものだ。心なしか髪もさらっとしている。

 髪と体を洗い終えた後、湯船に入る。第六浴場はこの屋敷の中では決して広い方の湯船ではないが、それでも標準的な広さはある。奥行きのある湯船は、それだけでも開放感と安心感は格別だ。1日の疲れを癒していく。

「やっぱりお風呂は良い物ですね」

 ふと振り返った。


「おやすみなさい」

 お風呂から上がり、自室で寝支度をしたら、もう就寝だ。やる仕事は日中に終わらせたり、他の方に投げたりしたので、もう寝て大丈夫なのが嬉しい。

「おやすみなさいませ」

 枕元で控えている塩原さんが返す。

「おやすみなさい」

 平凡な一日が、今日も終わる。


 あ、そうそう。

 今日は栄四郎さんに持っていくための乾燥蕎麦を作っておいた。これで、いつ何時彼にあっても問題なく受け渡せるだろう。あと棕櫚シュロぼうきに改良を加え、棕櫚がちょっとやそっとでは力を入れ続けても曲がらないようにした。1本8700ec。

いつもお読み頂き有難うございます。

次話はとても短いので、すぐ投稿します。


2017.2/1 加筆、硫酸に関する誤りを修正しました。話の大筋には影響ありません。

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