表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

第7章 宮城へ

 数日がたち、始月1日になった。謁見に及第した新人官吏たちが、いろいろなものを抱えつつ、宮城に出仕し、役人、政治家としての第一歩を踏みしめる1日目だ。宮城には午前9時までに行っていればいいので、ウェイリンの場合は、その4,50分前に屋敷を出ればいい。

 ウェイリンは、いつもよりも少しだけ早く起きると、すぐに昨日届いたばかりの女性用の真新しい官服に袖を通した。女性用……とはいっても、ほとんど見た感じとしては、男性用のものとあまり変わるところはないのだが、ごく一部のところで違っているのだ。まず、官位、官職を表す官章が、男性用官服は腰のベルトにつくのに対して、女性用の場合は、ベルトにもつくのだが、もう1カ所、髪をまとめるリボンにもついているのだ。靴も男性用はくるぶしまでの長さなのだが、女性用は丈が長くなって、ふくらはぎの半ばまでをおおう。腰から下も、男性用はズボンタイプなのに対し、スカートのようにふわりと裾が広がっているのだ。

 ウェイリンは、心機一転をかねて、昨夜、肩くらいにまで切ってしまった茶色い髪を、そのリボンにまとめた。ベルトとリボンについている官章が示すものは、小七位だ。それは、彼女くらいの成績で及第した者が、見習いの時にもらえる官位だ。つまり、宮廷謁見に及第し、王の賛辞の言葉を受けた者、ということだ。

 朝食の後、身なりをもう1度確認して整えると、鏡に向かって1つ、うん、とウェイリンはうなずいた。そして、王府屋敷を出る。ウェイリンは宮城まで歩いて向かう。というのも、馬車に乗って出仕できるのは、三位以上の官位、あるいは、特別に勅許を得た人だけだ。騎乗で出仕できるのは、平の官以外の六位以上の官人たち、そして、騎兵たちだけなのだから。ウェイリンは、宮城に向かって通りを歩きながら、朝食の時にボルデア教令卿が言っていたことを思い出していた。

 『……ウェイリン……。お前は、ちゃんと女性用の官服を、選んでおいたのだろうな?』

 と、食堂に入ってきたボルデアは、いきなりそう聞いたのだ。聞いたところでは、一応、女性官吏の官服に限って言えば、中央王府の官吏に限り、男性用か女性用かで選ぶ権利があるのだそうだ。しかしウェイリンには、動きやすさだとかそういう理由で、男性用の官服を着る理由がなかった。そこで、そういったことで女性用の官服を選んだ、と答える。すると、

『ああ……よかった。安心したぞ。』

 と、本当に表情までも安堵したように言ったのだ。ウェイリンは不思議そうな顔をする。システィたちも同様だった。教令卿はそれに気がついて、説明をする。

 『ああ、そうか……。ウェイリンは王府育ちではなかったから知らなかったか……。たまにいるんだよ、うーん、毎年大体2人から3人くらいかな、謁見に及第してきた女性官吏が、出仕初日に男物の官服を選んでしまうっていうことがね。……そういう人は、たとえ宮廷謁見に及第して、陛下からの最上級の讃辞のお言葉をうけていようとも、すぐに他の官吏たちに潰されて、ずっと中央の下級官吏――悪ければ、地方下級官吏、さらには“諦めの大地”勤務の下級官吏だね――にされてしまうんだ。官位にすれば、職分なしのよくて九位、最悪の場合、退職するまでずっと、最下位の十位のままっていう人も珍しくないんだよ。そして、それでも昇進するっていうのは、ほとんどいないって言ってもいいね。』

 『それは一体……、どうしてなんですか、おじ様?』

 ウェイリンは驚きと、同情心と、さらに多少の怒りをこめて、ボルデアに聞いた。そんなことを理由にして、官吏としての昇進を閉ざしてしまうその閉鎖性にまず、彼女は驚いた。そして、道を閉ざされてしまった女性官吏のことをかわいそうにも思い、その人の進むはずだった道を潰した官吏たちに対する怒りもそこにはあった。ボルデア教令卿は、そんな従姪をしばらくの間黙って見ていたが、ようやく言った。

 『自分に自信がない……そう。他の官吏たちに思われてしまったからだよ。……いいかいウェイリン、領主貴族の当主位は別として、中央王府の官吏として、女性が働き始めるようになってから、まだ5、60年くらいにしかなっていないんだ。だからまだまだ、官吏たちの間はおろか、街の人たちの認識でも、中央官職、そして、王府での政は男性のもの……、そういう風になっているんだ。そういう風潮や、意識が未だに根強く残っているんだ。そんな中で、男物の官服を女性の官吏が着てしまうということは、そのことを完全に、全て、受け入れる、ということを外に示してしまうことになるんだ。

 ……ウェイリン……。今から言っておくんだが、官吏というものは、はっきり言って、男だろうが女だろうが、そういうことは一切関係なし、という世界だ。……まあ、さっきはあんな話を出してしまったからね、お前は信じられないかもしれんが、実際そうなのだよ。だから、最低限、自分の性別くらいのことは自信を持っていてもらわなければならないんだ。……まあ、自分自身の選択に自信は持てなくとも。……そうだろうウェイリン?そんな最低限のところにさえ自信をおけないような者が、自分自身に自信をおけるわけもないし、また、そんな人間が官吏として務まるわけもないからね。……まあ、役所というところは、男か女かで分けられることのない、ある意味平等で、またある意味、厳しいところなんだ。』

 1つため息をついてから、さらに続ける。『……そして、さらにウェイリンにはもっと落ち込ませて悪いが、まだ不利なことがあるんだ。お前が、領主貴族の直系長子であり、しかも、当代侯爵、という点なんだ。……まあ、侯爵位を継いだということは、まだ公には伏せているから、“長子”ということで伝わってはいるんだがね。……“領主貴族の直系長子は、領地を継いで、そこの統治に専念しているべき”この風潮は、さっき言った中央官吏のそれよりもさらに数段根強いんだ。……多分、見習い期間中は、かなりの妨害があるはずだ。それに屈してしまうかしないか、そこのところでウェイリン、お前に対する周りの見方も変わってくるだろうね。』

 『……分かりました。おじ様。』

 ウェイリンは静かに言った。ボルデアもうなずいている。……そう、そんなことはとっくの昔に彼女には分かっていたことだ。何しろ、今彼女のいとこ違いが言ったことのいくつかを理由にして、ウェイリン自身も謁見を諦めかけていたくらいだからだ。


 式典が行われる予定よりも15分くらい前に、宮城の大きな城門を彼女はくぐった。及第者任命式典が行われる大儀聖大王殿まではすぐなのだ。何しろ、宮城の大門をくぐった目の前に堂々とそびえ立っている建物こそが、式典の行われるそれなのだから。

 高さは大体4ベイド、つまり、万国量衡にして約7,5メートルくらいある。……幅は、多分10ベイドくらいだろうな……、とウェイリンは思う。そんな大王殿の正面入り口を、10本の太い円柱が支えている。扉はなく、そのまま柱と柱の間から入れるようになっている。……うーん……、ぱっと見にも思ったけど、ずいぶんと高い建物だわね……と、ウェイリンは思った。間近に立ってみると、ただ見上げるくらいでは、頂上が見えないくらいだ。

 そんなことをしながらウェイリンは、大儀聖大王殿に入った。各柱のところに1人ずつ番兵が立っているのがなんとも物々しく感じられた。入ってみて気がついたのだが、とても奥行きがある。席順は、奥から、宮廷謁見及第者、宮廷謁見には不合格だったものの、受験資格有りの及第者、そして、第2試験のみの及第者、となっていた。さらに、その中でも順位によって分けられている。

 ウェイリンは、茶色の大きな目を忙しくめぐらせながら、通路を歩いていく。と、前の方で、クレイ・プリンシェッド・セシュールが、もう席に着いているのに気がついた。同順位及第なのだから、彼女の席は、その近くになるはずだ。クレイはふと振り返って、ウェイリンが歩いてくるのに気がつくと、腰をわずかに浮かせてぱっと小さく合図する。ウェイリンは隣まで行き、座る。

 「いよいよね……。」

 ウェイリンが席についてすぐに、クレイはそれだけをつぶやくように言った。ウェイリンも、クレイが言わんとしていることが何となくでも伝わった。そして、かすかにうなずく。その後は話もせず黙ったまま座る。そうしたままどのくらいたっただろうか、やがて、彼女たちのすぐ目の前、まだ主を迎え入れていない玉座の脇へと、初老の侍従長とも見えるような男が進み出て、

 「国王陛下、出御である!」

 と、高らかに告げる。ウェイリン、クレイたちも含めた全員が立ち上がり頭を下げる。ウェイリンは、頭の向こう側で、国王が出てくる気配を感じていた。


 ブルグリット王国国王にして、シュライフ州大公でもあるジェイラー3世・レッフワード・シュレヴィレンは、玉座にゆったりと着いて見まわすと、すぐに、あの2人の姿を認めた。

 結局、今回の謁見、宮廷謁見の時に、ジェイラー3世が名乗らないうちから、彼がこの国の国王だと見破ることができたのは、ウェイリンとクレイの2人だけだった。言わずとも、見破っていた人もいたのかもしれない。だが、観察力と知識、そして判断力――さらに、これが1番大事なことなのだが――、何事についても憶することなく言える心という、これら4つを持っているかの試験でもあるのだ。これらをあの2人――ウェイリン・テネール・ヴィンドリルとクレイ・プリンシェッド・セシュール――は持っている……、そう彼は思ったのだ。そして、そう考えたからこそ、彼女たちを宮廷謁見合格とし、例の言葉を贈ったのだ。そして、今回の宮廷謁見受験者の中で、ジェイラー3世が例の言葉を贈った者は、ウェイリン・テネール・ヴィンドリルとクレイ・プリンシェッド・セシュールの2人だけだった。

 ……あの2人は……国王は思った。いつかは分からぬが、後々、余の側近――その中でも、“左右の人”――になると感じた。そして、そのことを、他の官吏、武官たちにも知らしめるためにも、あの言葉を贈ったのだ。……とりわけ、ウェイリンに関しては……。

 ジェイラー3世の側にしても、ウェイリンをめぐっては、謁見の前から、何かがあったことは察しているし、手の者からの報告でも承知していた。そうこうしているうちに、問題がウェイリンという、領主貴族の1子女に問題がとどまらないことを知ると、極秘裏に監察局に命令し、その内実を調べさせていたのだ。しかし、それと時を同じくして、この問題とは別の方向から、ウェルティランとボルデア、そしてルーヴァスの3人の高官が、関係していると思われている人物について調べていることを知った。そこで、元官吏の家人に、これまた極秘裏に言い含め、調査がどこまで進んでいるかを調べようとした。しかし、彼らは一体どうやっていたのか、3人が話している場にはいつも完璧に人払いがされてしまっていて、調べられなかったのだ。そのため、ジェイラー3世は、彼らが具体的にどういうところまで、どこまでの範囲で調査が進んでいるのかは、分からなかったのだ。しかし、そんな国王でも、言葉によってならば、彼女を守ることができる。しかもウェイリンにとって幸運なことに、王にすれば、その資格は十二分にある。だから、あの言葉を贈ったのだ。

 ……余の左右の人となるまでは……、萌芽しかけた芽を、むざむざ摘み取らせるわけにはいかぬ……。

 と、2人を見ながら、国王ジェイラー3世は思った。……うむ、よし、安心はした……。ウェイリンもクレイも、官服の第一関門はきちんとクリアしている。

 国王はほっとしている。やがて、侍従長の厳かな声がかかる。


 「……諸君、国王陛下の直々のお許しである。顔を上げ、席に着くように。」

 頭の向こうで、侍従長の厳かな声がした。ウェイリンはゆっくりと顔を上げ、席に着く。席に着いてから前を見ると、彼女の目の前少し離れたところに、国王ジェイラー3世がゆったりと着座している。宮廷謁見の時のような、高位の人物を伺わせてはしてもくだけた服装ではない。トビ色の長髪の上には金の王冠が鈍く光る。黒い上下の最上礼服が、王としての威厳をさらに高めている。右肩で留めているアーミンで縁取られた黒いマントが、緩やかにひだを描きながら玉座にかかっている。ウェイリンは不思議と、何もしていなくても、言葉を発さなくても、頭が下がってしまいそうになるのを感じていた。

 ……ああ……、このお方が、私が生涯お仕えする国王陛下なのだな……と、思っていた。しかし一方、何となく、もうとっくに分かってはいたけれど、改めて正体を知らされたような気も、彼女はしていた。

 国王は、一堂にうちそろった新人官吏をぐるりと見まわした。そして、

 「……今年度謁見及第者の諸君」

 静かに話し始めた。「……よくぞ、謁見試験に見事に及第し、ここへと集ってくれた。余は最大の祝意を贈る。さらに、今回、宮廷謁見において、余が名乗るよりも前に、余の正体を見破った者がこの中に2名のみいる。その者たちにはまた改めて、この言葉を贈ろう。

 『いつか、余の左右の人となる日を待っている。』……とな。」

 ジェイラー3世がそう言ったとき、大儀聖大王殿の中はわずかばかりザワリとした。及第者、そして、居並ぶ高位顕官問わず、である。サワサワと声が聞こえる。その2名について話されているのは明らかだ。ウェイリンは、姿勢はそのままで、心の中でジェイラー3世に頭を下げていた。それからふと隣を盗み見ると、クレイが、端から見ると分からないくらいに頭を下げていた。

 ……国王陛下が名乗られるよりも前に、正体を見破っていたもう1人って、クレイだったんだ……。……うーん、何という偶然なんだろう……、と、ウェイリンはこの時、なんとも言えない気分になっていた。何しろ、年齢こそは違えど、同年度の謁見に、同点、同順位で及第し、さらに、宮廷謁見でも同じことを見破って及第し、また、同じ言葉受けていたのだから。加えて、同じ領主貴族直流……。と、そんなことを考えているうちにも、国王ジェイラー3世の話は続いていく。

 「……その両名でなくとも、及第した諸君……とりわけ今回に限って言うならば、余が即位してから初めて行われた謁見である。余はそなたらが己が義務を全うすることを確信している。」

 そう言って、王は話を終えた。侍従長が出てきて、式を進めていく。次に行われたのは、主要な役所の長官及び、主立った軍人たちの紹介がされた。まず王佐、監察局長官、元帥から始まって、各卿クラスの官僚や軍人が出てきた。その中にはもちろん、教令卿のボルデアも、法務卿のルーヴァスも、そして、まだ正式に辞職の発表をしていないために籍を置いているとみなされて出てきている国璽尚書副官のウェルティランもいて、王府屋敷にいたときには違った、官吏の顔をしている。

 その他諸々の話だとか、そういったものが終わると、及第者たちは、大儀聖大王殿をぞろぞろと出ていった。ちょうど出た真正面に、見習い官吏として、どこに配属されるのかが掲示されている。

 それには、ウェイリンは監察局、クレイは法務省となっていた。


 配属先の書かれた掲示に従って、てんでんばらばらに歩き出していく新人官吏たちを、大儀聖大王殿の入口柱から見ている者たちがいた。ウェルティラン、ボルデア、ルーヴァスである。

 「……さて、と……。これから一体どうなることやら。」

 と、ウェルティランが言った。「これからのブルグリット王国、ひいては全世界を担っていくやもしれぬ官吏、政治家として、この者たちが今後、どのように成長していくのやら……。」

 「ふ……その通りだな、ウェルティラン。」

 ルーヴァスが答えていった。「この先、どんな官吏、政治家になっていくのか、この王府で見守っていくのは、一興、二興にもなると思うぞ。」

 彼の言葉に、ウェルティラン国璽尚書副官はうなずいた。この能吏はもうすぐ、このランゲールを去る。なので、2人にどうしても頼んでおきたいことがあるのだ。

 「2人とも……。……身内を甘やかすようでいけないことだとは分かってはいるんだがな……。どうしても頼んでおきたいことがあるのだよ。ボルデア、ルーヴァス――特にルーヴァスに頼みたいのだが――、私はこの先、そうそうランゲールには来られなくなるだろう。そうしたときには、ウェイリンのことをどうか、教え諭してほしいのだよ。」

 2人の卿は、ウェイリンの父の申し出を、さして驚かずに受けた。

 「ああ、分かった。」

 ルーヴァスは言葉短くうなずいた。ボルデアはニヤリと笑う。

 「……俺とウェイリンは身内だから、そこで甘やかしてしまうんじゃないかと思っているのか?フフン、そんな心配はいらんよ、ウェルティラン。……たとえ、ウェイリンが、ヴィンドリル=リンディラン侯爵位を継ごうとも、遠慮しないでいろいろ言っていくからな。」


 ウェイリンがいくことになった監察局の建物は、宮城内の東の一隅に建っていた。2階建てで、宮城の建物の中では中くらいといったところだろうか。少なくとも、謁見の試験を受けていた王府省と比べてみると、一回りも二回りも小さかった。しかし、それでも占める役割はとでも大きい、

 と、いうのも、この監察局というのは、中央官吏武官、中央貴族どころか、領主貴族すらも監察する役所だからだ。なので、情報局ともいえる国璽尚書局と、監察機関たる監察局には、全国の官吏、軍人、貴族の情報が集積されているとさえ言われている。そして、そんな監察局において、全情報を掌握し、かつ管理しているのが、トップである監察局長官というわけだ。そのために官位は、王佐や元帥にならぶ、、最上位の上1位である。今現在、その地位に就いているのは、アルヴィン・コモリス子爵だ。ウェイリンは彼を初めて見たとき、六十過ぎの、いかにも老練な官吏、という印象を受けた。

 監察局に入ると、案内役らしいドア近くに立っていた官吏から、2階にある大会議室に行くようにと言われた。階段を上がり、部屋に入ってみると、前述の監察局長官、監察局副長官、そして、主立った監察官たちが全員いるらしかった。そして、ウェイリンと同じ見習い官吏は、20人くらいいるだろうか。監察局長官はといえば、入ってきたウェイリンを見るなり、驚いたような顔をして、ついで、1つため息をついた。

 ……え?……あれ?私いきなり何かやっちゃいけないことをやらかしたのかしら……?……てかそれだったら早すぎじゃない私!……と思った。しかし、次の瞬間には、そんな考えは頭の中から追い出されてしまっていた。というのも長官が、小さくこうつぶやくのが聞こえたからだ。

 「……このような時期に……、ウェイリン・テネール・ヴィンドリルが、この監察局に見習いとして来るも、何かの因縁なのか……。」

 と。この言葉を聞いた、周りにいる上下問わずの全員が、ちらちらとウェイリンの方を見やっている。そして、当の彼女本人というと、全く訳が分からなかった。……一体、どういうことだろう、と、ウェイリンが考え始めた矢先に、はっと立ち直ったらしい長官が、慌てたように全員に言う。

 「ゴホン、えー……今年度謁見に見事、及第された諸君、まずはおめでとうと申し上げておこう。これからの諸君に、我らがブルグリット王国の行く末が関わってくることを肝に銘じ、職務に励んでもらいたい。そして、諸君がこれから働いてもらうこの監察局というのは、この王国全体の見張り役とも言うべきところである。1年間という見習い期間の最初にここに回されてきた、というのは、官吏たち、軍人たち、それから、中央、領主貴族たちの内情を知るのに最も良い、ということなのだ。……であるから、ここでの任期は、2ヶ月、ということになる。つまり、葉月末日まで諸君には、ここで働いてもらうことになる。……ここでの2ヶ月という間に培った経験が、後々の諸君たち1人1人にとり、良い結果をもたらすだろうことを、私は切に祈っている。」

 さらに話は続く。「そして諸君にはこの監察局で、監察官の1人として、主に官吏の監察に当たってもらう。あまり難しく考えなくとも、最初はいろいろな備品補充だとか、必要物品を持ってくるとかだから、安心してほしい。そして、諸君が2ヶ月教えを受ける指導官は、ここにいる、スファルツ・ベイラ監察局副長官だ。」

 そう言い終えると、長官は脇へ退いた。そして、見習い官吏たち全員は、その、監察局副長官の方を見る。スファルツ・ベイラ監察局副長官は、五十台のはじめくらいに、ウェイリンには思えた。無表情で、ルーヴァス法務卿よりもいかめしい顔つきをしている。中背だが、やせぎすで、眉、ひげが、完全に計算されたように対称になっている。……この表情が変わったところなんて、見たことある人っているのかしら……?と思えるほど、その表情は変わることはなかった。そんなことを思っていると、ごく低い声で、皆に話し始めた。

 「……今長官閣下より紹介されました、監察局副長官、スファルツ・ベイラです……王府省官吏部、そして王府卿、国璽尚書局、宰相閣下、さらには国王陛下からの直々の御意通り、あなた方を、平等に、びしばし鍛えていくつもりですので、皆さんそのおつもりで。」

 表情1つどころか、眉1つさえも動かすことなく、そう言い切った。ウェイリンの周りの者たちがわずかにどよめいている。対して監察官たちは、同情するような目を、彼らに向けていた。


 この日は見習い先での顔合わせだけで新人官吏は帰ることになった。途中、クレイとも行き会ったので、王府屋敷前まで一緒に帰った。2人の話題は、もちろん指導官のことだ。クレイの場合は、法案審議部の次長の1人、ということだ。

 「とても穏やかそうで、優しそうだったわよ。」

 とはクレイの談。ウェイリンがとてもうらやましそうな顔をする。話を聞いたクレイはさすがにいつものような皮肉は言わず、

 「うん……まあ、頑張ってね」

 としか言うしかなかった。やがて、ウェイリンが住む屋敷への分かれ道に来た。そこで2人は分かれる。

 「お帰りなさいませ、お嬢様。」

 門をくぐると、システィが既に待っていて、出迎えてくれた。

 「ただいま、システィ。」

 短く返すと、ドアが開き、シミュルーとジェスも出てきた。

 「お帰りなさいませ、お嬢様。……で、出仕初日は、いかがでしたか?」

 シミュルーが聞いた。

 「まあ、今日は顔合わせみたいなものだったからね……。明日からよ。……ただ、指導官の方が、とても厳しそうなお人なのよ。……ひょっとしたら、そうそう帰れなくなるかもしれないわ。」

 「ちなみにどちらの役所になったのですか?」

 ジェスが聞いた。ウェイリンはあごに手を当てる。

 「言っていいものなのかしら……?分からないから、ボルデア様たちが帰ってきてから聞いてみる。」

 3人はうなずいた。


 いつもの時間に、ボルデア、ウェルティランが帰ってきた。彼らの準備が整うとすぐに夕食となる。王府屋敷の食堂には、いとも豪勢な食事……ではなく、これが“摂政四家”のうちの1つの家の夕食なのかと疑えるような質素なものだった。

 2人に聞くと、新人見習いの配属は言っても構わないとのことだったので、ウェイリンは、監察局に入ったと言った。ここでの反応は2つに分かれた。システィやシミュルー、ジェスは、

 「監察局って、官吏たちの見張り役というか、情報がたくさん集まっている役所ですよね。そこにお嬢様が入るなんてすごいです。」

 「そうだな、システィ。やはり、謁見での成績でも配属先が変わってくるものなのかな。」

 などという反応だった。それに対して、ボルデア、ウェルティラン、ツィリ、そして、官吏経験者の家人であるヴィルなどは、少々顔を引きつらせている。

 「そ……そうかい。」

 「と、いうことは……、指導官は、もしかしなくとも、監察局副長官閣下かい、ウェイリン?」

 「はい」

 2人は同情するような目を向けた。ヴィルも

 「……お帰りになられたときには、ウェイリン様の好物を用意しておきます……。お帰りに“なれれば”ですが。」

 恐ろしいことをサラリと言った。表情を崩さずに。ツィリはツィリで、帰ってきたときのための安眠用の香木手配を家人に命じていた。

 ……この4人がこんな風に言っているのだから、、ベイラ監察局副長官閣下は本当に言葉通りにびしばしあれこれをたたき込んでいくんだろうな……と、この時妙な覚悟を決めたウェイリンだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ