幕間 法務卿帰宅後
約10分後……
「……あれ?ルーヴァス様はどちらにいらっしゃったんですか?」
ツィリに連れられて食堂に戻ってきたウェイリンが聞くと、父のウェルティランが答える。
「ああ、ルーヴァスなら、もう帰ったよ。……ウェイリンとツィリ様には、帰る旨挨拶をしていけないのは心苦しいし、また、無礼なことではあるのだが、今となっては、もう詰めなくてはならない仕事が山積みになっている……、と言ってね。……“無礼をして帰ることにするよ”って言って帰って行ったよ。」
ボルデアもうなずいている。その答えを聞いたウェイリンは、驚いたなんて言う生やさしいものではない驚愕を顔全体に表した。茶色い目をめいっぱいに見開いている。
「そんっっなにお忙しいお方をわざわざ家の夕食に招待して、そのあげくにさっきまで長々と話までしていたの?……うっわあ……もう、何考えてるのよ父様!もう父様は官職辞めちゃって、自由の体になったんだろうけど、ルーヴァス様も、それに、ボルデアおじ様にしたって、明日も宮城でのお仕事があるのよ!そ、それなのに……」
ウェイリンはここで床にへたりこんだ。「……あーあ。もう私にヴィンドリル・リンディラン侯爵位と、侯爵家の当主位を譲っちゃったもんだから、あーよかった、後の責任は全部娘のウェイリンに押しつけて、自分はのんびりしようとか何と思ったもんだから気が緩んで早くも、……ウウ……40代にしてもうボケちゃったんだあ……。……そんなのは絶対に嫌だから、また父様に気を引き締めてもらうためにも、私はもうこの時をもちまして、ヴィンドリル・リンディラン侯爵位と侯爵家の当主位をまた、謹んで父様にお返し致します。」
ウェルティランはぽかんとしている。……何か……、娘はずいぶんと想像力豊かだなあ……、と思った。そうしている間にも、本章と鍵をウェルティランに握らせてしまう。記念すべき侯爵在位わずかに1日。しかも、その間にやったことといえば、リンディラン州の統治などではなく、ただ単に、父親で先代侯爵のウェルティランを侯爵名代に任命したことだけ。ヴィンドリル=リンディラン歴代侯爵、侯爵家歴代当主のうちで、最短の在位期間にして、最も何もやらなかった侯爵が誕生……するはずだった。というのも、父ウェルティランがまた、侯爵、そして、侯爵家当主を証づける2つの品物を、娘ウェイリンの手に、またしっかりと握らせたからだ。そうしてから、困ったように笑いながら、娘にこう告げたのだった。
「いやあ~……。お前の望みはできるだけ叶えてやりたいとは思っているんだけどね……。残念だけど、これだけはできないな……。というのもね、ヴィンドリル=リンディラン侯爵家の初代当主であらせられた、ルスティール大侯爵閣下が定めなさった宗法の中で、『一度譲り受けた位は、譲った者、受けさせた者に返上すべからず』っていうのがあるんだ。……まあ、病気とか、生まれつき病弱だったりしたら話は別なんだけれどな。だから、ウェイリンはもう私には位を返せないんだよ。」
「……」
ウェイリンはしばらく黙りこんだ。そして、視線がボルデアの方へ向く。そして、パッと顔を輝かせて彼女が何かを言う前に、ウェルティランのいとこは先んじて言う。
「ウェイリン……。ちなみに私に譲るというのはなしだぞ。私のような傍流の者は、直流家が絶えない限り継承はできないことになっているのだ。」
「う……」
さらに黙りこむウェイリン。と、なにやらハッとした表情で
「あ、でも私病気かもしれないわ。だって私最近――そうね、及第してからかしら――何か、胸と喉の調子がおかしくて……ケホコホ」
と、彼女は早口で言ったのだ。ボルデア教令卿は、……ああこれか……という顔をして、納得した。それから、ウェルティラン侯爵名代に何事かヒソヒソと耳打ちしている。ウェイリンの父親は、いとこの言葉を聞いて、うなずいている。そして、ニコニコしながらいう。
「……ねえウェイリン。今のは嘘だろう?お前は、全然病気なんかじゃない。」
「……!」
彼女はぐっと詰まってしまう。そうして黙りこんでしまう。図星だった。彼女はそこで諦めた。
「~~~~~~~!!!どうして“誰も彼も”、私のつく嘘を全っ部見破っちゃうのよーーーーーーー!!!!」
半ば叫びたい気分になった……。
この出来事の翌日のことである。時間は大体、前この男の家をのぞき見たときと同じくらいだ。例の男の豪邸だ。その男は自室で、ゆったりと椅子に腰かけている。この椅子は木製なのだが、国内でも最高級の木材から作られており、さらに全体に細かい彫刻が施された一級品だ。この家の使用人たちが噂していたところでは、この一脚を作らせるためだけに、椅子と同じ重さの銀貨を製作者に払ったらしい。
この椅子に限らず、この部屋というのが特に、男が所蔵するものの中でも一級、特級品で占められている。もしも、この部屋に1日いて、それから廊下に出てみれば、入るまではかなりの値打ちものに見えていたそこらの調度品が、どこぞのくだらないがらくたに見えてしまうだろう。
男が言った。
「……そうか……。あのウェルティラン・テネール・ヴィンドリルが、わざわざ王府勤めの時でもないのに、リンディラン州からこのランゲールまで来ているのか……。フフフ」
そこに見える嫌悪の表情を全く隠す様子もなく、だ。
「そして昨日は、法務卿のルーヴァス・アンセッラ・ラフェイス伯爵の奴も、ヴィンドリル侯爵家の王府屋敷に行ったそうだな、……しかも、ウェルティラン自身の招きで。」
「は。さようでございます、閣下。」
と、再三登場している報告者が言った。「……しかし、ウェルティラン・テネール・ヴィンドリルと、法務卿、ルーヴァス・アンセッラ・ラフェイスは、謁見に同期で及第し、かつ、、同い年という仲でございますれば、別段に、ウェルティラン・テネール・ヴィンドリル侯爵、国璽尚書副官の招きで、ヴィンドリル=リンディラン侯爵家の王府屋敷に行っていた、としても、何の怪しいこともないかと思われまする。」
と、続ける。男は、これまた細かい飾り細工の施された机の上から、紙を数枚取り上げていう。
「うむ……。そうだな。これまでにも何度か、ルーヴァス・アンセッラ・ラフェイスというのは、ヴィンドリル侯爵家の王府屋敷に行っているからな……。……まあ、どちらにしたところで、こちらにとっては好都合なことには変わりはない。……いずれにしても、まずあの件を出すことでウェイリンの奴を気落ちさせて、さらには、ヴィンドリル=リンディラン侯爵家の威信さえも地に堕ちさせ、ウェルティランやボルデアの奴らに吠え面をかかせてやるのだ。……まあ、他にもやることはいろいろとあるがな。」
「……そちらの方の準備につきましては、もう私の方から各方面に申しつけまして、既に整えておりまして、今や閣下のお言葉によって、いつでも行うことができるようになっておりまする。」
「おお、そうか、そうか……。来月の1日が楽しみなことよのう。」
そう言って男は高笑いする。男を着実に包囲しつつある網があることも知らないで……。