57 太古からの挑戦
ミュウレアが廊下を歩いていると、向こうからレイがやってきた。
「琥珀はもういいのか?」
「かなり具合よくなったみたいだから、ブリッジの様子を見ようと思ったんですけど。何か変わったことは?」
「うん。何かマッハ2で迫ってくる物体があるらしいぞ」
「ええ!? 大変じゃないですか! 早くブリッジに行かないと!」
「いや。別に大丈夫だろ。だってクライヴとコルベットがいるし。どちらかと言えば琥珀のそばにいてやる方が大切だろ?」
「いや、まあ……ぶっちゃけ戦闘面はクライヴに任せておけばいい感じになっていますけど。それだけだと、こっちもつまらないというか。少しくらいは手伝いましょうよ。それと琥珀様に、過保護すぎるのは嫌だと言われてしまったので……」
「過保護? あはは。琥珀も生意気言うようになったなぁ。面白いから過保護しに行こう!」
ミュウレアはウキウキとした気分になり、張り切って琥珀の部屋へと向かう。
レイは何やら呆れ顔になっていたが、結局、あとを付いてきた。
真面目一辺倒に見えて意外とノッてくるのがレイのいいところだ。
二人で琥珀を弄ってやろう。
なんて思いながら歩いていると、不意に爆発が起きた。
そう、艦内で爆発だ。
琥珀の部屋から閃光が広がり、金属製の扉が吹っ飛ぶ。
不意の出来事にミュウレアとレイが硬直していると、部屋の中からクロちゃんが走ってきた。
「にゃぁ! にゃぁぁっ!」
クロちゃんは泣き叫びながらミュウレアの胸に飛び込んできた。
ここでようやく我に返ったミュウレアは、クロちゃんを抱きながら琥珀の部屋へと向かう。
「琥珀、無事か!?」
「琥珀様!」
レイとともに叫びながら部屋に入ると、琥珀はちゃんと二本の足で立っていた。
扉を吹っ飛ばすほどの爆発だったのに、不思議と部屋は元のままだ。
琥珀はヤケドはおろか、服や髪に焦げ目一つない。
実に奇妙だが、とにかく琥珀が無事でよかった。
胸を撫で下ろしながらミュウレアは琥珀に手を伸ばす。
「琥珀。ここで何が起きたんだ? まさか虫の居所が悪くて扉を蹴飛ばしたというわけでも――」
そう冗談交じりに尋ねたが、しかしミュウレアは言葉を止めてしまう。そして目を細める。
レイからも同じような緊張が伝わってきた。
何か、おかしい。琥珀の気配が、違う。
これは、そう。殺気である。
あの愛らしい琥珀の瞳が、まるで獣じみているのだ。
全身から禍々しい気配が漂っているではないか。
その意味を考えるより早く、ミュウレアとレイは壁に叩き付けられた。
見えないハンマーで殴られたように、全身に激痛が走る。
そのハンマーは、明らかに琥珀の方向から飛んできた。
「にゃー……」
抱きかかえていたおかげでクロちゃんは無事だが、背中を強打したミュウレアは息をするのも苦しい。レイも同様だろう。
「琥、珀……お前は、琥珀なのか……?」
そう問いかけると、彼女はニヤリと顔を歪ませた。
生気のない、まるで悪意の塊のような笑顔。
己は琥珀ではないと、雄弁に語っていた。
「コ、ハク……コハク……琥珀……ああ、それがこの個体の名称か。そうだな。確かにそういう記憶が脳にある。しかし答えは否だ、人間よ。我はアーク。貴様ら人間どもや禍津の如き外来種が現われる遙か前からこの星に住んでいた先住民族アーク。その思念である。感涙せよ人類。その汚らわしい歴史に我が幕を引いてやる」
声は間違いなく琥珀のもの。
だが口調はまるで別。
確実に別の誰かが喋っている。
琥珀の中に、琥珀ではない何かがいるのだ。
「貴様、琥珀様に何をした!」
レイは激昂して立ち上がり、同時に抜剣。
しかし踏み込まない。
相手の得体が知れない以上、迂闊に仕掛けるのは危険だ。
そして何より琥珀の体を斬るなど出来るはずもない。
よってこちらからは仕掛けることは不可能。だが相手はまるで容赦しなかった。
「散るがいい、人間ども」
再び、見えないナニカで全身が押しつぶされる。
先程よりも、さらに強力だ。
「ぐっ!」
「つっ!」
ミュウレアもレイも、神滅兵装に接続し、灮輝力を使用していた。
全身を強化し、なおかつ防御膜を張って見えない攻撃を跳ね返そうとしている。
なのに耐えられない。
骨が砕けそうな圧力が雪崩のように押し寄せてくる。
死ぬ。殺される。よりにもよって琥珀に殺される。
夢なら覚めてくれという刹那、ミュウレアの腕の中から、か細い声が。
「みゃぁ……」
いつも元気なクロちゃんが今にも押しつぶされそうになり、死にかけの声を出している。
そのことにミュウレアはショックを受け、この状況を作り出しているのが琥珀だということに途方もない残酷さを覚える。
しかし。クロちゃんの声を聞いた瞬間、琥珀の表情がわずかに動いた。
いや、戻ったと言うべきか。
邪悪を絵に描いたような面が、ほんの一瞬だけ、元の優しい琥珀に戻ったのだ。
見えない力も和らいだ。
時間にして一秒以下。
それだけあれば、灮輝発動者はいくらでも動ける。
ミュウレアとレイは目配せし、瞬時に役割を決めた。
まずクロちゃんを抱えてミュウレアが部屋を飛び出し退避。
同時にレイは琥珀に飛びかかり、その体を拘束しようとする。
だが、一歩及ばなかった。
レイの腕が琥珀に触れる直前、琥珀が琥珀でなくなってしまう。
「愚かなり人類!」
殺気みなぎる声がとどろき、再びレイを吹き飛ばす。
帝國最強とまで呼ばれた彼女が手も足も出ないのだ。
これはもう、琥珀の体だからと気を使っていられない。
おそらく本気でやってもミュウレアとレイは勝てないだろう。
ゆえにミュウレアは大砲を出した。
灮輝力を使って周囲の物質を分解・再構成。
巨大な砲身を構築する。
「ミュウレア殿下、それは!」
レイは悲鳴のような声を上げるが、こうするより他にない。
いや、これでも時間稼ぎにすらならない可能性だってある。
かつて白虎参式・改を一撃で屠ったレーザー・キャノンであるが、今の琥珀に効果があるとは思えない。
それでも、ミュウレアに使える最大の火力がこれだった。
少しでも琥珀の動きを止めなければ、ここで二人と一匹は皆殺しにされる。
「許せ琥珀!」
艦内に高エネルギーの光が吐き出される。
本来ならそれは少女一人など瞬く間に蒸発させ、それどころか船体を貫通するほどの威力があったのだが――。
驚くことに、レーザーの軌道が曲がった。
琥珀に当たる直前で、ぐにゃりと上を向き、天井に穴を空ける。
上のフロアも貫いて、夕焼けの空を露出させる。
スティングレイの防御シールドも、内側からの攻撃には無力なのだ。
無論、強固な素材で作ってあるから、シールドがなくても相応の防御力を持っている。ミサイルの直撃にも、アマギ爆弾にも耐えうる装甲だ。
それを貫くミュウレアのレーザーキャノン――を容易く曲げてしまう謎の力。
「おお、怖い怖い。そして小賢しいな人類。我らアークの灮輝力技術を真似しおって。流石に我一人では分が悪いか……」
そう語る琥珀の横から、レイが奇襲を仕掛けた。
横一文字薙ぎ。ただし剣ではなく鞘である。
それでも帝國最強輝士が本気で振ったのだ。その威力は鉄をも叩き潰すはず。
しかし琥珀はそれを掌で受け止めた。
「くっ……琥珀、様……!」
レイの表情は複雑だ。
相手は琥珀の体を乗っ取った敵。この上ない憎しみをぶつけて当然。
だがやはり、それは琥珀の姿なのだ。どうして怨むことが出来るだろう。
もし本気で仕留めるなら、ミュウレアとレイで連携し、波状攻撃を仕掛け、追い詰めればいい。
しかし、出来ない。したくない。
よって、状況は詰んでいる。
琥珀の体が乗っ取られた時点で、こちらに打てる策はないのだ。
「さて。あのクライヴとかいう恐ろしい男が来る前に逃走させて頂こう。少しばかり生かしておいてやるぞ、人間ども。いずれまとめて絶滅させるがな」
琥珀はレイの手首を掴み投げ飛ばす。
それから体を浮かせ、ミュウレアたちを嘲笑いながら、天井の穴から外へと出ていった。
あっという間の出来事。
まるで矢のような速度で飛び立って、黄昏の空に消えてしまう。
琥珀がいなくなった部屋には、あのマグカップが残されていた。
その中は、白色血液が一杯になっていた。




