54 皇帝の悲願
水陸両用双胴戦艦『纐纈城』は、スティングレイとは異なる場所から白の大陸に上陸しようとしていた。
衛星による監視で、禍津の群れがスティングレイ目がけて殺到しているのは確認している。
ゆえに纐纈城は悠々自適とその巨体を氷の大地に乗せることが出来た。
実のところ、スティングレイを泳がせていたのは、こうして囮にするためだった。
そうでなければ早々に撃沈している。
スティングレイの性能も大したものらしいが、排水量百万トンという狂気なりし纐纈城が負ける道理はない。
スティングレイが禍津を倒してくれたら、そのあと疲弊したスティングレイを纐纈城が叩く。
もし禍津が勝ったなら、数を減らした禍津を纐纈城が一掃する。
いずれにしても漁夫の利を得ることが出来るわけだ。
もっとも、全ての禍津がスティングレイに向かったわけではない。
なにせここは禍津の巣。
その数は無尽蔵と言ってよく、囮作戦が成功しているにもかかわらず、纐纈城の眼前には空が黒くなるほどの禍津が立ちふさがっている。
されど問題なし。
「全砲門開け――」
朧帝國皇帝、賀琉の命令で、二百を超える艦砲が、禍津の群れに照準を合わせる。
そして、一斉発射。
衝撃波で海面が抉れる。周囲の流氷が割れる。
鋼鉄の雨は禍津を強襲し、直撃を受けた個体は叩き潰される。
それから信管が作動し火薬が炸裂。
轟音とともに炎の膜が広がり、全ての禍津を包み込む。
「陛下! 後方から七十メトロン級が二体!」
「百八十度回頭。しかるのちに砲撃を加えよ」
「了解!」
纐纈城は二つの戦艦を並列に並べた双胴である。
ゆえに左右のスクリューをそれぞれ逆方向に回転させれば、戦車の超信地旋回の如く、その場で向きを変えることが出来るのだ。
回頭し、砲弾をぶち込んで二体の禍津を撃沈。
それにより周囲から禍津の影は消え、纐纈城は予定どおり白の大陸に上陸する。
「スクリュー停止。キャタピラ展開」
「上陸を確認。船体に異常なし。目標進路を進みます」
スティングレイが他の禍津を相手してくれている間に、纐纈城は〝あの場所〟へ向かうのだ。
おそらくスティングレイに乗っている連中は、こちらの目的が白銀結晶にあると思っているのだろうが、それは間違いだ。
確かに白銀結晶の破壊と、その破片の入手は重要だが、真なる目的は別。
賀琉が遺跡の技術で延命してまで皇帝の座に居続けるのは、全てそのため。
人造神も巫女も纐纈城も、それを手に入れるための布石に過ぎない。
「――ところで、コンデンサはフル充電されているか?」
「はい。問題ありません」
「結構。ならば翡翠を休ませろ。本国の人造神から送られてくるエネルギーを合わせれば、巡航速度を維持可能なはずだ」
「了解しました。蝋燭塔を停止させます」
蝋燭塔とは纐纈城に搭載されている人造神の二号機のことだ。
本来は翡翠と琥珀の二人がかりで動かすことを前提として設計していたが、今は翡翠一人で運用している。
負担は単純に倍であり、どう気を使っても、翡翠の寿命は刻一刻と磨り減っていく。
もともと巫女など消耗品。道徳的な問題は皆無。
しかし白の大陸における目的を達成するまでは、生きていてもらう必要があるのだ。
――
――――
――――――
そして、賀琉が自室にてくつろいでいると、蝋燭塔から解放された翡翠がやってきた。
「今戻ったぞ、陛下」
そう呟く翡翠の顔色は蒼白。
銀色の髪が額に張り付き、真紅の瞳もどこか濁って見える。
足取りからしてフラついており、明らかに衰弱しきっていた。
なにせ彼女は、たった今まで蝋燭塔にて全身を絞られ、血液を供給していたのだ。
精神的にも肉体的にも限界。
今すぐ寝てしまいたい気分だろう。
「なんだ、酒を飲んでいたのか? ならば私が酌をしよう」
しかし翡翠は賀琉の隣に座り、清酒のビンに手を伸ばした。
今にも死にそうな顔のくせに。
「無用だ。お前は身体を休めろ。それもまた役目の一つだ」
皇帝である賀琉がそう言ったにもかかわらず、翡翠は首を横に振る。
「それは無理というものだ陛下。皇帝を放置して先に床に入るなど、巫女の名折れ。さあ、杯を」
翡翠は弱々しく笑いながらも、ハッキリした口調で語り、ビンを手に持つ。
そこまでされては賀琉も断れず、杯を差し出した。
それにしても――と賀琉は想いをはせる。
この翡翠という巫女。
驚くほど『あの人』に似ていた。
外見だけで語るなら、巫女は全て銀髪赤眼に童女の姿という、同一規格。
多少の差異はこそあれ、顔立ちもそっくりである。
しかし、翡翠の場合、性格が規格外なのだ。
通常、巫女はどれも感情が薄い。
自分の役目に疑問を持たず、帝國の命令に従順であるよう調整されていた。
しかし、試作された二体の第四世代型はどちらも異なる。
まともな喜怒哀楽を有している。
一号機の琥珀は、単純に精神が未調整ゆえに人間的。部品のくせに部品になりきれない、哀れな存在だ。
対して二号機の翡翠は、賀琉自らほどこした調整により感情を獲得した。
それは作られた人格。
遠い昔に死んでしまった『あの人』に可能な限り近づけるため、賀琉が翡翠の性格を調整したのだ。
だからこそ、賀琉が断っても休まない。
第一、タメ口ではないか。
そこに流れる空気は、主従というより、男女のそれ。
ああ、まさしく。七十年前に失った、彼女の声色。仕草にソックリだ。
容姿も昔を思い出させる。
なにせ巫女の外見は『あの人』を模して作られているのだから。
だが。やはり。何かが違う。
ソックリなだけ。
あの人が持っていた、圧倒的な気配がまるで再現できていない。
――贋作は贋作。あの人にもう一度会うには、文字通り、蘇らせるしかない、か。
翡翠の髪に触れながら、賀琉は再び決意する。
白の大陸には、それを実現させるためのモノがあるはずなのだ。
夢が叶うなら、帝國が――否、人類全てが滅んでも構わないと賀琉は切に切に思った。




