52 そのノイズ、その思念
禍津は肉体的な個体差が激しい。
大きさ、形状、能力において千差万別であり、同一の種と思えないほどだ。
だが逆に、その精神は『個』という概念を有していない。
無論、単独での行動は出来る。
逆に、群れをなして襲いかかることも可能だ。
しかし、そこに個別の意識など一欠片もなかった。
あるのは唯一つ。
禍津としての、『種』としての目的意識。
動物を殺せ。植物を焼け。人類を屠れ。
自分たち以外の生きとし生けるものを抹殺せよ。
禍津はそれだけを考えて戦ってきた。
何万年も。何億年も。
白銀結晶に乗って宇宙をさまよい、増殖し、殺戮を続ける生物兵器。
ゆえに今も、思考の方向を一点を向いている。
この船の中にいる人間どもを殺せ。殺せ。殺し尽くせ。
狼型禍津は、防御シールドに噛みつきながら、その唯一絶対の目的に邁進していた――はずなのに。
脳にノイズ、走る。
――なんだ、これは?
禍津は戸惑い、一瞬、動きを止めてしまう。
まず〝戸惑い〟という感情そのものが意味不明。
――なんだ、これは。知らないぞ。ワタシはなぜ迷っている。迷うとはなんだ。いや、そもそもワタシとはなんだ?
いま禍津は、白銀結晶から生まれ落ちて初めて、自分という個を認識する。
そして自分を知ったことにより、同時に、周囲を知った。
――誰だ、お前は。
ワタシの中に、ワタシではないナニカが潜んでいる。禍津ではないナニカが混じっている。
そいつがノイズを流しているのだ。
この船の中にいる誰かを、強烈に感じているのだ。
しかし、だからといって禍津は止まらない。
ノイズも戸惑いも、全身に刻まれた本能に飲み込まれ、再び牙と爪をシールドに突き立てる。
一心不乱の攻撃行動に、怒りは介在していない。怨みもなければ憎しみもなく、全ては反射で行なわれていた。
人が息を吸うように。
蝶が蜜を吸うように。
蟻が巣を作るように。
禍津が殺戮を行なうのは感情に起因しておらず、ひたすら遺伝子に刻まれた命令を実行しているだけなのだ。
だから、防御シールドが突如として消滅し、自分の四肢が船の甲板に落ちても躊躇はしない。
これほど強固なシールドを人間が自ら解除した理由は不明だ。
されど抹殺対象に近づけたのだから重畳。
仮にこれが罠で、自分が殺されたとしても、それがどうした?
禍津は個を持たず。
そも、死という概念を知らず。
だが、それでも。
例のノイズがうるさい。
いったい何を騒いでいるのだ。
――■■■。
ブツブツ、ブツブツと思考に割り込んでくる、謎の感情。
しかし、そんなものに構ってはいられない。
なにせ、甲板には人間の男が一人、立っているのだから。
早く、噛み殺さねば。
と、禍津が牙を向き出しにした瞬間。
「神滅兵装――起動――」
男の呟きとともに天高く伸びていく、蒼い光りの剣。
「対艦刀、月光」
一目で戦力差を思い知らされる、破壊の化身がそこにいた。
防御も回避も反撃も、あらゆる選択肢は存在せず、ただ両断されるしかないと確信してしまう。
それでも禍津は――ああ、そうか――とすら考えない。
自分は禍津というシステムの末端だ。
切られた爪が悲鳴を上げないように、末端が破壊されても禍津は揺るがない。
しかし、しかし、しかし。
この身体が切り裂かれる、その刹那。
ワタシの中にいるナニカが叫んだ。
――■■■。
ノイズは鮮明になり、意味を持つ言葉となって駆け巡る。
――同士よ。
それは歓喜の声。
――ああ、ここまで辿り着いたか、同士よ。さあ、行くがよい。我らが王都はすぐそこだ。
ワタシではないナニカ。禍津ではないソレは、正面の男ではなく、船の中にいる誰かを想って祈る。
我らの悲願を成就せよ、と。
この星を禍津や人類などの好きにさせてたまるか、と。
溢れ出す感情の渦。はち切れそうな執念。
だが、それも一瞬の出来事だ。
死という結果は変わらない。
禍津は、自分の中にいたものが何だったのか知ることもなく、一刀両断にされ、そのまま永遠の眠りについた。




