05 約束の再会
被弾した。被弾した。被弾した。被弾した。被弾した。被弾した。
海を越え、ここまで逃げてきたというのに。もう少しで陸なのに。
あとわずかでクライヴの故郷なのに。
選択を誤った?
いや、もうここまで来たら頼れるのは彼だけだ。
自分はどうなってもいいが、この少女だけは何としても助けないと。
そうすると決めて、帝國を裏切ったのだから。
「申し訳ありません琥珀様! ですが大丈夫です。しっかり捕まっていて下さい。海に不時着します!」
「はい……ありがとうございます。けど、私を捨てて逃げてもいいんですよ? あなた一人なら簡単に逃げられるんでしょ? ――レイ」
後部座席にいる少女がほがらかに言った。
自分を見捨てろと。見殺しにしろと。
そう、ほがらかに。
琥珀――犠牲になるためだけに生み出された、少女の形をした〝ユニット〟。
振り返らなくても分かる。
いくら隠したって分かる。
本当は、泣きそうな顔をしている。
本当は、助けてもらいたくて必死。
――だから私は、あなたを守ると決めたのよ。
「子供は素直に大人に助けを求めて下さい! そうしたら、私も頑張れますから!」
レイが叫ぶと、琥珀は少しためらって、けど大きな声で言った。
海面が迫り、機体が火を噴き、破片が散った。落下の加速と回転で上下も分からなくなる世界で――。
「――助けて!」
と。
子供らしく素直に。
目前に迫る〝死〟を前に、目をギュッと瞑って。
死にたくない、と。
ええ、死なせない!
やられたのは右のフラップだけだ。
エンジンと尾翼はまだ生きている。
だから墜落ではなく、不時着にもちこめる、はず。
高度と速度を落として、海面と水平にして、腹をゆっくりと海に――
しかし、相手がそんな余裕をくれるはずもなく。
容赦なく機銃を撃ってくる。
主翼も尾翼も蜂の巣。
コックピットが無事だったのがむしろ奇跡。
そして安定を失った機体は海面に叩き付けられ、衝撃が襲いかかる。
「きゃぁっ!」
琥珀が悲鳴を上げるが、レイとて歯を食いしばって耐えるのがやっとだった。
それでも高度が低かったから、バラバラになったりはしない。
水がショックを吸収してくれる――と思いきや、浅かった。
ここはもう海岸付近なのだ。
機体の腹が擦られて、その摩擦で進む方向が歪む。
ぐるんぐるんとコーヒーカップのように回り、砂浜に突っ込んだ。
それでも、止まった。
生きている。
生きたまま止まった。
「こ、琥珀様……ご無事で!?」
「う、うん……ありがとうレイ……あなたのお陰で助かりました」
彼女はそう言うが、今のが本当に自分のお陰で助かったのか、レイは疑問だった。
だが何にせよ、早くここを離れなければ捕まってしまう。
そうなれば帝國から逃げてきた意味がない。
「逃ゲルノハ、ソコマデダ」
レイが琥珀を担いで機体から飛び降りると、目の前にそれは降り立った。
銀色の半球――まるで台所にあるステンレスのボールが逆さまになって空を飛んでいるような、妙な光景。
ただし、大きさはまるで違う。
自動車が一台すっぽりおさまってしまいそうなサイズのボール。
それが、てっぺんに二十mm口径の機銃を付けて、レイと琥珀の目の前に降りたって〝変形〟した。
飛行モードから、陸戦モードへ。
亀が甲羅から手足を出すみたいに、アクチュエータを稼働させ、にょきにょきと。
四本の鉄の脚で砂浜を踏みしめて、目を光らせてこちらを睨む。
亀みたいに可愛いのに、高さはレイの身長よりあって、幅や長さはほとんど戦車だ。
装甲の厚さはそれ以上――。
朧帝國軍が誇る、鋼鉄兵『玄武参式』。
人造神が生み出す灮輝力をエネルギーに、AIで自律し、火力で制圧し、装甲で生存し、命令をひたすら実行し続ける機械の兵士。
レイにとっては、ほんのさっきまで味方であり、格下だった。
今となっては、敵であり、壁。
その玄武参式は、二十ミリ機銃の砲身をレイに向けた。
無論、灮輝発動者にとって、その程度の火器は何ら脅威になりえない。
まして帝國最強とまで言われた焔レイにとっては玩具のようなもの。
だが、今のレイは――
「投降セヨ、朧レイ。巫女様ヲ拉致シタ罪ハ重大。極刑以外有リ得ナイ。ナレド、皇帝陛下ハ貴様ノ功績ヲ考慮シ、寛大ナ処置ヲ施スト仰ッタ。故ニ投降セヨ。命ダケハ助カル――」
放たれる電子音声。
感情の起伏がまるでない、無我の抑揚。
「断るわ。私は琥珀様を守るの、自由にするの! 自分の命が惜しいなら、初めから帝國を裏切ったりするものですか!」
「愚カナリ。紅蓮花ト呼バレタ貴様が戦力分析モ出来ヌホド狂シタカ? 貴様ハコノ玄武参式ニハ――認識番号1532番ニハ勝テナイ。ナゼナラバ」
そう、勝てない。
なぜならば。
「貴様ハ既ニ――」
レイは既に――。
「アカウントヲ抹消サレテイルノダカラ」
全ての努力を抹消されているのだから。
人造神に記録されたアカウント。
それによって灮輝発動者は管理され、灮輝力を送られ、異能を使う。
つまり大元のアカウントが失われれば普通の人になってしまう。
そしてアカウントを支配しているのは帝國だ。
その帝國に逆らうということは、灮輝力を失うということ。
今の焔レイは、紅蓮花と呼ばれた灮輝発動者ではなく。
どこにでもいる十八才の少女に過ぎない。
禍津はおろか、こんな鋼鉄兵すら脅威に感じてしまう無力な存在。
それでも、レイは、この少女を。琥珀を守りたくて。
外の世界を見せてあげたかった。
生態ユニットとして生まれた琥珀。
人造神の『部品』。
ただ使われ、磨り減り、消耗されるだけの〝物〟。
それが――巫女。
帝國の公共物として、大切に大切に扱われる。
人権なんてどこにもない。
滅私奉公。それが義務。それが当然。
けれど、琥珀は泣いたのだ。
ずっと笑っていたのに。
レイの前で。レイの前だけで。
痛いのはもう嫌だと。
今にも壊れそうに震えていた。
いや、そう言ってしまった時点で、巫女としては、とっくに壊れていたのかも知れない。
けれど、壊れていようと正常だろうと。
機能さえ無事なら、帝國は使ってしまう。
まして琥珀は最新型の試験機であるがゆえ――逃がさない。
壊れても、泣いても、狂っても、決して帝國は許さない。
もう人類は人造神なしでは生きていけないから。
巫女がいなければ人造神が止まってしまうから。
だから帝國のため、人類のため。
この少女を文字通り絞って、燃料を絞り出して、エネルギーに変換する。
それが――道理――大義――正義――
しかしレイは耐えられない。
差し出せない。犠牲に出来ない。
守りたいのだ。
だって、助けてって言われたから。
こんなに小さな身体で全てを背負い込もうとして、けれど耐えられなくて、人知れず泣いていて、レイにだけポツリと漏らしたのだ。「助けて」と、すがったのだ。
だから――
機関銃がレイを向く。
だから――だから――
AI制御の射撃は決して狙いを外さない。琥珀に傷一つつけずにレイだけを撃ち抜くだろう。
だから――だから――だから――だから――
自分はどうなってもいい。この子だけは助けてください。帝國も人造神も関係のない、普通の女の子として暮らして欲しい。
「死ヌガ良イ」
ああ、だから。だから誰か――
「助けて、クライヴ!」
叫んだ。普通の女の子のように叫んだ。
その瞬間に。
吹き飛んだ。
玄武参式が。認識番号1532番が。
ボールみたいに蹴飛ばされて、砂浜を転がっていった。
「――え?」
自分で、助けて、と言ったくせに。願ったくせに。
それが叶うとレイは口をポカンと開けて呆けてしまう。
だって、だって。
〝彼〟がそこにいるのだ。
「なんだ、レイか? 久しぶりだな」
眼前の砂浜に。
三年前と変わらない自信たっぷりの顔で、さも当然という風に。
クライヴ・ケーニッグゼグが立っていた。
玄武参式を蹴飛ばしたのは無論、彼。