35 蝋燭塔
高層ビル立ち並ぶ摩天楼。
その一部が切り離され、海に向かって流れ始めた。
外から見ればそんな光景に見えるのだろうが、それは錯覚だ。
実際は、船が港から出航した。ただそれだけの出来事。
特筆すべきことではないだろう。
その船が排水量百万トンの双胴戦艦であるということをのぞけば、であるが。
あまりにも巨大。あまりにも狂気。
いかに人造神が高エネルギーを生み出すと言っても、これほどの質量を動かし、更に兵器として運用するのは、負荷が大きすぎるのではないか。
その疑問は纐纈城の設計当初からあったもので、無論、賀琉は解決策も用意していた。
それが前艦橋と後艦橋の間にそびえる塔である。
煙突にも見える。しかし、灮輝力を電力に変換して駆動する現代の船に、煙突など無用の長物だ。
ゆえに、その塔は煙突にあらず。
纐纈城のためだけに灮輝力を生み出す第二の人造神。通称、蝋燭塔なり。
「翡翠。いけるな?」
賀琉の呟きは、蝋燭塔にいる第四世代型巫女二号機『翡翠』へと伝わり、そして短い返答が返ってくる。
「無論だ、陛下」
か細い少女の声だった。
しかし声色には恐怖や躊躇は少しもない。
これから〝体を搾られる〟というのに。
そして白色血液が蝋燭塔に注がれる。
少女の体が爆ぜ、エンジン音のような悲鳴を上げ、灮輝力を生み出した。
纐纈城のスクリューが先ほどまでよりも激しく回転し、百万トンの船体を加速させていく。
無事に船が動いたことに乗組員たちが歓声を上げる。
だが、一人だけ。航海長だけが異を唱えた。
「お言葉ですが。このまま翡翠様だけに蝋燭塔を任せるのは不安が残ります。もともと蝋燭塔は二人以上の巫女様での運用を前提として設計されたもの。あまりにも翡翠様の負担が大きすぎるかと」
航海長の言葉に幾人かが頷き、歓喜一色の艦橋にわずかな陰りが指す。
そして賀琉は、航海長の言葉を肯定も否定もせず、ただ一言「構わん」とだけ呟く。
「構わない、とは……?」
「そのままの意味だ。ああ、なるほど、翡翠の負担は大きい。寿命を縮めるだろう。で、それがどうした。出力そのものは安定している。ならば結構。白の大陸まで行って帰ってくることが出来ればよれで良い。それよりも貴様ら、前方の海域に禍津がいることを忘れるな」
禍津――。
その単語で軍人たちの意識が瞬時に切り替わる。
双胴戦艦が無事に出航した喜びも、巫女の負担を心配する気持ちも吹き飛び、戦いへと思考を向ける。
「本艦速度八十ノット」
「禍津、前方距離五百」
「砲雷撃戦用意」
やがて、纐纈城の眼前の海が激しく隆起し始めた。
まるで津波の如く迫り上がり、その奥から禍津が顔を見せる。
それは魚の形をしていた。
もっとも、普段、食卓で見るような魚ではなく、巨大な牙と顎をそなえたグロテスクな深海魚だ。
最も似ているのはアンコウだろうか。
それが全長七十メトロンという体躯を晒し、纐纈城の進行方向に立ちふさがろうとしていた。
だが、実際にはふさがっていない。
なにせこちらは全長千メトロンだ。
象と蟻。
勝負にならないのは明白で、一発も撃つことなく、このまま踏みつぶせばいいだけである。
七十メトロン級の禍津といえば艦隊決戦を挑むような相手なのに、この纐纈城に比べればゴミに等しい。
乗組員たちは優越感に浸り、恍惚とした表情を浮かべていた。
が、それもつかの間。
レーダー係が再び悲鳴を上げる。
「禍津、反応多数! 完全に取り囲まれています!」
「何だと!?」
艦橋が状況を把握する間もなく、周囲一体の海が全て隆起した。
そして二十体を超える七十メトロン級アンコウが、纐纈城を取り囲む。
象と蟻。
しかし圧倒的な数の蟻は、やがて象すら食い尽くす。
自分たちが捕食される側に回りつつあると知り、乗組員たちは色めき立った。
「禍津に高エネルギー反応!」
禍津の瞳から一斉に、レーザーが発射された。
計四十を超す光の槍が、纐纈城に襲いかかる。
だが届かない。
纐纈城は周囲一体にシールドを張り巡らせ、街を丸ごと沸騰させるようなエネルギーの槍を防ぎきったのだ。
蝋燭塔の生み出す灮輝力がいかに膨大であるか、この出来事だけでうかがい知れる。
設計した張本人である皇帝賀琉は、分かりきっていた結果に感動もせず、淡々と命令を発した。
「主砲、並びに副砲を禍津に向けろ。手当たり次第に撃て」
三十門の三百センチ砲と、二百門の四十センチ砲がコンピュータ制御によって動き、周囲の禍津たちをロックオンする。
そして全方位に、同時に、徹甲弾を斉射した。
砲身からあふれ出す発射の爆発。
街のガラスにヒビを入れる轟音。
海面を抉るように広がった波紋。
たんに大質量を超高速で叩き付けるという原始的な攻撃であるにもかかわらず、あまりにも規模が桁外れであるがゆえ。全ての禍津がなすすべなく、弾け飛んだ。
人類を脅かす怪物、禍津。
その中でも大型に属する七十メトロン級が二十体以上も現れたというのに。
一隻の戦艦が一斉射しただけで、瞬時に決着。完全なる勝利。
「す、素晴らしい……」
「勝てるぞ! これなら白の大陸の禍津に勝てるぞ!」
あちこちから歓声が上がり、まるで新年を祝うパーティーのように手と手を取り合って喜んでいた。
だが賀琉はつまらなそうに正面スクリーンに映る禍津の残骸を見つめるだけだ。
そして、
――やはり禍津は灮輝力に反応して集まるか。まあ、殺し尽くす相手の情報など、今更無用であるがな。
仮説が正しかったことを確信すると同時に興味を失い、航海長にあとを任せ、艦橋を立ち去った。
纐纈城は白の大陸に進路を向ける。




