26 走った先に
琥珀は走った。
走るしかなかった。
本当はレイと一緒に戦いたかったのに。
役にたてなくてもいいから、戦いたかったのに。
無理。役に立たないどころか、本当に足手まといにしかならない。
レイはただでさえ灮輝力を失い、ちょっと普通より鍛えた人間になってしまっている。
そんなレイが、更に自分という重荷を背負ってしまっては、勝てるものも勝てなくなってしまう。
そう、勝つ。レイはきっと勝つ。
だって、追いかけるって言ってくれた。
相手が灮輝発動者でも、勝つ――
「勝てるわけ、ない……!」
琥珀は呟いて、唇を強く噛み締める。
あんなにボロボロの状態で。しかも相手はあんなに怖そうな人で。
そんな状況のレイを置いて自分は逃げるしかない。
だって弱いから。一番弱いから。誰の役にもたてないから。
頑張ろうとすると、かえって邪魔してしまうから。
「私、間違ってたかな……大人しく人造神で絞られてた方が、よかったかな……? 私が『助けて』って言ったせいで、レイも、この街も……」
艦砲射撃の音が止まらない。
あの蒼い壁――多分クライヴが造ってくれたシールドのおかげで街は無傷だけど、いつまで保つかは分からない。
周りに人の気配がないから、避難は順調に進んでいるらしい。
――私も、逃げたらいいの?
クライヴも、ミュウレアも、そしてレイも。
皆が戦っているのに。
自分だけ。何もせず。何も、出来ず。
ほんのちょっとでいいから、自分も誰かの力になりたい――。
なりたい? 本当に? なってたじゃない。帝都では。
人造神に繋がれて、絞られて、悲鳴を上げるだけで、人類に貢献、出来たじゃない。
そこから逃げ出したのは紛れもなくこの私。
あそこに残っていたら、弱くても、関係なかった。
ここには強い人しかいないから。頼ることしか出来ないから。
ああ、何て無力。ああ、何て贅沢。
守ってくれる人がいるという幸福に対して、守られているだけは嫌なんて。
「どうして、私なんかを、皆……守ってくれるんですか……! 私はきっと、皆みたいな力があっても、怖くて、何も、出来ない……ッ」
だって、ほら。
走って逃げることすら難しい。
息が上がって、脚が動かなくなる。
レイがあんなに必死に立ち上がって、逃がしてくれたのに。
自分は逃げることすらままならない。
愚図。無能。私に価値なんてないのに。
いっそここで死んでしまえば、皆が苦労しなくて済むのに。
帝國軍の目的が自分なら、死んでしまえば、きっと撤退してくれる。
いくら第四世代の再生能力が優れているといっても、首を切断してしまえば――。
と、そこまで考えたとき。
目の前を、黒猫が歩いていた。
商店街と漁港で出会った、あの黒猫さん。
街が大混乱に陥っているのに、マイペースにお魚くわえて、トコトコと。
無事だったんだ――なんて思ったのも束の間。
海の方から何かが飛んできて、近くにあったアパートの屋上に激突。
崩れた破片が滝のように落ちてきた。
黒猫さんの真上に、散弾みたいに。
「――危ない!」
ふと気が付くと、琥珀は走っていた。
黒猫を抱きしめて、自分の背中を盾にして、落ちてくる瓦礫から守る。
ドスドスドスと当たって、ザクザクザクと突き刺さる。
けど、大丈夫。貫通してないから。黒猫さんは大丈夫。
「……瓦礫、止まった……? 黒猫さん、ケガはないですか?」
「にゃーん……」
身を起こして黒猫を見ると。うん、生きていた。何ともない。
咥えていた魚はどこかにいってしまったけれど、それは我慢して頂戴。
「猫さん……早く逃げて……次に何が来るか……」
この街は戦場だ。
一秒後に生きていられる保証はどこにもない。
自分が死ぬのはどうでもいいけど。ううん、どうでも良くはないけれど。この猫さんには生きていて欲しいから。
「どうしたんですか? ……もしかして、脚が、折れた、とか?」
なかなか逃げようとしない猫に、琥珀は不安になる。
けど、そうじゃなくて。
ポタポタと流れる琥珀の白い血を見つめて、猫は心配そうに「にゃー」泣いて。
袖口から流れる血を、ペロペロ舐めてくれた。
そんなことをしたって意味がないのに。そんなことをしている場合じゃないのに。
「ありがとう猫さん……じゃあ、一緒に逃げましょう……私も頑張って走るから……」
私は弱いけれど。この子はもっと弱いから。私が守るんだと決意した。
刹那。
アパートの崩壊が本格化して、グシャリと潰れた。
さっきみたいに破片が落ちてくるのではなく、全て丸ごと崩れ落ちる。前にテレビで見た雪崩のように。
「猫さん……!」
もう一度、黒猫を抱きしめて。丸くなって。盾になって。
けれど、きっと無駄。
こんな小さな身体では、猫の一匹守れない。
駄目、それは駄目。
自分はどうなってもいいから。この猫を助けて。
誰か。お願いします。どうか。奇跡を。
「――助けて!」
琥珀は叫んだ。
と、同時に。
「――心得た!」
少年の声が。クライヴの声がとどろいて。
落ちてくるアパートの土石流、一撃で消し飛ばす。
「済まない琥珀。どうやらこのアパート、欠陥住宅だったらしい。あの程度で全崩壊するとは。領主として謝罪する」
「………………はぁ」
そのため息は、安堵が九割九分で。残りは、呆れ?
助けてくれた。絶対絶命のピンチに都合よく駆けつけて、格好良く助けてくれた。
なんて都合のいい人。
つくづくヒーロー。
世界に祝福されているかのように、徹底的に英雄。
「ありがとうございます、クライヴさん……猫さんを助けてくれて」
信じるしかない。疑う余地がない。
ミュウレアとレイがそんなことを言っていたが、今、やっとその意味を呑み込んだ。
この人は、別格。
この人の元に辿り着いたということは、それは勝利と同義。
「否、その礼には及ばない。俺が助けたのはあくまで君だ、琥珀。そして猫を助けたのは君である。ゆえに誇り給え。君は既に無力ではないのだから」
――ああ、何てずるい人。私、恋なんて知らなかったのに。こんなの、好きになってしまいます。
琥珀と再会したクライヴ。
彼は琥珀を守りながら五十嵐と戦うことができるのか!
次回「オーバー・キル」
お楽しみに(`・ω・´)




