24 私が守る
突如現われた敵はレイと琥珀に襲いかかり、突進してきた。
速すぎて人相が確認できない。
それでもレイは、相手が誰なのか理解した。
帝國広しといえども、この速度で動ける輝士は二人といない。
だからこそ、レイは琥珀を抱きしめた。
奴の蹴りは、直撃しなくても、衝撃波だけで体を切り刻んでしまうから。
「ぐっ、うぅッ!」
敵に背を向けて丸くなった、直後。
予測を超える衝撃が背骨を襲い、体が弾き飛ぶ。
目の前にあったコンテナに突っ込み、貫通して、それでも止まらず、レイと琥珀はボールみたいに飛んだ。
「きゃあっ!」
琥珀が悲鳴を上げる。
けれど、声を出せたということは、生きている。
抱きしめて、彼女に何も当たらないよう、破片の一つも触れぬよう守る。
内臓が裏返りそうな加速。
平衡感覚がまるで働かない回転。
進む方向にある建物や樹木の全てを破壊。
ようやく減速して地面に落下。摩擦で皮膚を研磨。
止まったときに、レイの体はボロ雑巾になっていた。
皮が捲れ、肉が見え、血が溢れる。
そんなボロ雑巾でも、何とか琥珀を守るくらいは出来たらしい。
地面に横たわったまま、腕の中の琥珀を見ると、血でベッタリ。
まさかケガをさせてしまった?
いや、違う。彼女の血は白い。これは全部、自分の血。
ああ、よかった――と安堵する。
琥珀の無事を確認して、やっと周囲を確認する余裕が出来た。
ここは、さっき買い物をした商店街だ。
造船所からここまで四キロくらいは離れているはずなのに。たった一発の蹴りで飛ばされてしまった。
よく生きてたな――と、レイは自分に感心した。
これも〝クライヴの真似をした〟おかげ。
人造神がなくても、時間稼ぎくらいなら、何とかなりそう。
そのことに安堵し、そして、震える琥珀の頬を、指先でそっと撫で上げる。
「申し訳ありません、琥珀様……大切な巫女装束を、私の血でよごしてしまいました……」
「な、何を言っているんですか! レイ、そんな、ああ早く傷の手当てを!」
琥珀はすっかり青ざめていた。
怖い、のかな?
痛い、のかな?
違う。きっと自分のせいだ。
自分がこんなにボロボロだから心配かけてしまっている。
けど、まだ。まだまだボロボロになるだろう。
だって敵は、よりにもよってアイツ。
万全だとしてもやっかいなのに、今のレイは灮輝力を使えない。
「お逃げ下さい琥珀様……奴は、すぐにやって来ます。私が、食い止めます、から……」
「何を言っているんです! こんな状態のレイを置いて逃げられるわけないじゃないですか! さあ、一緒に逃げましょう!」
琥珀はレイの腕を引っ張って、強引に連れて行こうとする。
けれど、体力のない琥珀では、レイの体を起こすのは無理だった。
だから自分で起き上がろうとしたけど。力、出ない。
血と一緒に抜けてしまったみたいだ。
情けない。敵がいるのに。琥珀が怖がっているのに。
自分自身が戦いたがっているのに。
結局、人造神がなければ何も出来ない小娘。
クライヴのようになりたい、なんて高望みはもうしないけど。
せめて、足元くらいには達していると思っていたのに。
「情けねぇ……ああ、情けねぇぞ、紅蓮花ァ。俺如きの一撃で昏倒かよ。つくづく俺らは人造神の奴隷だなァ、オイ」
そして、奴が現れた。
やけに攻撃的にまくしたてる、チンピラ口調。
元は黒かった髪をオレンジ色に染め、手の甲や首筋にタトゥー。
両耳のピアスは合わせて十を超え、唇にも穴を空けている。
シルバーアクセサリーをじゃらじゃらさせ、輝士団の制服を不良学生みたいに着崩した二十歳前後の男。
約四百人いる輝士団で最速とされる男。
――荒土京史郎。
そいつがアーケード街の天井を割って降り立った。
地面にドンと、膝を曲げることなく垂直に着地。
普通なら骨が砕けてしまう。
しかし灮輝発動者なら、苦にならない。
強度も、筋力も、五感も――おしなべて人外。
それが人造神と繋がるということ。それが灮輝力を使うということ。
天井から降りそそぐガラスを払いながら、京史郎はこちらを見た。
カエルを狙うヘビのように。
「こ、来ないで下さい!」
琥珀は、京史郎からレイを守るように立ちふさがる。
守る? 演算力と再生力があるだけの少女が、灮輝発動者からレイを守る?
無理。不可能。
そもそも、理屈を抜きにして、京史郎の見た目が既に剣呑だ。
暴力を振るうことにためらいがないと宣伝しているような外見である。
なのに琥珀は間に立ったのだ。
小刻みに震えながらも、両腕を広げて壁になって。
京史郎から視線、そらさない。
「へぇ、随分と感情豊かな巫女様だ。調整されていないと、まるっきり人間だなァ。守りたくなる気持ちも分かるぜ、紅蓮花。だがな……後先考えろや。帝國を敵に回して、この世界でどうするんだよ、無謀ってレベルじゃねーぞ。なぁ、アンタもそう思うだろ、巫女様よォ?」
京史郎はヘラヘラと笑い、しかし正論を吐いた。
無謀ってレベルじゃない。
ああ、全くその通り。
ただのチンピラのように見えて、物事を正確に見抜いているのだから油断できないのだ。
レイが琥珀を連れ去った理由が、野心や政略の類いではなく「守りたかったから」だと見抜いている。
荒土京史郎は、見た目どおり凶暴であるが――しかし狂人ではないのだ。
理性的に状況を把握し、対処し、対応してくる、戦士である。
「琥珀様……退いて下さい……あいつは、私が足止めします、から……!」
動かなかった体を動かし、立たなかった脚を立たせ、レイは琥珀の肩を叩く。
「で、でも!」
「でも、ではありません! 足手まといなのです!」
そう、言うしかない。
守りながら戦うのは絶望的だから。
せめて、自分だけが死ぬように。琥珀だけは生き残るように。
怒鳴って、突き放す。
かばってくれた琥珀を押しのけて、京史郎の前に立つ。
彼女の肩を叩いて、あっちに行け、と。邪魔だ、と。
目を向けず、背中だけ向けて。
腰の刀をぬいて、余力もないのに構えて、形だけは戦う振りをして。
「ははッ! 紅蓮花のいうことを聞けよ巫女様。アンタはマジで邪魔だ。追いかけねーから、ま、せいぜい頑張って逃げな。俺の狙いは紅蓮花なんでなァ。巫女様のことは、誰か別の奴が捕まえてくれんだろ」
京史郎は指の骨をならしながら、ゆっくりとゆっくりと、歩み寄ってくる。
「レイ……」
「琥珀様! 早く!」
本当に、早く。
お願い、困らせないで。
「安心して下さい! ちゃんと勝って、追いかけますから!」
そう嘘を付いて。すぐに分かるような嘘を付いて。
走ってと、願う。
「わ……分かりました……けど、死んでは、駄目ですよ! 追いかけてこなかったら、許しませんよ!」
「はい。もちろんです。私だって、琥珀様とずっと一緒にいたいですから」
本当に。あなたにはずっと生きていて欲しいから。
「レイ……!」
最後にそう呟いて、琥珀は走っていった。
残ったのは、灮輝発動者と、満身創痍の自分。
さあ。精一杯、時間を稼ごう。
命、尽きるまで。




