02 再会の約束
クライヴは校門を出ようとしていた。
両手にトランク。中身はほとんど書物。本当はこの三倍はあるのだが、暗記してしまったので、図書室に寄贈してきた。
少々惜しい気もするが、持って帰るには多すぎる。誰かに読んでもらえる可能性があるのなら、捨てるよりも、ずっといい。
もう二度と、この學園に来ることもないだろう。
そう思いながら、敷地の外へ、一歩踏み出そうとした。
瞬間、呼び止める少女の声があった。
「待ちなさい、クライヴ・ケーニッグゼグ!」
激しい声。けど、美しい声。
振り向けば、声と同じように、激しい怒りを浮かべた少女が、けれど美しい少女が一人、息を切らせて立っていた。
黒く艶やかな髪をポニーテールにまとめ、學園の制服に身を包み。朧帝國の象徴的な武器『刀』を腰にぶら下げた焔家の長女。
レイ。
この學園で、この帝國で。クライヴが尊敬するたった一人の人。
「アンタ、このまま退学でいいの!? 納得できるのッ? 私は……私は納得できないわ!」
飛び出した言葉は炎のよう。
クライヴを、この學園を、全て焼き付くような烈火の言葉だ。
なにせ彼女の二つ名は『紅蓮花』。
人造神から送られる灮輝力を炎に変えることにかんして、他の追随を許さない。
この學園の生徒だけでなく、おそらくは正規軍を含めても。
今だって、ほら。
彼女の周りにチリチリと火の粉が舞っている。
溢れ出した感情が、勝手に炎を作り出しているのだろうか。
涙がすぐに蒸発するほどに。
「……泣いて、いるのか?」
「な、泣いてるわけないでしょ!」
そう叫んで、レイは目尻を拭い、火の粉をより激しく散らす。
焔レイが泣く?
クライヴに負けても泣かなかったのに。何度叩きのめしても泣かなかったのに。
父親が禍津に殺された日ですら泣かなかったのに。
どうして、今、泣いているのだろう?
「俺が退学になったと、誰から聞いた? 俺自身、ほんの二時間前、理事長から言われたばかりなのに」
「その理事長よ! この私のトレーニングを中断させてまで呼び出して……何て言ったと思う? クライヴ・ケーニッグゼグは素行不良で退学になったって。だから神威武会の優勝者は私だって。この學園で一番強いのは私だって。そうほざいたのよ! 納得できるわけないじゃないっ!」
レイの感情は、もはや火の粉ではなく炎そのものとなってアスファルトを焦がす。
そんな熱でも気化しきれない量の、大粒の涙が、ポロポロとこぼれた。
「どうして理事長に従うのよ! 殴りつけてやればいいじゃない! ……いいえ、アンタが納得して出て行くならそれでいいわ。けど、その前に。もう一度私と戦いなさい! 今、ここで!」
そう訴えるレイはとても儚くて、同時にとても美しく――
強かった。
灮輝力が眩いほど溢れ出す。
昨日の決勝など比べものにならないほど。
戦うことが出来たなら、今までになく面白くなっただろう。
けれども。
「済まない。俺のアカウントはもう、抹消されたんだ。もう君と灮輝発動者として戦うことは出来ない」
それが現実。
それが帝國。
ゆえに退学。
ゆえに抹消。
少年少女に抗うすべはない。
「私、まだアンタに勝ってないのよ。別に一番になりたかったわけじゃない。アンタに……クライヴに勝ちたかったのに!」
「レイ……」
ここまで言われてしまえば、鈍感なクライヴでも気が付いてしまう。
自分が泣かせてしまったのだと。
少女を泣かせてしまったのだと。
だから荷物を捨てて、炎をまとった彼女に両手を伸ばし、その頬を包み込む。
「え、ちょ、クライヴ! 駄目よ、火傷しちゃう……!」
「しないさ。泣いている女の子に触れたって、火傷するはずがない」
炎の中で指を動かし、レイの涙を拭った。
すると、ほら。
炎が消える。
火傷はない。
「レイ。俺は學園を去る。それは理事長や権力に屈して去るのではなく、自分の選択として出て行くんだ」
「じゃあ、未練はないの? 灮輝発動者になって両親の仇を取るって言ってたじゃない。いつか一緒に禍津と戦おうって言ったじゃない。私との約束はどうでもいいの!?」
「この學園に未練はない。もう二度と帰ってこない。けど、君には未練がある」
「……え?」
「さっきまで、神威學園で得たものは何もないと思っていたけど、違うな。それは間違いだった。レイに会えたから。ああ、その一点だけで、神威學園に来て本当に良かったと思える。俺だってもう一度、いや何度だって君と戦いたい。ともに禍津に挑みたい。だから學園には戻らないけれど、いつかきっと、君の前に帰ってくる。約束は必ず守る」
そうだ。守るし、護る。
彼女も、祖国も、世界も。
禍津という脅威から、必ず。
そのために強くなりたい。その強さはここにはなかった。
だから構築するのだ。強さを顕現させるシステムを。
「けど、人造神のアカウントを消されたら、もう何をやっても灮輝力が使えないじゃない……」
「俺を誰だと思っている? クライヴ・ケーニッグゼグだぞ。灮輝力が使えなくなった程度で諦めるとでも? 見くびられたものだ」
そこはだけは、本当に悔しかったりする。
この二年、クライヴが――いや、二人が追い求めてきた〝強さ〟とは、そんな簡単なものではなかったはず。
諦める? どうやって? 逆に無理。どうやっても不可能。
「……言うじゃない。じゃあ楽しみにしていてあげる。いつか再会したとき、もちろん、勝つのは私なんだけど、クライヴがどんな方法で強くなっているのか」
「ぬかせよ。勝つのは俺だ。次に会ったときレイがどの程度に成長しているか、楽しみにしていてやる」
笑い合って約束を交わす。
場所も期日も決めていないのに、それで十分だった。
だって自分は強くなるから。
だってレイも強くなるから。
それをどこまでも突き詰めていけば、いつかきっとどこかで道が交わる。
再会は必然。
まるで運命のように。
まるで物語のように。
むしろ避けがたいであろう未来を確信して、二人は一時の別れを受け入れた。
最終目標はどちらも同じ。
この人間界から禍津を一匹残さず、狩り尽くす。
そのために――。