14 タコ焼き
「ミュウレア。あの食べ物は何ですか?」
大通りを歩いていると、とある屋台の前で琥珀が立ち止まった。
「ああ。あれはな、タコ焼きという食べ物だ」
「はぁ、タコ焼き……確かに看板にそう書いてありますね」
琥珀が見上げる先には、筆で書かれた「タコ焼き」という文字と、デフォルメされたタコのイラストがあった。
「そうか、琥珀はタコ焼きも食べたことがないのか。よし、ならば妾が奢ってやろう! 特別だ、全員分だ!」
ミュウレアはそう自信満々に宣言し、胸を張ってタコ焼き屋に並ぶ。
王族で、しかも資産家のくせに、なぜタコ焼きを奢る程度のことであれほど胸を張れるのか。
クライヴはときどき、自分の国の王女殿下がアホなのではないか、という疑惑に襲われる。
いやいや。そんなことを思ってはいけない。
なにせクライヴが帝國にいた間、ミュウレアがこのケーニッグゼグ領を守ってくれていたのだから。
もちろん、クライヴに代わり政治を行なう宰相はいる。
しかし、あの宰相は優秀ではあるものの、既に七十歳を過ぎ体力的な問題があった。
更に、ケーニッグゼグ領には、十年前の爪痕がいまだ残っている。
そんなケーニッグゼグ領がクライヴの不在時に大過なく治まっていたのは、ひとえに、ミュウレアが父である国王にかけあい、便宜を図ってくれていたからだ。
ゆえにクライヴは、ミュウレアに恩義がある。
本来なら頭が上がらない。
だが、しかし――
「ねえ……アナタの国のお姫様ってアホ?」
ほら。帝國最強輝士にも言われてしまった。
王女の友人として、ガヤルド王国の貴族として、クライヴは王室の名誉を守るために沈黙する。
「店主、タコ焼きを四人前だ!」
「おお、これは姫様。毎度ありがとうございます」
「うむ、店主の作るタコ焼きは美味しいからな。ガヤルド王国一だと妾は思っているぞ!」
「ありがとうございます。しかし、今日は公爵様とのデートではなく、他にもお客さんがいるようですね……」
と、タコ焼き屋の店主が、こちらに視線を向ける。
そしてレイと琥珀を見て、顔に緊張を走らせた。
「帝國輝士に、巫女さん……!?」
当然の反応だろう。
なにせ輝士とは対禍津の切り札。世界の最大戦力とさえ言われていた。そんな輝士の制服を着た者がいたら、誰だってギョッとする。
巫女もまた、人造神の制御ユニットであるのは周知の事実。
そんな超重要人物がどうしてここに――店主の目はそう訴えていた。
実際、さっきからすれ違う人々がチラチラ視線を向けてくる。
それでも騒ぎにならないのは、クライヴやミュウレアが一緒にいるからだろう。公爵と王女がセットなら、何らかの公務に見えなくもない。
更に言えば、レイも琥珀も見目麗しい少女であり、そこに恐怖感を持つのは、いささか困難であろう。
「安心しろ、店主。二人とも、妾の友達だ。ただたんに、友達に行きつけの店を紹介したいだけだ」
ミュウレアの言葉に、店主は胸を撫で下ろす。
それにしても、行きつけのタコ焼き屋があるというのは、王族としてどうなのだろう。
好意的に解釈すれば親しみやすいといえるかもしれないが――
「あれ? 財布がないぞッ!」
そしてミュウレアは、ドレスの袖の中を手を入れ、ゴソゴソと探し始める。
それから足元に落ちていないか見回す。
「ない! クライヴ、お金貸してくれ!」
沈黙が流れる。
店主も、クライヴも、レイも――そして琥珀ですら、冷たい視線をミュウレアに向けた。
「あの……もしかしてミュウレアって、その……アホ、なんですか……?」
「そうだ。アホなんだ。しかし姫様がアホなだけで、ガヤルド王国人全てがアホなわけではない。そこは覚えていてくれ」
クライヴは国の名誉を守るため、そう言わざるを得なかった。
△
一同は海沿いの公園に行き、そこでテーブル付きのベンチに座り、買ってきたタコ焼きを広げた。
ガヤルド王国は観光業が盛んであるがゆえ、環境への配慮も行き届いている。
工場からの排水、排気には厳しい規制がかかっており、そのお陰で空気も水も綺麗だった。
今、クライヴたちの目の前に広がる海も、透き通っている。
特に浜辺付近は、光の屈折がなければ、それこそ〝何もないのでは〟と思ってしまうほど。
白い砂がそのまま見える。
陸に近いところはエメラルドグリーンで、沖に行くほどコバルトブルーに染まっていく。
空は青い蒼い快晴。
そんな心地好い世界に、ミュウレア女王殿下の声が響く。
「妾の奢りだぞ! よく味わって食べるがいい!」
奢りと彼女は言うが、結局財布は見つからず、代金を立て替えたのはクライヴである。
にもかかわらず――
信じがたいことにミュウレアは自慢げだった。
「どうだ琥珀。美味しいだろう?」
「うん! 本当に美味しいです!」
そして琥珀は素直に感謝し、頬を膨らませてモグモグと可愛らしく微笑む。
「確かに、このタコ焼きは美味しいわ。帝國のよりレベル高いかも……」
レイも感心したように頷き、タコ焼きを口に運ぶ手を休めない。
「あれ? タコ焼きって帝國でも売っているんですか?」
「はい琥珀様。というより、帝國が本場なんですけど」
「ええ!? そうだったんですか! こんなに美味しいものがあったなんて……レイ! どうしてもっと早く教えてくれなかったんですか!」
「え、そんなことを言われましても……!」
琥珀がプクーと頬を膨らませて拗ねると、レイは本気で慌てた顔を浮かべる。
それを見た琥珀は、一転してクスクスと笑い出した。
キョトンとするレイを見て、ミュウレアも笑い出す。
「あははは。レイ、お前どんだけ真面目なんだ? しかし琥珀もやるじゃないか。最強輝士をからかうなんて。見直したぞ」
「えへへ。ちょっとふざけちゃいました」
そう言って琥珀は舌をペロリと出す。
「もう、琥珀様! 一体どこでそういうことを覚えたんですか!」
「ごめんなさい。だって、海を見ていたら楽しくなってしまって。レイなら、からかっても許してくれるかなぁ、って。あれ……もしかして、本気で怒っていますか?」
唇を尖らせていたレイを見て、琥珀は表情を曇らせる。
しかし、怒っているはずもなく――
「いいえ……いいですよ。琥珀様が楽しければそれで。私はいつでも犠牲になりましょう」
レイが諦めたように肩を落とすと、琥珀はやっと自分の言葉が〝許される範囲〟だと理解したらしい。
口の前で両手をパンッと合わせて、またニコニコと笑う。
「よかった。では、これからもよろしくお願いしますね! 実は前からレイはいわゆる〝弄りやすい性格〟なのでは、と思っていたんです!」
「はぁ……琥珀様が明るくなられて私も嬉しいです……でも、たまには私以外の人を弄ってくださいね」
「ええ、たまには!」
琥珀の追撃に、レイは苦笑いだ。
そんな彼女らのやり取りを見て、クライヴも心を和ませる。
昨日初めて見たとき、クライヴは琥珀にとても大人しい印象を持った。
いや、大人しいというより、全てに脅えているという感じだった。
それが一夜明けて、こうして外に出て見ると、見違えるほど活発に喋るようになる。
そんな琥珀の変化にレイも嬉しそうで――言葉で弄られることなんて、本当は全く気にしていないはず。
きっと、これが琥珀の本来の性格なのだろう。
昨日は緊張していたのかもしれない。
それに――巫女という重圧からも解放されている。
この星の電力を担う人造神。その制御を行なう『巫女』という生体ユニット。
彼女たちがそれ専用に作られたとはいえ――脳に多大な負荷がかかってしまう。
まして、新型である琥珀は演算だけでなく、燃料の供給も行なっているという。
昨夜、琥珀本人の口から説明を受けた。
第四世代型。
その初号機。
それが今、タコ焼きを美味しそうに頬張っている銀髪の少女。
第四世代型の特徴は、その体内に『白い血』が流れていることだ。
白い血――それはつまり、禍津の血。
もともと、巫女とは遺伝子操作の結果生まれた存在である。
コンピュータの演算能力に、人間の思考能力を合わせ持った、人造神の部品。
そこに禍津の遺伝子を混ぜることにより、燃料供給まで可能にしたのだ。
超再生能力により、ほぼ無限に燃料が湧いてくる。
禍津と戦うためには人造神が必要だが、人造神を動かすには禍津が必要というジレンマ。
第四世代型巫女は、それを乗り越えることが出来る。
画期的な存在。画期的な部品。
画期的な少女。
そう、少女。
姿形も、人格も、琥珀は少女そのものだった。
なんて愛らしい。
なのに帝國は、その覇権のため、琥珀を絞るのだ。
「私から『白い血』を取り出すために、絞るんです。雑巾みたいに。手足を装置に固定して、逆方向に……痛くて痛くて、気絶してしまいたいのに。死んでしまいたいのに。私の脳は機械に繋がっていて、人造神を動かすため、勝手に、自動的に、演算を始めるんです。まるで自分が自分じゃなくなったみたいに、私は演算を続ける……でも痛みはハッキリしていて、人造神から解放されたあともその気持ち悪さは残っていて……!」
そこまで語ると、琥珀は震え始めた。涙を流して、嗚咽して、慟哭する。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい、と。そう叫んだ。
クライヴが知る限り、通常の巫女は、その精神まで調整されている。
演算によってどれほどの負荷がかかろうと、それを苦しいと感じることなく、死ぬまで人造神に仕える。それ以外に存在意義を持たない。
なのにどうして、琥珀はこんなにも普通の少女なのだろう。
ああ、理由は分かっている。
試作機だから。
まだ調整が上手くいっていないから。
だから琥珀は自我を持っている。
一番過酷な巫女なのに、一番人間に近い。
これほど残酷なことがあっていいのか。
クライヴが言いようのない怒りを感じて拳を握りしめると――
一緒に聞いていたミュウレアが、そっと琥珀を抱きしめた。
いつものふざけた雰囲気は消え、まるで聖母のように、優しく、しかし力強く。
「大丈夫。大丈夫だぞ琥珀。ここは帝國ではない。ここに人造神はない。もう、お前は演算しなくていい。絞られなくていいんだ。だから、な? 泣かないでくれ。きっとレイだって、琥珀に泣いて欲しくないから、ここまで連れてきたんだ」
「本当ですか? 私はもう血を絞られないの?」
「ああ、大丈夫だ。妾が守る。クライヴも守る。あのレイという輝士だって。ああ、だから琥珀。もう大丈夫なんだ。心配することなんて、何もないんだ」
姉のように。母のように。友のように。
今日始めて出会った琥珀をなぐさめるため、ミュウレアは全霊で抱きしめていた。
クライヴがミュウレアを尊敬するのは、こういうときだ。
普段はお調子者であるが、いざというとき、彼女は王女の風格を放つ。
間違いなくミュウレアは、人の上に立つ器だった。
そんなミュウレアの抱擁で不安が和らいだのか、琥珀の震えが少し治まった。
まだ瞳には怯えの色があったが、恐慌状態は脱していた。
「でも、守るといっても……相手は帝國……勝てません、よ? だから――」
勝てません。
だから。
だから、何だ?
そんな琥珀の何気ない一言に、クライヴは反応してしまった。
大人げなく。子供っぽく。
「どうして俺たちが帝國に勝てないと思うんだ?」
小さな少女を相手にするには威圧的すぎるほどに、クライヴの口調は固いものだった。
それでも、止められない。
勝てないと言われるのは、クライヴにとって最も耐えがたいことだから。
「え、どうしてって……え、え? だって……朧帝國、なんですよ!?」
「それがどうした。俺はクライヴ・ケーニッグゼグだ。不可能など何もない」
断言してやった。
誤解の余地がないように、はっきりとした断言だ。
クライヴは勝つ。帝國にも。禍津にも。
琥珀が心配することなど、何もない。
「俺は既に、君を守ると宣言したんだ。男に二言はない。それに疑いを挟むなど、失礼千万。俺と俺の仲間の前に立ちふさがる困難は、俺の神滅兵装が完膚無きまでに打ち砕く!」
勢い余って、かなりきつい口調になってしまった。
クライヴは自分でも反省し、更にミュウレアにたしなめられる。
「おいおいクライヴ。お前、琥珀を元気づけているのか? それとも威圧しているのか?」
「いえ……その……つい。帝國如きに俺が負ける可能性をほのめかされたもので。別に怒っているわけではない。すまなかった琥珀。謝罪する」
クライヴは自分の過ちを認め、琥珀に対して頭を下げる。
すると、さっきまで脅えていた琥珀は、口をあんぐり開けて、不思議な生き物を見るような目をしていた。
「はあ……あの……こちらこそよろしくお願いします」
琥珀もクライヴと一緒に頭を下げて、まるでお見合いみたいになってしまう。
それから琥珀はだいぶ落ち着いて、ミュウレアにくすぐられて怒ったり、一緒にクッキーを食べて笑ったり――。
琥珀の色んな一面を見るたびに、どうしても守りたいと思ってしまう。
レイと戯れたり、タコ焼きを食べたりする琥珀が、愛おしい。
それは無論、クライヴだけの想いではない。
レイも、ミュウレアも。きっと同じ。
朧帝國は、確かに人類に貢献している。
そのやり方に賛否はあるが、帝國のお陰で文明の進歩が加速した。
それは事実であるが――
琥珀のような女の子を犠牲にした進歩など、願い下げだ。
「ん? どうしたクライヴ。難しい顔をして。クライヴだけに暗いのか?」
ミュウレアは、クライヴのタコ焼きに勝手に串を刺しながら言う。
「姫様。そういうつまらないダジャレはやめた方がいいですよ。ガヤルド王家の品位に傷が付きます」
タコ焼きを奪われた仕返しに、クライヴはそう言い返した。
「な!? そんなにつまらなくなかったよな? な、琥珀っ?」
ミュウレアは狼狽し、琥珀に助けを求める。
「え、えっと……あはは……」
しかし琥珀もミュウレアのセンスに付いていけなかったらしく、作り笑いで誤魔化していた。
「お、おい琥珀!」
「王女殿下。琥珀様に詰め寄るのはやめて下さい! つまらないものはつまらないんですよ!」
「ほあぁ!? レイ、お前、王女に向かって何てことを言うんだ! 不敬罪だぞ!?」
「私は帝國の人間ですから。ガヤルド王国の王女に何を言っても、不敬罪にはなりません」
レイもミュウレアをこき下ろし、あげく、国が違うから何を言っても許されるとまで理屈をこねた。
それでこそ紅蓮花。
死闘でも、口喧嘩でも、彼女は負けるのを好まない。
しかし、それはミュウレア王女殿下も同じこと。
負けず嫌いではいい勝負だった。
「何が帝國の人間だ! ガヤルド王国に亡命してきたくせに! お前、脱走輝士だろ!? そういうのを何と言うか知っているか? ニートっていうんだぞ!」
「なっ、ニートですってッ!」
レイのこめかみに、青筋が浮かび上がる。
「やーい、ニート! この無職!」
「ぐ、ぐぬぬ……王族だと思って遠慮していれば……もう許さない! このチビっ子がァッ!」
「わはははは、ニートが怒ったぞ!」
ミュウレアはドレスを翻し、海に向かって逃げていく。
そのあとをレイは追いかける。
走り出した二人の勢いで、まだ食べかけだった琥珀のタコ焼きが、砂の上に落ちてしまった。
「あっ! ああ……ああああああっ!」
とてもとても美味しそうに食べていたのに。
憐れな琥珀のタコ焼きは、砂まみれになってしまった。
もう、食べることは出来ない。
「な、何てことを……レイ! ミュウレア! 許しません!」
琥珀からプッチーンという何かが千切れる音が聞こえた。
そして琥珀も、巫女装束と銀髪を揺らして、追いかけっこに加わった。




