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拓雄

お盆も過ぎたというのに日中の暑さはかなりものである。中国地方の夏は長い、と青年は感じた。

ふと故郷の東北が懐かしくなった。半袖シャツで汗まみれになって歩道を歩いていると、照り返しの熱気と車の排ガスの臭いでむせ返るようだった。

やがて角を曲がって、やや年代を感じるビルに入る。青年の勤めている会社だ。古びてはいるが、外観はよく手入れされて駐車場はもちろん、目の前の公道も社員の手できれいに清掃されていた。

「ただいま帰りました」

青年は大きな声でドアを開けて屋内に入った。数名の女子社員が顔を上げて顔をほころばせた。奥にいる年配の男性、そしてそばに立って話しかけている50代の男性も笑顔を見せる。

「お疲れ様でした」「おかえりなさい。暑かったでしょう」口々にねぎらいの声をかける。うわべだけでない心からの思いが伝わってきた。

「ああごくろうさん」

奥の席でパリっとした作業服を品よく着こなした初老の男性がにこやかに笑った。青年はその席へまっすぐ近寄って声をかける。

「ただいま帰りました社長」続いて青年は隣に立っていた男にも挨拶した。「無事戻りました専務」

「どうだったね出張は」

聞かれて青年は簡潔に答える。思いのほかうまく行ったこと。新規の契約もとれて上首尾にすんだこと。聞いている社長と専務は満足気な表情で頷いた。

「やっぱり君に来てもらってよかった。わざわざ遠くからから呼んだかいがあったよ」

専務が親しげに肩をたたいた。

「いいえそんな」

「だいぶこっちの生活にも慣れただろう。夏季休暇にも帰らず5月からずっとだものな」

「ええ、まあ」

「それにしてもせっかく慣れたのに、あとひと月とは寂しいよな。突然入院した営業課長の代わりをよく努めてくれたよ。営業課長も来週には無事退院だ。長期出張も今回が最後ってわけだ。本当にご苦労様」

「なんだったら、ずっとこっちにいてもいいんだよ。営業課長も復帰早々は本調子が出ないだろうし、そのサポートをしながら営業二人体制で行ってもいいんだよ」

社長が専務のあとを引き継いで青年に声をかける。その言葉に困ったような表情で言葉に詰まる青年に後から声がかかった。

「ダメですよ社長。向こうの工場長にウチの人間を早く返してくれって、何度も言われてるんですから」

若い女子社員が咎めるように言った。

「社長には直接言いづらいからって私達にしつこく話すんですよ」

さらに別の女子社員があとをつづけた。そして年配の女子社員も「それに家族の人や恋人が首を長くして待ってるでしょうに」とニヤついて言った。

その言葉に顔を見合わせた社長と専務が青年に顔を向けた。

「そんな人がいるのかね近藤君」

社長が目をむくように詰め寄って訊いた。

「ぜったいいるわよね。拓雄くんカワイイから」

年配の女子社員が口をはさむと、他の女子もどっと笑った。

困ったような顔をして拓雄と呼ばれた青年は口角を上げて俯き加減で笑った。

社長がいっとき残念そうな表情をしたが、すぐに満足そうに頷いていた。


会社の西側の駐輪場。拓雄は丹念に自転車をチェックする。一週間ぶりの自転車。出張中は、事故を懸念する社長の指示で、タクシーの使用が原則だった。経費節減やエコの流れで、営業マンに自転車を奨励する会社も多い中、社員の安全には気を使う社長の気持ちがうれしくもあったが、少しうとましくも思えた。

「よし、まだ日も高いしちょっと行ってみるか」

チェックを終えて自転車にまたがる拓雄。まだ終業時間前だが、出張疲れを気遣う社長の言葉で早く帰れる事になった。

拓雄の務める会社は作業服の生産がメインの中小メーカーである。品質もよく、得意先も多い。4月に急病で入院した営業の穴を埋めるべく、急遽、地方の工場の営業だった拓雄が呼ばれたのが5月。2ヶ月の出向の約束が、営業課長の術後の回復が思わしくなく、戻るのが伸び伸びになって、いつの間にかお盆も過ぎてしまっていた。その間、拓雄は一度も地元へ戻っていない。

だが拓雄はさほど残念がらなかった。この地方は雨が少ないので夏の暑さを除けば自転車乗りには嬉しい限りだ。ずっとこちらで過ごすことも夢想した。だが拓雄にはどうしても故郷にひとつだけ気にかかる事があった。今すぐにも戻りたい気持ちは、常に心の底にあった。だがそれもあと一週間。帰ったらまずどうしようか、想像が広がる。こころが浮き足立っていく。ペダルを回すのが早くなっていく。

大通りに出て、自転車通行帯を走る。自転車通行帯がきれいに整備されているこの街を拓雄は気にいっていた。この地方は自転車の利用者は全国でも高い。故郷の町と比べるとその差は歴然だ。自転車先進都市を目指しているだけはある。

「ずっとこっちにいてもいいんだよ」さっきの社長の言葉が心に反芻する。

まだ日が高い。川沿いに走って岡山城にいってみようと拓雄は思い立ちそのまま直進する。 大きな交差点を直進しようとしたその時、右折する車が拓雄の目の前に突然現れた。携帯電話を耳に当てながら、引きつった顔で急ブレーキを踏むドライバーの顔が見えた。拓雄も反射的にブレーキを掛けた、同時に腰を思い切り落とす。それでも前輪がロックして後輪が浮き上がった。次の瞬間、車の左側ドアに自転車が衝突した。

前輪のホイールが潰れてそれを支点に後輪が跳ね上がる。拓雄の体が放り出されて宙を飛んだ。

地面が離れていくのが拓雄の目に見えた。

市内中に響き渡りそうな悲鳴を通行人が上げた。

次の瞬間、焼けたアスファルトの上に、拓雄の体が大きな音を立てて落ちてきた。

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