ヒルクライムレース(終章)
学生時代に同じ寮の先輩の影響を受け、自転車に乗り始めてから10年。その間、ひと月以上も自転車に乗らないなんてことはなかった。真冬のいてつく寒さの中でもひたすら走ってきた。そんな拓雄にとっては、今回の入院は拷問に近いものがあった。さらに出向してからというもの、慣れない仕事で忙しく、自転車にのる時間がめっきり減っていた。さらに地元にいた頃は変な女の子に付き合って、いつものペースでは練習できなかった。自転車を初めて以来これほど乗れていない年もないだろう。
退院しても、医者からは当分無理しないようにとも言われていた。いつもの拓雄にとっては遊びに等しいヒルクライムにエントリーしたのも事故によるブランクのせいばかりではなかった。
とりあえず前日の試走の限りでは問題ない、思ったより脚力は落ちていないことが確認できた。今回はタイムは気にせずのんびり走ろうと拓雄は決めていた。
ホイッスルとともに飛び出す。レース開始だ。
前日に考えていたペース配分のとおり、きつい勾配のある前半さえ無理せずにこなせば、多少のアップダウンのある後半も楽にクリアーできる。以前は力任せに走り抜けていた坂道も、ゆっくりとひたすら足を回すことに集中する。
ひたすら速さだけを追求していた拓雄の走りが最近変わりつつあった。速さよりも変わりゆく景色や風を感じて走るほうが楽しく感じてきたのは誰かの影響なのか。川沿いの風景を楽しみながら走る。もともと優勝してナンボのレースではない。新しいクロモリフレームは拓雄のそんな気持ちにやさしく反応してくれた。
川沿いの景色が拓雄の地元の風景を思い起こさせる。今でも同じように川が流れているのだろう、田は稲刈りは終えただろう。ふと、川沿いの土手を走る女の姿を思い出す。二ヶ月もの間一緒に走った。どうしているのか今頃。もしかしてすでに自転車には飽きているのか、事故を起こしてはいないか、想像が広がる。
急な出向、引っ越し、なれない土地での生活、いろいろな手続きに忙殺されて、その女に連絡するのも忘れて気づいた時には数週間も経っていた。悪いとは思ったものの、向こうからの連絡も一切なかった。女にとってはただのトレーニング相手だったのだろう、かなり自転車には慣れてきたようだった。自分はもう必要ないのだろう。毎日いっしょに走るうちに、今までにない不思議な感情が拓雄に生まれていたが、それももうせんないことなのだと、感情を体の奥に仕舞いこんでいた。
そんなことを考えているうちに、いつの間にかコースも終盤に入っていた。サイコンの数字を確認する。残りは2キロも無いだろう。スピードや順位が全てではない、と思いつつも、そこそこのタイムが出ていることを確認すると拓雄に欲が出てきた。ーーもうちょっと前に出てみるかーー幸い少しなだらかになってきたところだ。まだ余裕のある足に力を込める、ギヤを一段重くする。すぐ前方を走る自転車は体力の限界なのか少しふらついていた。頭は垂れて下を向いていた。少しずつ車間が狭まる、追い抜こうと右側に寄ったとき前車がいきなり目の前をふさいだ。
フラットかやや下り気味の道だ。そこそこのスピードは出ていた。レース中の急なコース変更はマナー違反だが、技量も知らない選手の後にぴったりついたのはまずかった。とっさに逆に車体を倒して前車をかわそうとした。うまくかわせたかと思った瞬間、銀色に光る細い円筒形のものが目の隅に映った。
インフレーター、小型の空気入れだ。自転車のフレームに取り付けてあったのが、取り付けが悪かったか、取付部位が緩んででもいて走行中に落ちたのだろう。前車はそれに気付いてあわてて右に寄って避けたがすぐ後を走る拓雄の自転車の後輪は、車体を倒したままそれに乗りあげた。後輪が浮いた。
「くそ、こんな時に」
反射的に浮いた車体を立てなおそうとするが、それより早く、勢いづいた車体は拓雄を載せたまま道路にスライディングした。拓雄の尻がアスファルトで削られて熱くなった。
ギャラリーのざわめきが聞こえた。
膝がガクガクしていた。いくらペダルを踏もうとしても、車輪がロックでもされているのかと感じられて思うように動かない。立ち漕ぎをしようと試みても、足に力が入らず、ぺたんとサドルに尻餅をつくように座り込んでしまう。ここまで来てそんな・・・・美空は唇を噛んだ。唇に違和感を感じた。汗で接着が弱くなった口ひげが唇にかぶさっていた。グローブで拭くと簡単に剥がれ落ちた。
近年のヒルクライムでは、重いギヤで力まかせに漕ぐのではなく、軽いギヤでクルクル回していくのが常識だ。それによって持久力のある遅筋を使いながら体力を温存させ、疲労もたまりにくく、長い坂でもなんなくこなしていける。
ちからの源であるグリコーゲンを温存しながら体内の脂肪や糖分を有効に使って走るのだ。だからこそヒルクライマーの足は、瞬発力を必要とする競輪選手と違って細くしなやかだ。
美空もセオリーどおりに軽いギヤで目一杯回してここまで登ってきた。スプロケットーー後輪についた歯車もこのレースのために杏奈の彼が選んでくれたものに付け替えてある。快調にシフトチェンジを繰り返しながら登ってきた。しかしここへ来て太腿の筋肉痛が酷くなっていた。他の選手が速すぎた。ペースを守っているつもりが、周りにつられてついついオーバーペースになっていた。そればかりでない、問題はコースのアップダウンの多さだった。平均勾配2,6%、あくまで平均の数字。ゴールまでそのなだらかな勾配が続くわけではない。激坂が有り、平坦な道があり、下りも有りの繰り返しだ。クルクル廻すペダリングを意識しながらも、きつい勾配ではついムキになって漕いでしまっていた。すると一気に疲れが汗とともに噴き出してくる。疲れが癒えないうちに、また次の坂が迫ってくる。
「なんでもっと平坦にならしておかないの」ひとり毒づきながら必死で坂を上がる。疲労は蓄積されていく。太腿の疲れをカバーするため引き足にちからを入れてみるが、今度は膝の裏が痛み出してくる。もう駄目かもしれない、ぼんやりし始めた頭でサイコンを確認する。残りの距離を計算するがもはや引き算もままならない。それでもゴールまでまだ5キロほど残っているだろうことは見当がついた。いまの美空には果てしなく感じる距離だった。ここでリタイヤか、そう考えた途端に一気に足の力が抜けていった。
「ペダルは踏むんじゃない。廻すものだよ」
その時、頭のなかで言葉が聞こえた。自転車を乗り始めたころ拓雄が最初に教えてくれたことだ。彼に知り合って間もない頃のことを思い出していた。
「わかってるわよ。何度も言わないで、引くんでしょ」
むっとしながら美空が答えていた。
「だから引き足といっても蹴りあげるんじゃないんだ。その走りじゃ余計疲れるぞ」
「ちゃんとやってるでしょ」
言われたとおりにしているのに、文句をつける拓雄に憮然として言い返す。
拓雄は困った顔をしていたが、ふと頬をゆるめて自転車を回すと美空のそばへ寄った。
「ウンチ踏んだことある?」
「なにそれ?汚いわね。あるわけ無いでしょ」
美空の怒声にかまわず拓雄は話を続けた。
「ウンチ踏んだ時は足の裏をこう・・・・」足の裏を地面に擦り付けて後に跳ね上げるような動作をして「地面になすりつけるようにするだろ」と、ちょっと得意げな表情で続けた。
「だから踏んだこと無いって」
「ペダルを上から踏みつけて下の方へ近づいたら、今度はなすりつけるようにして後へ蹴りあげるように廻すんだよ」
今度はゆっくりと自転車を走らせながらペダルを廻して説明する。押し下げた力を殺さずに、そのまま後に引き上げる力に変えるための有名な理論だと言う。
「とにかく、踏み下ろした力を殺さずに自然に後へ流して行くんだ」
「もう、そんな汚い足で自転車なんか乗りませんって」
すっかり拗ねてしまった美空に拓雄は困ったような顔しか出来なかった。
そういえば---と、美空は今度はその年の夏の出来事を思い出していた。
お盆休みに、県外に嫁いでいった姉が帰省していたときのことだ。春から飼い始めたという室内犬を連れてきた。人気のある犬種だけに愛らしい顔をしていた。運動の時間だといって外へ連れだして姉と一緒に散歩した。途中立ち止まって姉と話に夢中になっている時に、突然姉が叫び声を上げ美空の足元を指さしていた。おどろいてその先を見ると、かりんとう状のものの端っこに美空の右足が載っていた。
「ごめんね、いつの間に・・・もうこの子ったら」
愛犬を叩くふりをしながら姉が犬の粗相をスコップで袋に入れた。そしてタオルを出して美空の足を拭こうとするのを、美空は押しとどめた。
「大丈夫よこんなの。それに自転車用の古靴だから」
ギザキザしてる自転車のペダルは靴の裏を痛める。それを嫌って、自転車にのる時は古いものを履いていた。美空は自然な動作で足裏を道路に擦りつけて犬の粗相をこそぎとった。道路にすりつけた跡が残った。足の裏を見るが溝の中に茶色いのが少し残っていた。
「あとで洗うからいいよ」
姉はそんな妹を見て驚いた顔をしていたが、クスっと笑った。
「なんか美空、変わったね。おおらかになったっていうか」
「そうかな。変わんないよ」
「うそ。昔はこんなことあったらすぐに拗ねたっていうか泣いたのに」
「なにそれ。子供じゃないよ」
「そっか、大人になったんだね」
そう言って姉は嬉しそうに微笑んだ。
ーーーそうか、踏んだことあるわーーー
夏の日の思い出。記憶にある限り、人生初のウンチ踏み、ひと夏の体験であった。始めての経験にもかかわらず、慣れた動作で足を地面になすりつけたのは、太古の記憶による遺伝子情報なのか。不思議なものだと思って、その時の情景を思い出してペダルを廻す。
ペダルが真上に来た時点の少し前から踏み込む、一番下まで来る直前に足をなすりつけるように斜め後ろに力を込める。ペダルはそのまま自然に後へ流れていく。惰性で上の方まで引き上げると、今度は反対側の足が自然に踏み降ろすようになる。ーーああ、この感覚なのねーーリズミカルによいしょよいしょと足を交互に動かす。ほとんど力を入れてる感じはしないのにペダルが自然に回る感触。少しづつサイコンの数字が上がっていく。何ヶ月も自転車に乗りながらこれほどスムーズにペダルを廻したことはなかった。ギクシャクせずにスムーズに廻すおかげで車体も揺れること無くまっすぐに進んでいった。
今日の出場者のほとんどはペダルに足を固定するビンディング等を装備している。それがあれば足とペダルが一体化することでもっと自然に出来るのだろうが、咄嗟の時に外す自信がない美空は使わなかった。
ウンチ、ウンチ、消えてなくなれ、美空は心のなかで呪文のように唱えながらペダルを回してた。
もう限界かと思えた足も不思議に動いて痛みも薄らいだような気がした。そうして少しづつ距離を稼いでいく。やがて大きく右に曲がるカーブを抜けるとレースのスタッフが立っているのが目にとまる。ゴールは間もなくだ。
「がんばって。間に合うわよ」
沿道に立つギャラリーが声を上げる。このままのペースで行けばタイムアウトは免れそうだ。はやる気持ちを抑えつつ慎重にペダリングをこなしていたその時、ギャラリーから少し離れて路肩にに座り込んでいる青年が目についた。落車でもしたののだろう、足を押さえて自転車の脇に座って悔しそうな表情を浮かべて、通り過ぎる選手たちを眺めていた。痩身で頬骨の出たその顔を見て美空の足が止まった。
「拓雄」
見間違いではないかと目を疑った。彼の足ならとっくにゴールしているはずだ。こんな所で落車なんて。美空は減速の合図をすると弧を描いて道路右側に寄った。ゆっくりと自転車を降りると自転車を立てかけてから男に向かって歩く。ちらりとロードバイクに目を移すが記憶にあるものとは違ってぐっと細身のものだった。人違い? 視線を戻し、座り込んでいる男をじっと眺めた。相変わらず無愛想な懐かしい顔がそこにあった。やっぱり間違いない。春からずっとその後をついて走っていた。さまざまな思い出が瞬間的に頭のなかをよぎった。
拓雄はいぶかしげな表情で近づいてくる人影を見ていた。美空ははっと気付いて拓雄に背を向けた。
ブカブカの半ジャージに手をかけてゆっくり引き下ろす。シャツの裾をめくるとお腹から腰まで巻き付けていた大きめのタオルを中から引き出す。一枚、二枚、三枚、忙しげに回しながら力を込めて引き出す。腰の周りに巻いてあったタオルは汗を吸ってじっとりと重かった。すべて取り出してサドルの上に掛ける。ストレッチ性の高いサイクルジャージは、詰め物を失って美空のウエストのくびれにやさしくフィットした。ウエストからヒップへの数ヶ月の努力の結晶というべき女性らしいラインが浮かび上がった。ギャラリー達からどよめきの声が漏れた。下腹がまだ少し出ているのに気付いて、美空は思わず力を込める。そしてヘルメットのベルトをゆっくりと外すと手を添えてヘルメットを外した。ヘルメットの陰にまとめていた髪を頭を振って開放する。汗を飛ばしながらセミロングの髪が肩に垂れる。ヘルメットを脇に抱えると振り向いて拓雄のもとへ一歩一歩進んでい前で立ち止き目の前で立ち止まった。
「おまえ・・・・もしかして・・・」拓雄は声を振り絞って右手を顎のあたりでさするようにしながら「これ・・・・」と言った。
不審な表情で同じく顎に手をやる美空。ざらりとした感触に息が止まる。とたんに顔を真赤にして拓雄に背を向けて数歩さがって屈みこんだ。
「やだ、これつけたままだなんて」
口ひげは途中、汗とともに剥がれ落ちたが、あご髭は残ったままだった。掻きむしるようにしてひき剥がす。「まったく。さとみったら」文句を言いながら汗で湿ったタオルをサドルから引き剥がして、アゴの周りの接着剤をぬぐい取った。
美空は気を取り直して再び拓雄に対面した。拓雄は口を閉じることも出来ずに美空をまじまじと見つめた。それから小脇にかかえるヘルメットに視線を移してゆっくりと頷いた。
「久し振りだね拓雄」
「やっぱり君だったのか」
「ころんだんだ・・・・怪我は酷いの?走れないの?」
膝のあたりに血が滲んでいるのを見て探るように拓雄を見る。
「いや、大したことはない。かすり傷だよ、もう血も止まった」
「じゃあ、自転車が駄目なの」
「いや、そいつも倒れただけだ。ゴールまでなら問題ない」
「じゃあ、どうして・・・・早く行かないとタイムアウトしちゃうよ」
「みろよこれ」
しばらく躊躇したあと、拓雄は尻に手を当てて地面から少し腰を浮かせながらささやくように言った。
レーサーパンツは生地が薄くストレッチ性に富んでいて汗も放出しやすい素材でできている。そのため自転車に乗るには動きやすく快適である。その快適性を損なわないために下着類は着用しない人がほとんどであるが、転んでアスファルトに擦れば容易に破れてしまう。
落車した拓雄の尻は生地が破れて尻が半分むき出しになっていた。ピッタリとフィットしたパンツは裂け目から広がって大きくなり、擦れて血が滲んで赤くなった片尻がむき出しになっていた。このまま走ったらさらに裂け目は広がって下半身むき出しになりかねない。
ギャラリーから失笑が漏れる。美空もつられてこらえきれずに笑い出した。止めようとしても笑いはなかなか止まらなかった。
拓雄が「もういいだろう」と止めるまで腹をかかえて笑い続けた。
「ああ、ごめんごめん。あんまりにもおかしくて。そうだこれ使いなよ」
美空は背中のポケットから包みを取り出すと拓雄の鼻先に差し出した。背のポケットは大きく出来ているものの、それでも大きすぎたのか潰れて平たくなっていた。
「なんだよこれ」
「いいから開けてみて」
不審そうな顔で美空を見て、黙って包みを開け始めた。色あせたグリーンの包装紙はくしゃくしゃになっていて、何箇所か水にに濡れたのだろう、シミや汚れがついていた。
ーー包装ぐらい交換すればよかったかなーーー
くしゃくしゃのシミだらけの包み。拓雄のために連休に買ったプレゼント。男性にプレゼントを買うのは始めてだった美空。何軒もスポーツ店や大型自転車店を回って選んだ品だった。渡そうとしたらその男は突然姿を消した。それから来る日も来る日も、背中のバックに入れたまま自転車で走り回った日々を美空はぼんやり思い出していた。
そして決別のつもりで峠へ向かう途中の道で、川に向かってプレゼントを放り投げた時のことを。男のことをすべて忘れるつもりで山の中へ高く放り投げた。はるか下を流れる川に向かって一直線に飛ぶはずだった。しかし手を離すタイミングが早かったのだろう、赤い包みは頭上高く舞い上がり、そのまま美空の目の前の草むらの中へ落ちた。しばらく悩んだあげく、ガードレールを乗り越え、後ろ向きになって傾斜を這いずるように降りて包みを回収した。ゴミを捨てちゃいけないからーーーと、心の中で言い訳しながら、再び投げ捨てることを諦めて、そのまま持ち帰ったのだった。
包みはタオルで汚れを拭いただけで、数日前まで押入れの奥に仕舞い込まれていた。いつかこんな日が来るんじゃないかという思いで捨てずにいたのだった。
「へぇ、これは」包みを開けた拓雄が驚きの声を上げた。「けっこうするんだぜこのメーカーの 」
ほんとうにいいのか、と訊く拓雄ににっこり笑って答える美空。サイクルウエアでは有名な人気ブランドのジャージの上下だった。夏物ではあったが、尻丸出しよりはマシである。
「いいから早く着なよ」
目を丸くしてジャージを眺めている拓雄を急かした。
ああ、と答えてレーパンを脱ぎだす拓雄。
「馬鹿、隠してよ、もう。みんな見てるでしょ」
美空はあわてて大きいタオルを持ってきて拓雄に手渡す。自分の汗が染み込んでいるのが妙に恥ずかしくて、拓雄が手に掛けた時に、一瞬渡すまいとタオルを掴んだ手を固く握った。が、男の力に負けてそのままタオルごと引き寄せられた。
互いの息遣いを感じるほどに接近して美空は中学生のように顔を染める。沿道からひやかすような声が聞こえて、あわててタオルを離す。
プール授業の小学生よろしくタオルを巻いて履き替える拓雄、視線が合ってあわてて後を向く美空。しばらくして「もういいよ」の声に振り向いた瞬間、胸がたかなった。
以前とかわりない---長く伸びた健康的な手足が眩しく見えて、おもわず見とれた。
「ちょっと派手かな」
腰に手をあてて自分で全身を眺めながら拓雄が言った。ドット柄を基調としたジャージは流れるラインできれいに色分けされていて拓雄の長身をさらに引き立てていた。
「そんなことない。よく似合うよ」
目を細めて答える美空に、ありがとう、と近寄って耳元でささやく拓雄。美空は赤くなってドギマギした。
「がんばれ、急げば間に合うぞ」
ギャラリーから声がかかる。軽く手を上げてそれに答えて自転車を起こす拓雄。美空も頭を下げて挨拶しながら自転車に戻る。
「そういえばどうしてここへ」
これなら大丈夫、と拓雄は自転車の点検を終えてから美空のそばへ寄って訊いた。
ひと呼吸置いてから美空は大きめの声で答えた。
「あなたが覗いていたブログ。【あみん】のブログね、あたしの会社の先輩が書いてるの」
拓雄はそれを聞いてすぐに理解できないようだったが、意味を悟ると頬が少し赤らんだようだ。
「いつもあんな風にブログでナンパしてるんだ」
「馬鹿、あれは・・・・怪我で動けなくって暇だったから、たまたま覗いたブログで・・・・なんかこう応援したくなって・・・・」
早口でしどろもどろになる拓雄を見て笑い出す美空。
「さあ、どうだかね」
少し休んだせいか、思い切り笑ったせいか、すっかり足の痛みも抜けたような気がして美空はすっきりしていた。これならゴールまで一気にいけそうだと思った。
何枚ものタオルとジャージの包装紙を掴んでどこに入れようかと悩んでいると、ギャラリーのなかから出てきたおばさんが、あとでスタッフに渡してあげるからと預かってくれた。礼を言って自転車を起こす。
「さあ、置いてっちゃうわよ。時間ないんだから」
美空は先に走りだして声をかける。
「言うようになったじゃないか」
「はい、言うようになりました」
拓雄が並んで走る。やや先行しかけたのを美空が思い切り足を廻して抜き返す。
「うまくなったじゃないかペダリング」
「うん、経験したからね」
意味がわからず不思議な顔をする拓雄だが、口角を曲げてニヤリと笑った。
「言っておくけど、これからゴールまでが一番きついからな。へばるなよ」
言われて美空が前方を凝視すると、ゴールまでの道は、今までよりもさらに傾斜の強い上り坂が大きくカーブして続いていた。
「大丈夫、オレが一緒に走るから」
拓雄の言葉に美空は笑顔で大きく頷いた。
その時、心地よい秋風がふたりを応援するかのように追い風へと変わった。
どこからかヤマセミの鳴き声が聞こえていた。
了
稚拙な小説ですが最後まで読んで頂きありがとうございました。
某文学賞の一次落ち作品ですが、せっかくですので誰かに読んでいただきたく投稿しました。
多少なりとも楽しんで頂ければ幸いです。
また某掲示板のスレッドでご指摘くださった方々、非常に参考になりました。この場を借りて御礼申し上げます。