三年目・二
代表以外の関係者からも話を聞いて、屋敷に戻ったのは夜だった。出迎えたジーンを執務室に呼び、ハンセン代表とチェスターのギルドについてのより詳細な調査を依頼する。
「かしこまりました。三日ほどお時間をいただいてよろしいでしょうか?」
ジーンは翌日から二日、屋敷を空けた。
そして三日目。提出された報告書には、予想以上に根深いチェスターの問題が記されていた。
領内には三つの絹織物ギルドがある。
最大にして最古の歴史の誇るザカリーを筆頭に、次いでチェスター、二つに大きく水をあけられる形でアルマと、この序列は長く固定化されていた。
代々の領主が何もしてこなかったのだから当然だ。
それがこの二年で、大きく変わろうとしていた。アルマのギルドが急激に売上を伸ばし、チェスターに迫っていたのだ。
序列が崩れることにより競争が生まれ、産業はさらに発展する。アルマに刺激を受けたのか、ザカリーもここ数年横ばいだった売上が、昨年は伸びている。
しかしチェスターは売上、生産量とも、重点支援産業に指定される前と殆ど変わっていない。なぜチェスターだけが伸びないのか。理由を探るため、何度も視察に行ったのだけど。結局、不正流用が起こるまで私には見抜けなかった。
チェスターのギルドは絶対的な権力を持つハンセン代表の下、腐敗しきっていた。
予算の不正流用は氷山の一角だった。重点支援産業は領主から支援を受ける代わりに、売上が増えればそれに応じて税も増える仕組みになっている。チェスターのギルドは、その課税を逃れるため製品の一部を正式な販売ルート以外で取引し、利益をハンセン代表と彼の取り巻きとも言えるギルドの幹部で分配していた。
中には不正を知り、正そうとした職人もいたらしい。しかしハンセン家は代々地区の長を出している名家。その一族に表立って逆らうなど、できるはずもなかった。
こんな単純な不正も見抜けなかったなんて。なにが一人で判断できる、だ。私はまだまだ、完璧な領主には程遠い。
なんて、今は自己嫌悪に陥ってる場合じゃない。問題はこれからのこと。チェスターのギルドの改革、それから……
その時、執務室の扉がノックされて、ジーンが姿を見せた。
「失礼いたします。ご主人様に面会を希望してる者がおります」
「面会?」
ジーンに促されて進み出たのは、意外な人――
アルマの絹織物ギルド代表、ボットさんだった。いつもは動きやすい作業着姿だが、今日はジャケットを羽織っていつもより改まった雰囲気だ。
とりあえずソファに掛けるよう勧めるも、彼は黙って首を横に振った。
いったいどうしたのだろう? アルマに行った時でさえ、彼は私とは殆ど話をしようとしなかったのに。
「今日は報告があってここに来た。俺は、ギルドの代表を降りる。後任は、副代表のアイザックだ」
え? まるで予想外の話だった。
「なぜ? 理由を教えてください」
「俺は……あんたのやり方には、ついていけねぇ」
「工場の件、ですか?」
ボットさんの沈黙が、私の言葉を肯定する。
あの件は、ボットさんだって協力してくれた。それを今になって、なぜ?
「確かにあんたのやり方で、アルマは豊かになった。薬を買えなくて、泣くヤツももういねぇ。だけど俺は……ギルドの代表である前に、職人だ。これからも、自分の手で納得したものだけを、世に出したい」
「ならば工場の責任者はアイザックさんにお願いしましょう。ボットさんは今まで通りで構いません。ですからギルドの代表はこれまで通りで」
工場の整備により作業の効率化を図る一方で、今までの親方制とも言われる完全個人作業の小規模工場も廃止するわけではない。
質の高い最高級の品は、個人の高度な技術によるところが大きいからだ。
ギルドの代表という立場からボットさんに工場長もお願いすることになっていたが、そちらはアイザックさんに任せる。彼は分業制と効率化に積極的で、理解もある。
でもギルド代表はボットさんでなければダメだ。彼ほどの人望と経験は、アイザックさんにはまだ備わっていない。
私の言葉に、ボットさんは小さく首を横に振った。
「元々俺は、代表とかそういうことには向いてねぇ。アルマが前みたいな、小さなギルドだった頃ならともかく、今は……俺みたいなヤツが代表じゃ、みんなの迷惑になる」
迷惑――
その言葉で気付いてしまった。なぜこのタイミングで、ボットさんがこんなことを言い出したのか。
視線を向けると、ジーンもじっと私を見つめていた。その顔には、何の感情も浮かんでいない。でも恐らく、間違ってはいない。
「俺の話はそれだけだ。邪魔したな」
さっさと執務室を出て行こうとするボットさんを、慌てて呼びとめる。
「待ってください! こちらの話は、まだ終わっていません」
「もう話すことはねぇって、言ってんだろ」
背を向けて、低く、唸るようにそう言われて。私の足が止まる。
振り返ることなく、ボットさんは出ていってしまった。
再び執務室に静寂が戻る。
どうして、このタイミングで……
あることに思い当り顔を上げると、執務机越しにまっすぐわたしを見つめるジーンと目が合った。
「チェスターの件、彼に話したの?」
「はい」
「なぜ?」
「ご主人様も考えておられたはずです。チェスターのギルドの改革と……処分を曖昧にしたアルマの件を、どうするか。今がその時だと、判断いたしました」
ついさっきまで考えていたことを見事に言い当てられてしまった。でも私の考えは、ジーンとは違う。
確かに私はボットさんの罪を『見逃した』。その時点で『罪』はボットさんのものではなく、私のものになった。
彼を辞めさせて責任を取らせるのは、筋が違う。
だからこそ私はどうすればいいのか、悩んでいたわけで。
「ボット代表を処分しないと決めたのは私よ。ユージンも納得したはず。それを今さら蒸し返すなんて、おかしいでしょう?」
「蒸し返したわけではありません。一旦保留していた問題の決着をつけただけです。ご主人様、ジェイク・ボットはギルドの一線から身を引きたいと申し出ていたのです」
え? 言葉を失う私に、ジーンは静かに続ける。
ボットさん自身がさっき言った通り、彼は生粋の職人で、現場以外のことには基本的には興味がないこと。
私の進める支援策も必要だと頭ではわかっているものの、気持ちがついていかないのだということ。
そんな自分が、これ以上ギルドの代表でいるわけにはいかないということ……
「彼を留めていたのは私です。それをこの時期に、チェスターの件を話した上で認めたのには……勿論、ご主人様が不快に思われた意図があったことも、否定はしません。でも無理強いしたわけではありません。彼もずっと、あの時の責任をとることを望んでいたのです」
ボットさんがジーンには心を許していることは、なんとなくわかっていた。でもまさか、そんな本音まで打ち明けていたなんて。
全然気付かなかった。気付けなかった。
軽く目を閉じる。浮かんだのは、ハンセン代表の言葉だった。
『今までの領主は、オレたちの好きにさせてくれてたんだ。お前が余計なことをしなければ、オレたちは楽しくやれてた。お前さえ……お前さえいなければ!』
領主として、領民の暮らしをより良く導く義務がある。常にそれを頭に置いて、やってきた……つもりだった。
でも私の判断基準はあくまで“カレリョー”だった。ここがゲームではなく『現実』だと認識しながら、ゲーム的思考から抜け出せないでいた。
私はクローディアとして、本当に領民の気持ちに寄り添えていたのだろうか? 私自身の心は、本当にあったのだろうか?
明らかな不正があったチェスターとは違う。アルマは確かに豊かではなかったけれど、不幸でもなかった。ギルドもハンセン代表の下、良くまとまっていた。
「私がしたことは、彼らにとっても余計なことだったのかしら」
心の中で呟いたつもりが、声に出ていたらしい。
「ご主人様」
呼びかけられて顔を上げると、ジーンがすぐ側に控えていて、まっすぐわたしを見つめていた。
「先ほど私は『彼もあの時の責任をとることを望んでいた』と申し上げましたね」
私は漆黒の瞳に吸い込まれるように、小さく頷く。
「ジェイク・ボットは例の不正流用事件の後、初めて自分の間違いに気付いたのです」
お金を渡して薬を買ったとしても、根本的な解決にはならない。皆が豊かになり、誰もが必要な時、必要な薬を買えるようにしなければ、第二、第三のディック少年が現れる。
自分は間違えていた。責任を取らなければ、と。
はじめは代表に留まり、領主の方針通りに産業を発展させていくことが『責任』だと考えた。
しかしそのための変化を受け入れるには、彼は少々頑固すぎた。このまま代表に留まっていては、いずれまた同じ失敗を繰り返すかもしれない。
「だから身を引くと決めたのです。彼はご主人様が『余計なことをした』などと、少しも思ってはいません。今までご主人様が下した決断は、その時々で最善のものでした。それは疑うべきではありません」
チェスターのギルドの現状も、ボットさんの気持ちも、私は何もわかっていなかった。
改めて自分の力不足を思い知らされ、ぐちゃぐちゃになっていた心に、いつもよりずっと優しいジーンの視線が、声が、甘い毒のように沁みていく。
ダメ。甘えて、縋ってはいけない。
溢れ出そうな感情を押し止め、必死に笑う。
「ありがとう。でもやっぱり、私の力がまだまだ足りないのは事実よ。もっと皆の話を聞いて、学ばなければいけないわね」
「ご主人様はもう十分、伯爵家当主としての務めを果たしていらっしゃいます。全てを一人で背負い込もうとはなさらないでください。もっと頼ってくださっていいのです。ご主人様をお支えするために、私はここにいるのですから」
膝に置いていた両の手で、ドレスをぎゅっと握りしめていた。
「これ以上ユージンに頼ってしまったら、お父様とリチャードに怒られてしまうわ。でも……ありがとう」
それが限界だった。
まだ何か言いたげなジーンを下がらせて一人になってから、私は滲みそうになっていた涙をそっとぬぐった。
立ち上がって窓から外を眺める。一面夕陽の色に染まる庭は、昔から殆ど変わっていない。
ジーンと私の関係は、あの頃とはすっかり変わってしまったけれど、でも変わらないものも確かにある。
私が落ち込んでいることを察して、慰めてくれた。
今までの仕事を認めてくれた。
そして、私を支えるためにここにいるといってくれた――
さっきの言葉、声、表情の中に、私は確かに筆頭執事のユージンではない、『ジーン』を感じた。
あの幼い『陽だまりの日々』の中で、私が恋した人の面影を。
それは紛れもなく、私がクローディア以外の何者でもない証。
確かに私は、領地の経営を『育成』ととらえ、ゲーム的思考から抜け出せずにいる。でもその根底に私の心は確かにある。
今、この世界で生きているからこそ、思い通りにいかないこともあれば、失敗もある。そんなこともう、とっくにわかっていたのに。
気が付くと、同じところをぐるぐると回っている。こんなんじゃ一人前の領主なんてなんて、まだまだね。もっともっと謙虚に、精進しないと。
ジーンの私への気持ちは忠誠心で、私たちの関係が永遠に主従のままであったとしても、やはり私はジーンに恋をしてよかったと思う。
だって今、ジーンの些細な言葉でこんなにも泣きたくなるほどの幸せを感じているのだから。
これからもジーンの側にいたい。そのためには、私の想いはずっと秘していかなければならないのだろう。
『ゲーム』でユージンとのエンディングがなかったからじゃない。クローディアとして十七年間生きてきた私自身が、もうちゃんとわかっている。ジーンが私と同じ想いを返してくれることは、この先もない。
今回のことで、改めて私は自分の力不足を思い知った。
伯爵家当主としての務めを果たしながらこの想いを守っていくために、もっともっと強くならなければ。
より完璧な育成をして、領民を幸せに導く。そして王太子殿下に正式に当主として認めていただき、これからもずっと領地を守っていけるように。今はそれだけに全力を注いでく。
***
その年の冬、大雪が領地を襲った。
街道が一部寸断されたが、一年目から進めていた迂回路の整備のおかげで、物流への影響は最低限で済んだ。小麦の一大産地となりつつあるダリルにはほとんど降らなかったことも幸いだった。
こうしてまた一つ‘アクシデント’を乗り越え、領地は春を迎える。




