二年目・中
アクシデント――
“カレリョー”では二年目以降に発生する、各種トラブルを指す。
疫病、干ばつなど内容は多岐に渡り、いずれも育成にダメージを与える。発生そのものは抑えられないが、対策次第で被害を最小限に食い止めることはできる。
例えば水路やため池を整備すれば、干ばつの被害は軽減できる、というように。
このように対策の多くは、エンディングの評価項目の一つ“インフラ”と密接に関係している。ゲーム開始時から全てのインフラを整備できれば一番いいのだが、限られた予算では産業育成>インフラ整備になりがちで、どうしても後回しになる。
産業と並行し、少しづつインフラ整備を進めるか。
先に産業をMAXまで育て、収入を増やした後で一気にインフラ整備を進めるか。
どちらが正解かは、その時時で変わる。
というのも、アクシデントはゲーム時間の三年の間に必ず発生するが、何がいつ、何回起きるかはわからない。完全にランダムなイベントだったからだ。
インフラが未整備であっても、アクシデントが一回だけなら立て直しは可能だ。しかし回数が増えれば、それも難しい。計画的に整備を進めたとしても、うまく整備済みインフラに関わるアクシデントが来るとも限らない。
いくら完璧な育成を進めていても、運が悪ければ一瞬でぶち壊される。これもまた“カレリョー”がクソゲーと言われる理由の一つだった。
ちなみに私は、二年目に五回、三年目に三回の計八回、六種類のアクシデントに遭遇したことがある。最終評価は当然のようにC。
さすがにゲーム機を叩き壊しそうになった。
当主になると同時にインフラ整備に取り掛かったのも、このトラウマがあったからだ。現実では一か八かの賭けはしたくない。産業の育成同様、堅実に、だ。
倹約に励み、こつこつと整備を進めたおかげで、ゲームの時よりは早く対策をとれている……と思う。とはいえ、まだまだ完璧とは言い難い。
育成にダメージがあるということは、即ちそこで暮らす人たちにもダメージがあるということだ。できれば何も起こらないでほしい。
そんな祈り空しく、領地が最初のアクシデント――
“大雨”に見舞われたのは、二年目の秋の終わりだった。
***
雨は三日間降り続き、一部で家や畑が浸水したと報告を受けた。被害の中心は、領地の北の端に位置するベスト地区だった。
あの地区が水に弱いことは、過去の記録からわかっていた。だから真っ先に堤防や水路などの整備にとりかかったのだが……効果はなかったのだろうか? 一部の浸水とは、どの程度なのだろう? 何か早急に支援が必要だろうか?
すぐにも現地へ向かおうとしたのだが、ほどなく『人的被害は無、その他被害も軽微、緊急の支援は不要』との報告が届く。よかった、と。ひとまず安堵した。
とはいえ“軽微”とはどの程度か、一応確かめておきたい。ベスト地区は重要育成産業の一つ、養蚕業の一大拠点だ。何か支障が出るなら、早目に手を打たなければならない。
現場に向かったのは、大雨から十日後のことだった。
川沿いに広がるベスト地区は、一つ町と二つの村、周辺の小さな集落から成る。中心となる町へ続く街道を走っていると、突然馬車が止まった。
町まではまだ少し距離がある。どうしたのだろう? 護衛の騎士が一人、馬車に近づいてきた。
「恐れ入ります。地区の長と名乗る者が、領主様に至急ご報告したいことがあると申しております。いかがいたしましょうか?」
騎士の視線の先を確認すると、数人の人影が見える。その一人は、確かに何度か会ったことのある地区の長だった。いったいどうしたのだろう? 馬車を降り、急ぎ歩み寄る。すると長はいきなり、地面につくくらいの勢いで深々と頭を下げた!
「領主様、申し訳ございません! わざわざお運びいただいたのにですが、どうかすぐにお戻りください」
いきなりそんなことを言われても、戸惑うばかりだ。
「先に事情を説明してください」
「はい、それが、その」
長の顔は青ざめ、額にはうっすらと汗が浮いている。どう見ても普通ではない。何か良くないことが起こったらしい。心臓がドクンと鳴って、ぎゅっと拳を握った。
何があったのか早く教えてほしいのに、長はなかなか口を開かない。イライラして、つい声を荒げてしまった。
「いったい何があったのですか? 早く教えてください!」
びくっと肩を震わせ、町長は蚊の泣くような声で言った。
「それがその……地区内で十日熱が発生したようです」
今度は私が青ざめる番だった。
***
十日熱は、数年に一度大流行する疫病だ。
湯が沸くほどの高熱が十日近く続くことが、その名の由来とされる。高熱に耐える体力のない者、特に老人、子供の致死率は飛びぬけて高い。特効薬はなく、ひたすら体を冷やして熱を下げる以外、対処方法はなかった。
発生した場合、王都への報告が義務付けられている特別疫病だ。
長の話によると最初の患者は四日前、今回の大雨で唯一浸水した地区外れの集落で、発生したという。
水につかったせいで風邪を引いたと、はじめは軽く見ていたらしい。ところが熱は一向に下がらず、それどころか続々と集落内の者が高熱で倒れて、ようやく十日熱の可能性に至った。
発生した集落の長から地区の長に報告が上がってきたのが、一昨日。
昨日の夜になって地区内の町と村からも相次いでそれらしき患者が確認され、いよいよ十日熱の疑いが濃厚になってきたところに、私の視察が重なった、ということらしい。
まさか……大雨の直後の、このタイミングで?
これはたぶん“カレリョー”のアクシデントの一つ、疫病だ。ゲームでは被害を軽減するために、地区ごとに診療所を置く。確かにそうしていれば、すぐに熱の正体が判明し、早くに対策が取れたのだろう。
しかし私は、診療所の整備には殆ど手をつけていない。こちらの被害は“軽微”で済みそうもなかった。
「地区内で対策はとっているのですか? 王都への連絡は?」
「申し訳ございません。地区内は今、かなり混乱しておりまして。まずは領主様にご報告せねばと」
汗を拭きながら答える長を見て、絶望的な気分になった。予想はしていたが、報告も対策も手つかずということか。
特別疫病に関しては、いくつかの取り決めがある。
発生を確認した際は、領主、筆頭執事、地区長のいずれかが、速やかに王都へ報告すること。領主は併せて周辺領地と領内各地区へも通達すること。
人の移動は極力制限すること。ただし、一度十日熱に掛かった者は、二度と掛からないと言われているため、この限りではない。
町、村、集落の単位で臨時の救護所を設け、できるだけ患者を一か所に集めること。
衛生管理、感染防止策を徹底させること。
少なくとも地区長は、一昨日の時点で私に報告するべきだった。それをおろおろするばかりで、対策はおろかまともに報告もできなかったとは。
この非常時、彼に地区を委ねるわけにはいかない。
「わかりました。では私はこれからすぐに地区に入ります。至急、救護所の設置と王都への報告を……」
「お待ちください」
それまで黙って控えていたジーンが、私の前に進み出た。
「ご主人様は速やかに屋敷にお戻りください。私が残り、対応いたします」
その言葉に、思わず目を見開いた。アルマの時のように、またジーンに全てを押しつけろと言うの?
「認められないわ」
「私には任せられない、ということでしょうか?」
かぶりを振る。そうじゃない。ジーンの優秀さはもう十分わかっている。だからこそ、私もそれに相応しい主でありたいだけだ。
「でしたらお戻りください。感染の危険がある地に、長く留まるべきではありません」
「それならユージンだって、十日熱に掛かったことはないのでしょう?」
「はい。ですが私なら、感染しても命にかかわることはありません」
確かに成人男性の致死率は他に比べると低い。しかし低いだけで、亡くなる人がいないわけではないのだ。ジーンだけにリスクを負わせるわけにはいかない。逡巡する私に、ジーンの目が厳しくなる。
「今一度冷静に、ご主人様と私に与えられた役割をお考えください。私は伯爵家に仕える身。余計なお気遣いは不要です」
さすがの私も、ジーンの言わんとしていることはわかった。
私は領主。領地に暮らす全ての人たちの暮らしに、責任を負わなければならない。ジーンは筆頭執事。領主の片腕として、時にその業務を代行する。
ジーンだけを残したくない、残るなら私も一緒にと望むのは、私の我儘でしかないのだ、と。
「私の代わりは他の者でも務まりますが、ご主人様の代わりは誰もいないのです」
違う。ジーンの代わりなんて、世界中どこを探したっていない。そう口にできれば、どんなに楽だろう。でも私を見つめる黒水晶の瞳が、それをさせてくれない。
ジーンが見ているのは“ウォルコット女伯爵”で。そして私も、ジーンに相応しい主でありたいと望んでいる。
ならば、取るべき道は一つだ。
目を伏せ、大きく息を吐く。
今、私にしかできない仕事は、ここにはない。
「わかりました。では王都への連絡と現地の対応は、ユージンに一任します。私は屋敷に戻って、隣接する領地への連絡と、領内他地区の状況確認にかかりましょう」
「かしこまりました」
執事の礼を取るジーンをじっと見つめる。せめて何か伝えたい。主として不自然ではない、でも少しでもこの気持ちが伝えられる言葉を。
「無理はしないで。あなたに何かあれば、リチャードとマリーも、悲しむから」
「私が伯爵家より受けたご恩は、たった一年で返しきれるものではございません。今、両親の元へいっても、きっと追い返されるでしょう」
ほんの少し優しくなったジーンの表情を目に焼き付ける。
きっとそうね。お父様やお母様もジーンを追い返す。だから今は、私も自分の仕事を全うしよう。
翌日には王都から“国内で十日熱が流行”と緊急の知らせが届いた。
どうやら他のいくつかの領地でも、既に広まっているらしい。取り決めの徹底が再度促された。
視察から戻って数日後には、感染は領内全域へと広がっていった。ただ、他ではベスト地区のような混乱がみられなかったのは、不幸中の幸いか。事前に取り決めを徹底させたおかげで、爆発的な広がりは抑えられた。
患者数、症状とも群を抜いて深刻だったのは、やはりベスト地区だった。
ジーンは、あれからずっとベスト地区に留まっている。地区長自身が発症し、対策本部を離脱。他に代われる者がいなかったからだ。
早く戻ってきてほしい。そう思う一方で、ジーンを残してきてよかったと安堵する私もいる。
ジーンがいてこれなら、いなければもっと悲惨な状況になっていただろう。ジーンを残したのは、領主としては正しい判断だったのだ。
「ユージン様はご無事でしょうか。もしユージン様の身に何かあれば、私は……」
ジーンの身を案じ、涙を浮かべるエミリアが眩しく見える。きっと私はもう、そんな風にただジーンだけを想うことはできないのだろう。
ほろ苦い感傷を押し殺しながら、仕事に打ち込む日々が続いた。
***
発生からひと月後、患者数はピークを迎えた。そこからは徐々に減少し、二カ月後には国王陛下の御名で“十日熱収束宣言”が出された。
ジーンが戻ってきたのは、ちょうどその頃だ。
久々に執務室で顔を合わせたジーンは、少し痩せていたものの、元気そうだった。よかった、無事に戻ってくれて。
油断すると泣いてしまいそうだったから、早々に仕事の話を切りだした。
「新しい地区長は、どう?」
「まだ年は若いですが、地区を立て直そうという意欲は誰よりもあります。能力も期待できるでしょう」
「そう……予定外の仕事を任せてしまって、ごめんなさい。そして本当にありがとう」
ベスト地区の前地区長は、回復後も体力の低下を理由に公務に復帰しなかった。今回の対応で、彼のリーダーとしての資質に疑問を抱いていた私は、次の地区長をジーンに選び、教育してもらうことにした。帰還が遅くなったのは、そのためだ。
今回の十日熱で、ベスト地区は領内で最も深いダメージを負った。立て直しは容易ではないだろう。私がお金を出したとしても、そこに住む人たちが立ち上がってくれなければ何も始まらない。
新しい代表となった青年が、その先頭に立ってくれればいい。
「私は私の職務を全うしたまで。礼も謝罪も不要です」
「いいえ。今回ユージンにはかなり無理をさせたわ。できれば少しお休みをとってもらいたいんだけど」
「結構です。それより一刻も早く領地の立て直しにかからねばなりません。この二カ月で、領地の産業はかなり落ち込んでいます。まずは春までに、元の水準まで回復させましょう」
うん、ジーンなら、きっとそう言うと思っていた。だから……私は引き出しから資料の束を取り出した。
「産業の復興計画なら既に立ててあるわ。これでもう、今日明日のユージンの仕事はなくなったでしょう?」
さすがに驚いてるみたい。ジーンは失礼しますと断って、机の上に積まれた資料の束を捲り始めた。しばらくは室内に紙をめくる音だけが響く。
「……これは、ご主人様がお一人で考えられたのですか?」
「ええ。ユージンの意見も聞きたいけど、それは明後日でいいわ。今日と明日は休みなさい。これは命令です」
顔を上げたジーンは、軽く目を見開く。
これまでの激務を考えれば、しばらくは休んでもらうべきなんだろう。でも長い休みを取らせる余裕がないのも、また事実。
ならせめて、二日くらいは心おきなく休んでもらおうと考えた、苦肉の策だ。
ジーンもここは素直に受け入れてくれた。
「わかりました。ではお言葉に甘えて、今日はこれで失礼させていただきます」
「ええ。ゆっくり休んで」
「この計画書はお借りしてよろしいですか? 部屋でゆっくり目を通したいので」
「ダメよ。それでは休みにならないでしょう?」
「ならあちらで目を通させていただくことになりますが」
そう言って、執務室のソファに目を向ける。
前言撤回。ジーンの仕事中毒を甘く見ていた。このままだとなし崩し的に休みが流される! 仕方ないか。背に腹は代えられない。
「持っていって構わないわ。その代わり、体はちゃんと休めて」
「もったいないお言葉。ありがとうございます」
恭しく執事の礼を取るジーン。すぐに退室するのかと思いきや、その場から動かない。
「どうしたの?」
「私にベスト地区の対応を一任していただき、ありがとうございました」
唐突にお礼を言われて戸惑ってしまう。そもそもお礼を言うべきは私で、ジーンではないでしょう?
「信じていただけて、本当に嬉しかったのです。あの時……私の中で、ご主人様がある方と重なりました」
「ある方って?」
「私が昔……とても尊敬していた方です」
ジーンは言葉を選び、噛みしめるようにそう言った。
昔とは、王都にいた頃、という意味だろうか? だとすれば、ある方というのは文字通りジーンがお仕えしていた“あの方”なのだろうけど……何となく、違う気がする。ある方=“あの方”なら、別にぼかす必要はない。それにお噂を耳にする限り“あの方”と私にはなんの類似点もない、と思う。
「今はご主人様にお仕えできてよかったと、心から思っています。それを、お伝えしたかったのです。では、失礼します」
それ以上詳しいことは話さず、ジーンは退室していった。
ジーンが昔、尊敬していた人――
口ぶりから推測するに身分の高い方のようだけど、いったいどなたなのだろう?
ジーンに心を寄せられている。ただそれだけで、何もわからないその方に、嫉妬に似た感情を抱いてしまいそうだった。
***
私の原案にジーンが手を加えた産業復興計画は、概ね予定通りに進んだ。
庭が色とりどりの花で彩られる頃には、産業は十日熱発生前の水準まで回復した。とはいえ、あくまで元に戻しただけだ。
残された時間は一年半。ここから再びスパートを掛ける!
そんな私の前に、忘れかけていた人物が再び現れた。
「やぁ、クローディア。会いたかったよ。咲き誇る花々も、君の美しさには到底及ばない。また一段と美しくなったね」
言葉の通じない異星人……もとい従兄殿だった。