二年目・前
ウォルコット地方では、小麦は秋に種を蒔き、夏に収穫する。私が爵位を継いだのが秋の初め。そろそろ種蒔きに入ろうかという時期だったため、援助項目とした小麦の予算の殆どは、整地に回した。
つまり小麦の育成は、実質今年が一年目となる。
ゲームのように、予算を下ろせば勝手に育成が進むわけではない。汗水たらして働いてくれる人たちが、そこにいる。私が女伯爵と呼ばれ、大きな屋敷で不自由なく暮らせているのは、そういった人たちのおかげなのだ。
ジーンは私を「民に寄り添うことができる」と評してくれたけど、それは買い被りだ。本当に寄り添うことができていたなら、アルマの一件は起こらなかった。
結局わたしは『領地に暮らす人たちの幸せのため』と言いながら、『人』を見てはいなかった。効率だけを考えて育成を進めていた。明日の命もわからない人がいるのに、誰が薬ではなく、設備にお金を使うだろうか。
他の地区より貧しいとわかっていながら、当面の暮らしより育成を優先させた。私の判断ミスだ。
もちろん、三年で結果を出さなければいけない以上、効率も無視できない。
きちんと人と向き合いながら、効率よく育成を進める。一見相反するその二つを両立させるため、私は以前にも増して熱心に視察に取り組むようになった。
予算を下ろした後は、その予算を使ってどのように発展しているか。そこに住む人たちの暮らしはどうなったか。自分の目で確かめるため、また足を運ぶ。
今日の視察地はダリル。元は人口が百人に満たない、小さな村だった。
調査の結果、周辺の土地が小麦の栽培に適しているとわかり、昨年、大規模な整地を行った。種蒔きが始まって村の人たちが忙しくなる前に、完成した農地を見ておきたかったのだ。
ダリルも決して豊かな村ではない。特に有望な産業もなく、村人は小さな畑で自分たちが必要な分だけ作物を育て、ほぼ自給自足の生活を送っていた。
そのため、若い人たちは可能性の見えない村を捨て、街に出てしまう。人口の流出も問題となっていた。
そんな村に、いくら適しているからといって農地を整備することが、果たして正しいのか。迷う私の背中を押してくれたのは、村に残る数少ない若者たちだった。
「僕たちはこの村が好きなんです。できればここで結婚し、子供を育てていきたい。そのためには、仕事が必要なんです。もし領主様が援助してくださるなら、一生懸命小麦を育てます。出ていったヤツらの中にも、本当は戻りがってるヤツもいます。そいつらが戻るきっかけにもなるでしょう。だからお願いします、僕たちに力を貸してください!」
彼の言葉通り、村には少しづつ人が戻っている。今では百人を超えただろうか。もちろん、まだ小さな村であることに変わりはない。でもここが、領内でも有数の小麦の産地になれば、さらに人は増えるだろう。
窓の外に目を向けると、見覚えのある景色が流れていく。間もなくダリルに着きそうだ。
周囲には、私の馬車を守るように騎士たちが配置されている。その中にジーンの姿もあった。
視察の際、ジーンは馬車には同乗せず、騎馬でつき従う。この時だけは護身用に帯剣しているため、騎士のようにも見える。
……見かけ倒しだけどね。
一度、ジーンに剣を扱えるのか聞いたことがある。
「学生時代、授業で少々」
なんとも心もとない返事だった。確かに、筆頭執事に剣の腕は必要ないもんね。それなら持っていても無駄だと思うんだけど。
「いざという時、牽制くらいにはなるでしょう」
手練れの騎士が警護する伯爵家の馬車を襲うなんて、愚かの極み。そんな者は領内にいないと信じたい。
ジーンに危ないことは、してほしくないから。
ぴんと背筋を伸ばした馬上のジーンは、惚れ惚れするほど美しい。子供の頃から、乗馬の腕は一流だった。
昔、一度だけジーンに馬に乗せてもらったことがある。
木のぼりの一件以来、私に決して危ないことをさせなかったジーンが「馬に乗せてあげる」と言った時、私はただただ喜んだ。
少し考えればおかしいと、わかったのに。
ジーンが私を「ディー」と呼んだのは、あの時が最後だった。
あれは……ジーンなりの別れの挨拶だったのだろう。
ささやかな感傷に浸っている間に、馬車はダリルに到着した。
「お待ちしていました。遠いところをお越しいただき、ありがとうございます」
出迎えてくれた青年の名は、ニコラス。私に支援を強く訴えた彼は、今は村の代表になっていた。
「いいえ、こちらこそ忙しい時に無理を言ってごめんなさい。今日はよろしくお願いします」
「もったいないお言葉です。ではどうぞ、こちらに」
ニコラスと並んで、簡易整備された農道を歩き出す。つかず離れずの距離で、護衛の騎士とジーンもついてきている。
「種蒔きの準備は進んでいますか?」
「はい。月が変わったらすぐ、村人総出で取りかかります。しばらくは食べて、畑に出て、寝るだけの日々になるでしょう。今からとても楽しみです」
その言葉が偽りでないことは、ニコラスの顔を見ればわかる。
穏やかな秋の風が、広々と続く土色の大地を吹きぬけていく。前に来た時にはまだ一部に草色が残っていたが、今は整地も完了し、種蒔きの時を待つばかりだ。
よかった……って、安心するのはまだ早い。
「何か困っていることは、ありますか?」
「今は特には……あ、要望ではないのですが、少し気になることが」
ニコラスが声を潜めると、少し離れてついていたジーンが距離を詰めた。
「実は最近、村に怪しい男が出没するのです」
ニコラスの話によると、その『怪しい男』は半年ほど前から時々姿を見せるようになったのだという。誰かが襲われたとか、何かが盗まれたとか、そういった被害は今のところない。ただ遠くから村人たちをじっと観察するだけ。声をかけようとすると、黙って立ち去ってしまう。
いつも帽子やマントで顔を隠しているため、はっきりとはわからないが、年は若い。洗練された身のこなしや服装から、それなりの身分の者ではないかというのが、村人たちの見解らしい。
「領主様が派遣された役人では、と申す者もいるのですが」
違う。ジーンに目を向けると……視線を宙に向け、何やら考え込んでいるようだった。
「ユージン、何か知ってるの?」
「いえ、私も思い当たることはございません」
嘘をついているようには見えない。気のせいだったか。
となると、いったい何者なんだろう? 今のところ実害がないとはいえ、放置しておけない。
とりあえずここから一番近い街道の詰所の騎士を時々村に派遣して、様子を見るということで落ちついた。
帰りは、見送りのため村の人たちが大勢集まってくれた。
「僕は何も言ってませんよ。みんな勝手に来たんです。領主様をお慕いしているんですよ」
ニコラスの言葉に、涙が出そうになった。
皆にお礼を言って馬車に乗り込もうとすると、小さな女の子が私に駆け寄ってきた。
「りょうしゅさま、つぎはいつ来てくれるの?」
「そうね……雪が降る前、かしら」
「ぜったいだよ! やくそくのしるし!」
そう言って女の子は、一輪の黄色い花を差し出した。
一年目、それなりに結果を出したことで、領地の人たちの目も随分和らいではいる。とはいえ、ダリルの村のように温かく迎えてくれるところは、まだまだ少ない。
膝をついて、黄色い花ごと女の子の手をそっと包み込んだ。
「うん、約束ね」
それでもこうして喜んでくれる人がいるから、私は頑張れる。
それ以降、村からも詰所の騎士からも怪しい男についての新たな報告はなかった。私もしばらくは気にしていたのだけど……
忙しい日々に紛れて、男の件は次第に記憶の隅へと追いやられていった。
***
「今日はどんな髪型になさいますか?」
鏡の中の私に、エミリアが問いかける。答えはわかっていても、毎朝確認する。エミリアは変なところで律儀だ。
「いつもと同じでいいわ」
「たまには華やかにアレンジさせていただきたいものですわ。こんなに美しい髪を下ろさないなんて、もったいない」
髪を梳きながらエミリアは、小さくため息をついた。
未婚の女性は一部を結い上げ、下ろした髪は巻いたり華やかにアレンジするのが一般的だが、私は既婚者のようにいつもきっちりと結いあげている。
少しでも落ちついて見えるようにとの、苦肉の策だ。ドレスも、お母様のものを直して着ている。倹約にもなり、一石二鳥だ。
「今年も、王都には上られないのですね」
「ええ」
「残念ですわ。今年はお供できると思っていましたのに」
春と秋は社交のシーズンでもある。普段は領地で過ごす貴族も、この時期は王都に上る。お父様とお母様もそうなさっていた。
けど私は去年は両親の喪中、今年は多忙を理由に領地に留まっている。まだ仮の当主の分際で社交の場に顔を出すわけにはいかないし、その時間とお金は領地の育成に回したい。
「ごめんなさい。たぶん来年も、王都に上るのは難しいと思うわ」
「……ですわね。勝手なこと言って、申し訳ありませんでした」
エミリアは私より一つ年上だ。一応今は使用人という立場だが、父親は領内でも屈指の大商人。実家はかなり裕福で、本当は働く必要など全くない。
元々当家にやってきたのも、名目は行儀見習い。私の“話し相手”とするためだった。六年前、色々あって沈んでいた私を見かねて、お父様が呼んだのだ。
エミリアは快活で、華やかなことが大好きな少女だった。王都に憧れている、一度行ってみたい、できれば将来は王都で暮らしたいと、常々言っていた。六年間側にいて、姉とも友人とも慕っているエミリアの希望を、できれば叶えたい。でもそれはたぶん、難しいだろう。
「エミリアを家に戻してほしいと、ご両親からまたお願いされてしまったわ」
髪に触れていた手が、ぴたりと止まった。鏡越しに視線を向けると、エミリアは目を伏せた。
「申し訳ありません。私は帰らないと、散々言ってるのですけど」
「エミリアの気持ちは嬉しいわ。でも……縁談が来ているのでしょう? だったら戻らなくては」
本当なら去年、私が当主となった時にエミリアは実家に戻るはずだった。残りたいと強く希望したのは、他ならぬエミリア自身だ。
『使用人としてで構いません。こちらに置いてください』
折しも屋敷では、使用人たちが続々と暇を願い出ていた。好機と強がりながら、不安だったのもまた事実。そんな中、エミリアの言葉は涙が出るほど嬉しかった。
今まで通り話し相手でよかったのに、それでは気が済まないと言い張ったのもエミリアだ。結局、こうして私の身の回りの世話を任せてしまっている。
でも……エミリアも今年で十八。いつまでも引き止めるわけにはいかない。
エミリアは黙々と作業を続け、私の髪を結い上げた。私を立ち上がらせると、ドレスの裾を整える。全身を確かめ、満足げに頷いた。
「できましたわ」
「エミリア、さっきの話だけど」
「クローディア様」
私の言葉を遮って、エミリアはじっと私を見つめる。いつになく真剣な表情だ。居住まいを正して、次の言葉を待つ。しばしの沈黙の後、意を決したようにエミリアが口にしたのは、思いもかけない言葉だった。
「私は……筆頭執事のユージン様を、お慕いしているのです」
「……え?」
「去年、このお屋敷に戻ってこられた時……服は汚れ、髪は乱れているにも関わらず、美しいお姿に、不謹慎だと思いつつ一目で心奪われました。だから、父が持ってきた縁談を受けるつもりはないのです」
頬を染め、恥ずかしそうに打ち明ける。そんなエミリアを見るのは初めてだった。本当に、ジーンのことが好きなんだ。
自分の気持ちを素直に言えるエミリアが羨ましく……同時に、心の底から応援できない自分が嫌になる。
エミリアは優しい、しっかり者だ。十二の時から私と共に令嬢教育を受けていて、教養も申し分ない。本人は地味だと嘆く亜麻色の髪も、華やかな美貌を引きたてている。そして実家は裕福な商家。
ジーンにとって、申し分のない縁なのに。
「ユージンは、エミリアの気持ちを知ってるの?」
「いいえ。伯爵家が大変なこの時期に、そんな話をされてもユージン様も迷惑でしょうから」
「そう……」
私は今、よかったと安心してしまった。なんて醜い。
「あっ、誤解なさらないでください。クローディア様のお側にいたいというのも本当です! もし、ユージン様が私を受け入れてくださるなら……二人でずっと、お仕えさせていただきたいと思ってます」
これ以上は、とても聞けない。逃げるように部屋を出ようとすると、それより先にエミリアの声が飛んだ。
「この話はユージン様には内密にお願いします。クローディア様が正式な当主となられた時に、自分で打ち明けると決めていますから」
「……わかったわ。ユージンには絶対言わない」
頼まれたとしても、言えないだろう。
“カレリョー”のエンディングでは、ユージンのその後については殆ど触れられていない。一部で、共に領地を守ったというモノローグがあっただけ。だからすっかり頭から抜け落ちていた。
この先ジーンが誰かと恋をして、結婚するかもしれない、という可能性を。
その時私は、笑って祝福できるのだろうか? 想像するだけで、こんなにも苦しいのに。
そしてそんな余裕のない時に限って……“アクシデント”はやって来る。