一年目・前
与えられた時間は三年。のんびり悲しみに浸っている暇はない。
家督を継いですぐ、私は領地の育成にとりかかった。(本来なら領地の『運営』か『経営』が正しいのだろうけど、ゲームに倣って『育成』と言っておく)
両親とリチャードは、視察先で鉱山の落盤事故に巻き込まれて亡くなった。事故が原因で鉱山は閉山。それに代わる産業の育成が喫緊の課題となっていた。
「領内には鉱山以外にも有望な産業はたくさんあります。ただどれも自力では現状以上の成長は望めません。何を援助し育てていくか、まずはそれから考えましょう」
ジーンのセリフは、かつて画面越しに何度も聞いたものと同じだった。
当家の領地・ウォルコット地方は、国の南西部に位置する。温暖で、冬は雪も少ない。王都から少し離れているが、隣国に続く街道の要所であり、森や湖、肥沃な農地にも恵まれている。
どんな産業も育つ下地はある。にも関わらず、歴代の当主は育成に消極的で、鉱山を除いた産業はどれも中途半端な状態に置かれていた。
本当に、何から何までゲームと同じだ。
執務室の机に積み上げられた書類の中から、ジーンがまとめた育成候補産業の一覧を手に取る。これもゲーム画面で見たものと同じ。
顔を上げると、すぐ側に控えるジーンと目が合った。
「何かご不明な点がおありですか?」
「……いいえ、大丈夫よ」
再び書類に目を落とす。
領地経営の理論は、七歳の頃から学んできた。前世の記憶と照らし合わせてみると、ゲームの育成理論とほぼ同じだったりする。長年学んできたことがゲームと同じというのも少々複雑な気分だけど、今は喜ぶべきだろう。
文字通り死ぬほど“カレリョー”をやりこんだおかげで、何をどう育成すればどんなエンディングを迎えるか、全て頭に入っている。問題は――
どのエンディングを目指すか、だ。
“カレリョー”の中で主人公は、三年かけて領地を育成する。
産業、治安、インフラ、福祉、領民の満足度など、さまざまな分野で評価され、最終的にSS、S、A、B、Cの五段階にランク付けされる。
そのランクによって、迎えるエンディングが決まるのだ。
Cは領主失格のバッドエンド。叔父に爵位を譲り、領内の女子修道院に隠棲する。
Bは無理矢理従兄と結婚させられ、当主の実権を奪われてしまう。これもバッドエンドといっていいだろう。
Aはノーマルエンド。領主としては一定の評価を得るが、私生活では生涯独身。後継ぎとして迎えた養子の成長を楽しみに生きていく。
SとSSのエンディングはトゥルーエンドと呼ばれ、途中まで同じ流れになっている。
主人公の領地育成の手腕を高く評価した国王陛下が、勲章を授与するため彼女を王都へ呼ぶ。そして彼女はそこで、陛下からある提案をされるのだ。
“カレリョー”で唯一といっていい恋愛要素がここにあるのだが、いずれも主人公の相手はユージンではない。
ゲーム開始時から主人公と苦楽を共にするユージンは、女性ユーザーの間ではぶっちぎりで一番人気のキャラだった。その彼とのエンディングがないことが、ゲームの低評価に繋がったことは否めない。
ユージンファンの間では、生涯独身を貫き、ユージンと二人で領地を守るランクAのエンディングこそがトゥルーエンドだとも言われていた。
今ならそんなファンの気持ちがよくわかる。ジーン以外の人と結婚するくらいなら、私は誰とも結婚しない。
王太子殿下から示された期限も三年。となると三年後、育成の結果に応じたゲームのエンディングイベントが、現実でも起きると考えて間違いないだろう。
ならはじめから、ランクAのエンディングを目指して育成を進めようか?
……いや、ダメだ。
これはゲームではなく現実。私には領主として、領民の暮らしをより良く導く義務がある。全力を尽くして失敗するならまだしも、わざと手を抜くなんて、許されない。次期伯爵家当主として、十六年間生きてきた私の矜持にも反する。
だとすれば、取るべき道は一つだ。
会計帳簿や領民からの陳情記録に目を通して、素早く考えをまとめた。
「養蚕と絹織物を当面の重点育成産業に。農作物では小麦の育成を援助します」
どちらも“カレリョー”では、少ないリスクで安定した成長を見込める産業だ。恐らくこの世界でもそれは変わらない。
ゲームなら手っ取り早く領地を成長させるため、ハイリスクハイリターンの産業を育てる場合もある。でもここは現実。失敗したからといって、リセットボタンは押せない。まずは堅実に、だ。
「かしこまりました」
そう答えながらも、ジーンはどこか腑に落ちない顔だ。
「何か問題でもある?」
「いえ、賢明な選択だと思います。少々驚きましたが」
「なぜ?」
「こんなに早く結論を出していただけるとは、思っていませんでしたので」
あ! ゲームと同じ調子でさっさと決めてしまったけど、ここはジーンの意見も聞いて、もう少し考えるべきだったか。黙りこむ私を見て、ジーンは慌てて付け足す。
「早いのがいけないと言っているのではありません。むしろその逆で……迅速かつ賢明なご判断に、感服したのです。ご立派になられましたね」
ジーンの頬が優しく緩む。そういえばゲームのユージンは、主人公が領地のマイナスになるような育成をすればしかめっ面に、プラスになるような育成をすれば、嬉しそうに笑っていたっけ。
でもそれは、こんな笑顔じゃなかった。こんな、泣きたくなるような笑顔じゃなかった。ちょっとした表情の変化にすら、心揺さぶられる。結ばれないとわかっていても、この気持ちはどうすることもできない。
「気が早いわ。まだうまくいくかどうかもわからないのに」
私の揶揄するような口調に、ジーンは少しだけ表情を引き締める。
「ではこの判断の是非は後日改めてということで、一旦保留させていただきましょう。直ちに必要な書類を作成いたします」
「ユージン、待って」
退室しようとする彼を、扉の手前で呼びとめた。すぐに踵を返そうとするのを目で制する。
私はもう子供じゃない。自分の感情を抑える術を知っている。一方的に気持ちを押し付けたりはしない。けど……これくらいは、許してほしい。
「正式に当主と認められるよう、全力を尽くすわ。だからユージンも、力を貸してね」
黒水晶の瞳がまっすぐ私を捉える。時間にすればほんの数秒の沈黙の後、ジーンは左手を腹部に当て、執事の礼を取った。
「貸す、のではありません。私の身は既に伯爵家、引いてはご主人様のもの。何なりとお申し付けください。ご主人様をお助けするために、私はお側に在るのですから」
「……ありがとう」
滲む視界を誤魔化すように微笑んだ。
私を助けるために側にいてくれる。その言葉が聞けただけで十分だ。全力を尽くそう。エンディングのことは、その時が近づいてから考えればいい。
領地に暮らす人たちの幸せのため。
志半ばで逝ったお父様、お母様、リチャードに安心してもらうため。
王都の職を辞して帰ってきてくれたジーンのため。
そして、次期伯爵家当主として育てられてきた私が、確かに存在するのだと証明するために。
***
領主とその妻、筆頭執事が一度に亡くなったことで、領民はかなり動揺していた。
しかも跡を継いだのがまだ十六歳の、女の私だ。視察に出ても「こんな小娘に何ができるのか」という空気がひしひしと伝わってくる。
屋敷でも、将来に不安を感じた使用人たちが、続々と暇を願い出た。最終的には三分の一が辞めていったが、私にとってはむしろ好機だった。
今、屋敷に住んでいるのは私一人。以前ほど使用人は必要ない。
「しばらく人員の補充はしないわ」
浮いた人件費は領地の育成に回す。他にも削れるものは削って、全て育成に回すつもりだ。そうすれば“カレリョー”では一年目後半からしかできなかった街道や堤防、水路などのインフラ整備に着手できる。
しかしこれにはジーンが反対した。
「倹約には賛成ですが、警護の騎士を減らすことは認められません。むしろ増員を考えています」
確かに今、領主交代の隙を突くように野盗の増加が報告されている。ならば主要街道の詰所に配置する騎士を増やすと提案しても、ジーンは耳を貸そうとしない。
「どうしてもとおっしゃるなら、屋敷の警護は私の裁量で配置させていただきます」
「どういう意味?」
「私が個人的に経費を捻出させていただく、ということです」
筆頭執事の役目は内向きに留まらない。領地に置いては主の代理。片腕とも言える存在だ。
そのため、当主の決済無しに使える予算がいくらか与えられてる。しかしジーンの口振りからして、それを使うと言っているのではないだろう。本当に個人的な――
恐らくリチャードの遺産。
そんなの、絶対ダメだ!
両親が亡くなった鉱山事故では、数名の作業員も犠牲になっている。その全ての遺族や怪我人に対して、伯爵家からも見舞金を出した。
中でもリチャードには、長年の奉公に対する報奨の意も込めて、かなりの金額を支払っている。ジーンは頑なに拒んだが、私が強引に押し付けたのだ。命がけで両親を守ろうとしたリチャードへの、せめてもの感謝の気持ちと……ジーンへの償いとして。
このお金はジーンのために使ってもらいたい。お父様とお母様もそう望むはずだ。
「なぜそこまでする必要があるの? 領地の治安はそこまで警戒するほど悪くはないわ」
「それはこちらのセリフです。確かに三年と期限は切られましたが、焦る必要はありません。まずはじっくり産業の育成に取り組み、街道や堤防の整備はその後でも遅くはないと、私は考えます」
焦っている……のではない。
ゲームでは災害や疫病といった突発的なアクシデントは、二年目以降にしか起こらなかった。それをわかっていたから、最初の半年はじっくり産業育成に取り組み、それ以降に増えた収入でインフラ整備を……という流れだったのだけど。
これはゲームじゃなく現実。災害は明日にも起きるかもしれない。
「今できることは、今やる。私にそう教えたのは、誰だったかしら?」
私の言葉に、ジーンの顔が強張った。
「それは……」
「助言に従って、警備の騎士は補充しましょう。でも以前と同じ数まで、増員は認めません。また、ユージンが個人的に経費を捻出することも認めません。理由は必要性を感じられないから。これは当主としての決定よ」
当主としての決定と言われれば、ジーンも引くしかなかった。
結局、警備以外の人件費と伯爵家の私的な予算(主に私のドレスや装飾品)を削り、インフラ整備に回すことになった。十分とは言い難いが、仕方ない。ジーンを納得させるには、私も譲歩せざるを得ない。
そして、もう一つ。
ゲームにはなかった面倒な問題に、私は頭を悩ませていた。