三年目・三
春――
お母様がお好きだった庭が、一番美しい季節を迎えた。
今日、この自慢の庭を臨むサロンで領内の有力者の奥方とご令嬢方を招き、お茶会を開く。
「クローディア様、本日はお招きいただき、ありがとうございます」
招待客の中で一番に到着したのは、今や国内でも屈指の交易商クアーク商会代表の夫人、シーラ・クアーク。エミリアのお母様だ。
エミリアが私の『話し相手』に選ばれるほど、クアーク家は伯爵家とは親密な関係にあった。私が当主となった後も、陰に日向に支えてくれている。
私にとっても母のような存在で、口調もつい気安くなった。
「シーラ、久しぶりね。ご無沙汰してしまってごめんなさい。あの、今日はエミリアには用事をお願いしてしまって、出席できなくなってしまったの」
本当はエミリア自身が出席を拒んだのだけど。
しかしさすが母君、というべきか。シーラはすべてお見通しのようだった。
「さようでございますか。本当にわがままな娘で、クローディア様にはご迷惑をおかけしておりますわね。申し訳ございません」
「そんな、逆よ。迷惑をかけているのは私。エミリアを手放せないでいるのは、私の我儘なの。本当にごめんなさい」
以前、エミリアにジーンへの想いを打ち明けられてから、エミリアの両親には私が正式に当主と認められるまで、エミリアを当家で預からせてほしいとお願いしてある。
エミリアの両親は渋りながらも最終的には二つのことを条件に私の願いを聞き入れてくれた。
一つは私が正式に当主と認められた暁には、エミリアを実家に帰すこと。そしてもう一つは、クアーク商会が密かに計画を進めているある事業に協力してほしいということ。
二つ目の条件については当領地にも益のあることだったので、否やはなかった。問題は一つ目で……とりあえずエミリアをいったん家には帰すが、後のことは本人とよく話し合って、決して無理強いはしないでほしいと念を押しておいた。もしエミリアの想いがジーンに届いたなら、シーラたちも二人の仲を認めてほしい。相手がジーンなら、反対する理由はないとは思うけれど。
そんな事情を知らない両親が、そろそろ適齢期後半を迎えつつある娘を心配するのは当然で、先に嫁ぎ先だけでも決めておきたいという手紙が頻繁に両親からエミリアに届いている。エミリアはそれを拒否し、両親との面会の機会もことごとく断っていた。
そこまで一貫した態度をとられては、シーラも何か察するところがあるのだろう。
扇で口元を隠して、困ったように微笑んだ。
「私たちも納得した上です。クローディア様がお気になさることではありませんわ。もっとも、あの子が縁談を断り続けているのはクローディア様にお仕えしたいから、というだけではないのでしょうが」
そこで他の招待客が到着し、シーラとの話はそこまでとなった。
***
春の穏やかな光が優しく室内に降り注ぐ。お茶会は定刻通り開始となった。
今日の招待客は12人。シーラのような商家の奥方もいれば、領内の治安を担う騎士団長の奥方もいる。
領主となってから、こういったお茶会を数か月に一度、開くようにしている。
交流や世間話を通した情報収集が主な目的だったが、今回は別の意図があった。
領主となって三年目。産業やインフラ整備、治安は一定の成果を上げ、予算にも余裕が出てきた。そこで今度は手つかずだった福祉のある分野――教育にとりかかることにした。
教育は『カレリョー』がゲームだった頃は、優先度が低い育成項目だった。理由は、結果が出るまでに時間がかかる割に評価項目への効果が薄かったから。
でも私はゲームのように三年だけではなく、これからもここでずっと生きていくのだ。それならば教育は早急に手を付けるべき育成項目となる。
現状、平民が学べる場は、いわゆる町の学問所だけ。そこで教えてもらえるのは生活に必要な読み書きと計算など、最低限度のことくらいだ。それ以上の高等教育を受けるには、家庭教師をつけ、王都の王立学院に進むしかなく、結局かなり裕福な平民か、貴族にしかその門戸は開かれていない。
私はそれを変えたかった。
領民の中から希望する者を集めて、町の学問所より高度なことを学べる無償の『学校』を設立する。
家庭教師をつけなければ学べないことを学べる場にするつもりだ。そして特に優秀な者は伯爵家の援助で王立学院、王立大学へと進ませ、卒業後は領地の発展に貢献するような、しかるべき仕事についてもらう。
お父様がジーンにしたことを私はもっと大きな枠組みでやってみようと思っている。
この件を相談するとジーンは驚きながらも賛成してくれた。
『ご主人様が今まで着手してこられたのは、いずれも短期で結果がでる案件でしたので、少々意外でした。着眼点は大変よろしいかと存じます』
今まではゲームと同じ三年で結果を出すため、確実で安全な選択しかできなかった。
でも期限まで残り半年となった今、私はかなりの手ごたえを感じている。ゲームの知識に照らし合わせると、どんなに悪く見積もってもランクA以上のエンディングは確実だ。恐らく私は、領主として認めてもらえるだろう。
だからこれからは王太子殿下に認めてもらうための選択ではなく、領地の人たちがより幸せになるための選択をしていきたい。この三年だけでなく来年以降のことも考えた選択を。
伯爵家や領地の数々の産業を支える優秀な人材を育てたい。私自身、一人でできることが増えたとはいえ、まだまだジーンに依存する部分は多い。このままではジーンの負担が重すぎる。
産業の担い手にも、特にギルドの代表のような責任のある地位に就くものには、自分が携わる『一部分』だけでなく、領地や国全体から見た自分たちの産業の役割や可能性を考え、動いてほしい。
そのための知識を学ぶ場を私が用意する。もちろん、それだけでは不十分で。
人材の育成には周りの理解――
有能な人材になる可能性のある人物を使用人としている、領内の富裕層の理解と協力が不可欠だ。
たとえ一時、働き手が減ることになっても、しかるべき教育の機会を与えれば、数年後、何倍にもなって返ってくる。
領内の主だった有力者には何度か説明を重ね、何とか理解してもらった。
次は実際に使用人の差配を取り仕切る奥方と、近い将来奥方になるであろうご令嬢たちにも理解してもらうことだった。
今回の取り組みは、私の『教育構想』の第一歩だ。これを理解してもらうことはもちろん、できれば次に考えていることも少し話して、意見を聞いてみたかった。
お茶会は和やかに始まった。
互いの近況を交えた挨拶の後、本題に入った。
「この秋、広く領民に向けた新しい学びの場をここ、イーディス地区に開こうと考えています。」
領主屋敷のあるイーディス地区は、領内で最も経済水準の高い地区だ。クアーク商会をはじめ多くの店が軒を連ね、王都に続く街道の要所にもなっている。当然、富裕層も多い。今日集まってくれた奥方たちも、ほとんどがイーディス地区在住だ。
だからまずはここに『学校』を開き、成功すれば徐々に他の地域に広げていく。
既にそれぞれの家で概要は聞いていたのだろう。特に異論を挟まれることもなく、説明はすんなりと終わった。
「その学びの場がどのようになるのか、よくわかりませんが……我が家の補佐役もスタイン様のように優秀になるのであれば、反対する理由はございませんわね」
「まぁ、スタイン様ほど優秀な補佐役は、そうそうお目に掛かれませんわ」
「さようでございますわ。王立学院時代、常に成績は主席だったとか。王太子殿下が目をかけ、お側に置かれるはずですわね」
私の後ろで控えるジーンは、微笑みながら、とんでもないことでございます、と謙虚に返している。
見目よく優秀なジーンは奥方やご令嬢からも大人気だ。それを承知の上で『使用人に高等教育を受けさせた成功例』として我が家の筆頭執事を例に挙げ、ジーンを同席させたのだけど……ここまで熱い視線が集中すると、ちょっと、否、かなり面白くない。
自分がジーンを利用したくせに、本当に私は勝手だ。
「みなさま、ご理解いただき、ありがとうございます。ところで」
むりやり仕事の話に戻して、嫉妬めいた気持ちを押し殺す。
ジーンの話題できゃあきゃあと盛り上がっていた奥方たちの視線が、一斉に私に向けられる。
「私も皆さまに助けられて、こうして領主として三年目を迎えられました。私が当家を継ぐことは、幼い頃から定められたことですが、いざ当主になってみると、戸惑うこともたくさんありました。それは私が、領主としての知識を、この屋敷の中でしか学んでこなかったためです」
「それは仕方ありませんわ。本来領主は殿方の仕事ですもの」
そう発言した奥方をかばうように、すかさずシーラが言葉を添える。
「本来は殿方の役目であるお務めを、クローディア様は並みの殿方以上にこなしていらっしゃいます。十分、ご立派でいらっしゃいますわ」
シーラの言葉で、自分の発言が失言だと気付いたさっきの奥方は、慌ててシーラに同調するが、そんなこと私は気にしていない。私が言わんとしていることは、もっと別のこと。
「ありがとうございます。でももし、私が男子の跡取りのように王都の学校に通っていたら、もっと色々な知識が身についたことでしょう。人の間でしか学べないことも、たくさんありますから」
『カレリョー』の知識のおかげで、育成はある程度うまくいっている。でも人の気持ちはちゃんと理解できなくて、絹織物のギルドの一件でわかるように、失敗ばかりしている。所詮私は、知識だけの頭でっかちなのだ。例えば学校のような場所で、大勢の人と意見を交わしながら学ぶことができていたら。
そもそも我がアリステアには、高貴な女性が教育を受ける場がない。王立学院も、王立大学も、通えるのは男子のみ。男女問わず通える町の学問所は、その点は優れている。
高貴な女性の教育は、家庭教師によるいわゆる令嬢教育。良き妻、良き母となるために必要な知識と技量を学ぶというのが一般的で、私のように領主教育を受ける女子は稀なのだ。
女子の家督相続が実際難しいのは、それも原因の一つと言えるだろう。
私は自分が優秀だとは少しも思っていない。お父様に与えられた教育と、『カレリョー』の知識のおかげで、できているだけ。つまりは、教育の機会が与えられれば、女子でも私以上に有能に仕事をこなせる人はいるはずなのだ。
新しく作る『学校』には、ゆくゆくは女子も迎えたい。密かにそう考えていて、皆の反応を確かめたかったのだが……
話は思わぬ方向に転がってしまった。
「だったら領主様、早くご結婚されてはいかがですか?」
「そうですわ! こんなにもお美しいんですもの。いつまでも独身でいらっしゃるのも、もったいないですわ」
「ご夫君をお迎えになり、ご当主の仕事はお任せになって、ぜひ早く跡取りを。それが一番ですわ」
貴族として生まれた以上、跡取りを残すことも義務の一つ。それはわかっている。わかっているけど……
適当に相槌を打ったものの、こう手放しに仕事より結婚をと求められてしまうと、さすがに落ち込んでしまう。
やはりジーンを想いながら一人でこの領地を守っていく選択は、認められないのか。いずれは跡取りを残すために、結婚をしなくてはならないのか、と。
ジーンにも以前、遠回しに結婚を勧められたことがある。ここで一緒に話に乗ってこられると、気が重い。様子を伺うと、ジーンは何やら難しい顔で明後日の方角を見ていた。珍しい、ジーンが仕事中にぼんやりしているなんて。
すると助け舟は意外なところから出された。
「皆様のお気持ちもわかりますわ。でも伯爵家当主でいらっしゃるクローディア様のご結婚ともなれば、そう簡単には決められないのでしょう。私たちのためにも、お相手は厳選していただかないと」
ね、と微笑みかけてくれる。シーラには本当に助けられっぱなしだ。
そうですわね、と何人かの奥方が同調し、話題は今、王都で流行している最新のドレスのことに変わる。
切り出したのは、やはりシーラだ。実はその話題は、当領地やクアーク商会と無関係ではない。全く抜け目のない奥方だ。
華やかな話題で大いに盛り上がり、お茶会は盛況のうちにお開きとなった。
***
辺りが少しずつ夕陽の色に染まるころ、帰路につく奥方やご令嬢を車寄せまで見送る。
最後の一人は、シーラだった。
「シーラ、今日は本当にありがとう」
「こちらこそ、有意義な時間をありがとうございました。あの、クローディア様、少しだけお話しさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
シーラは私の後ろに控えていたジーンと警護の騎士にちらりと目を向ける。どうやら二人だけで、という意味らしい。もちろん断る理由はない。ジーンたちにはすぐに戻ると言って、シーラと二人で庭に出た。
少し冷たくなった風が頬を撫でる。ガゼボに案内しようとしたが、シーラはすぐに終わるのでと、庭を見つめ立ったまま話を始めた。
「前伯爵ご夫妻……クローディア様のご両親がお亡くなりになるひと月ほど前に、ご夫妻と晩餐を共にする機会がございましたの。その折に、夫がクローディア様のご結婚のことを尋ねましたのよ。当時、クローディア様は十六歳におなりになったばかりでしたけど、伯爵家の跡取りなら早すぎることはない、むしろ早く立派な婿を迎えて、領民を安心させてほしい、と」
シーラの視線が私に移る。少し間を置き、はっきりと言った。
「伯爵は夫に、こうおっしゃいましたのよ。『クローディアにはつらい思いをさせた。結婚も希望をかなえてやることはできないが、無理強いはしたくないのだ』と」
希望をかなえてやることはできない――
その言葉の意味を、私は瞬時に理解する。いつか想いが届けばいいと思っていた。でもその先に結婚があるとは考えてもいなかった。それほど幼い恋だったのに。
そう、だったの。空を仰ぎ、小さくため息をつく。お父様は私の気持ちに気付いていたの。
「奥様もおっしゃっていました。伯爵家の跡取りである以上、しかるべき相手との政略結婚は免れない。それでも少しでもクローディア様がお相手を選べるよう、厳しい跡取り教育をしているのだ、と。クローディア様が何もわからなければ、わかる方を婿に迎えるしかなく、それだけでもお相手の範囲が狭まってしまいますから」
初めて知る事実。両親がなぜ女子の私に立派な跡取り教育を与えたのか。『ゲームの都合だから』ではなく、きちんとした理由があった。私を思ってのその理由は、同時に私を苦しめた。
私に甘かった両親でさえも、私の相手としてジーンを完全に除外していた。当然だ。お母様のおっしゃる通り、貴族の結婚は家同士のものだから。
「どうして今になってその話を聞かせてくれたの?」
私の問いに、シーラはちょっと困ったように微笑む。
「先ほどの席で結婚のお話が出たので、良い機会だと思ったのです。お急ぎになる必要はございませんが、いずれは相応しいお相手と結婚していただきたいと、夫も私も願っております。クローディア様のご両親も、きっとそう願っていることでしょう。そして恐らく、スタイン様も」
シーラも私の気持ちをわかっている。その上で、諦めさせようとしている。
今までの私なら、何と言われようと気持ちは揺らがなかっただろう。
でも、今は……
シーラの話で、気付いてしまった。ジーンが私を拒んだのは、当然なのだ、と。
好きだと言いながら、私はジーンのことなんて少しも考えていなかった。私の想いは、ジーンにとって迷惑でしかなかったのだ、と。