バルコニーで昼食を 1
グラントが侍女を引き連れて去るのを見送った後、シンディが改まってヴェルクルッドに頭を下げた。
「……ヴェルクルッド様、この度は本当に有難う御座いました」
「いいえ、お役に立てたのでしたら、何よりです」
ヴェルクルッドは良かれと思って出しゃばったのだが、少々押し付けがましかったかとも思っていた。
なので、改めて礼を言われて安心したが、まだ少しの不安――というか、疑問は残っていた。
「……ですが、本当によろしかったのですか?」
「何がでしょう?」
「商売をなさっているのでしたら、王家の方々との関係は、喜ばしいことなのではありませんか?」
そう問えば、シンディは僅かに躊躇った後、ヴェルクルッドを見上げていった。
「……実は私、香水で生計を立てているわけではないのです」
「――そうでしたか」
その答えは、ヴェルクルッドにとって意外ではなかった。シンディの立ち居振る舞いは、上流階級のそれだ。趣味、道楽として香水を作っているといわれるほうが納得できる。
「はい。――家族にも内緒で香水を取り扱っているものですから……その、王家に取り立てていただくのは……」
「ああ……なるほど、そういうことでしたか」
家族に内緒で香水を作り、そして、内緒で供もつけずに街に出ていることを知られるのは都合が悪いということだ。
金を稼ぐ意図はなく、目立ちたくもないならば、王家の誘いは確かに有難迷惑といえるだろう。
「はい、ですから、本当に有難う御座いました。あの、何かお礼をさせていただきたいのですが……」
「いいえ、そのお気持ちだけで。私たち騎士が女性のために働くのは、報酬を求めてのことではありません」
騎士が女性を助けるのは、金銭や、報酬目当てではない。困っている女性を助けないのは騎士として最低――勿論、善意が大前提にあるのだが、いってしまえば騎士は、己の面子を保つために女性を助けるのだ。
助かった、と言ってもらえればそれが報酬、感謝の気持ちだけで十分、というのがヴェルクルッドの率直な気持ちだった。
「……ですが……」
だが、それではシンディが納得できそうにない。
確かに、ヴェルクルッドとて、誰かに助けてもらえれば、感謝を形にしたいとも思う。
「――では、そうですね。実は私は昼食がまだなのです。よろしければご一緒していただけませんか?」
「え……あの……それは」
ヴェルクルッドの提案に、シンディは瞬き――困ったように口ごもる。
「もうお済みでしたか?」
ならば、無理にとは言わない。
そういって引こうとしたヴェルクルッドだったが、それを先読みしたのか、シンディが急いで首を横に振った。
「い、いえ、そうでは……ええと……。で、では、今日はお天気もよろしいですし……屋外で……よろしいでしょうか。バルコニーのようになっていて、見晴らしのよい場所を知っておりますし、お食事は、テイクアウトできるお店に心当たりがありますから」
「それは楽しみですね、では、ご案内いただけますか」
「はい。では、まずお店に行きましょう」
ヴェルクルッドが頷けば、シンディはほっとしたような微笑を浮かべて、歩き出した。
店に向かって歩くヴェルクルッドは、すれ違う人々と挨拶を交わすシンディの顔の広さに驚いていた。
国に仕える一番隊の騎士として有名なヴェルクルッドに声がかけられるのは珍しいことではないが、そのヴェルクルッドに劣らぬくらい、シンディにも声がかかっていた。露店の主やら、若い女性やら――どうやらシンディは、顔を覚えられる程度には露店を出しており、お得意さんもそれなりに抱えているようだった。
「――あ、あちらです」
そういってシンディが示したのは、看板に、前足でハープを奏でる子馬の絵が描かれた店だった。
「ああ、歌う子馬亭でしたか」
そこはヴェルクルッドも知っている――常連客として通っている、酒場兼宿屋であった。
「まあ、ご存知でいらっしゃいましたか」
「ええ。友人とよく通っています。食事が美味しいですよね」
ヴェルクルッドの言葉に、シンディは微笑んだ。
「はい。実は私、ここのサンドイッチが好きなのです」
「ああ、わかります。他所とは一味違いますよね。パンは柔らかいですし、具材も……」
「――おや、初めて見る組み合わせだねえ、ヴェルクルッド様にシンディちゃん」
ヴェルクルッドとシンディの会話が弾みだしたところで、声がかかった。歌う子馬亭の女将だ。
「――ふうん? うん、お似合いだよ二人とも!」
女将は、ヴェルクルッドとシンディをじろじろと見たかと思うと、破顔した。
「え?」
「シンディちゃんなら大丈夫! この私が太鼓判を押すよ! いやあ、流石はヴェルクルッド様だ。エスト様と違って、見る目があるねえ」
軽く驚いたヴェルクルッドの肩を、女将は遠慮無しにばんばんと叩きながら、シンディにも笑いかけた。
「シンディちゃんも、いい男を捕まえたじゃないか!」
「あの、いえ、私……」
「――女将さん、残念だけれど、誤解だから」
困惑するシンディに代わって、ヴェルクルッドが女将を窘めた。
苦笑しながらいえば、「おや、そうなのかい?」と、女将は存外あっさりと引いた。若干、残念そうな顔をしてはいるが。
「ああ。それより――シンディ嬢、ご注文はどうされますか?」
「あ、はい。ええと……それじゃあ女将さん、サンドイッチセットをお願いします」
「はいよ。ヴェルクルッド様は?」
「じゃあ俺は、ミートパイとサラダ。あと、ワインと……シンディ嬢、マカロンはお好きですか?」
「え? あ、はい」
「では女将さん、それも加えて」
「あいよ! それじゃあちょっと待ってておくれよ」
「――きゃあ、やっぱりヴェルクルッド様!」
注文を伝えに奥へ向かった女将と入れ違いに、若い女性が出てきた。彼女はヴェルクルッドの顔を見るなり、黄色い声を上げて駆け寄った。
「声が聞こえたから、もしかしてって思ったんです!」
「こんにちは、マリーヌ嬢」
「こんにちは、ヴェルクルッド様、お会い出来て嬉しいです! 最近、歌を聞きに来てくれないから寂しくて……あら、こちらのお嬢さんは?」
満面の笑みでヴェルクルッドに挨拶を返して――マリーヌは、ヴェルクルッドの傍に立つシンディに気がついた。
その視線を受けて、シンディが慌ててお辞儀する。
「あ、は、初めまして、シンディと申します」
「……マリーヌです。ここの娘で……夜は歌を歌っているの」
マリーヌの声と態度は、ヴェルクルッドに向けたものとは明らかに違っていた。どこか不機嫌な彼女に、シンディは察するところがあったが――敢えて触れずに、別方向へ話題を向ける。
「ああ……ですから、歌う子馬?」
「そうよ。貴方は初めて見るけど……」
そういってマリーヌは、シンディの全身をじろじろと見た。先ほどの女将の視線とは違って、値踏みするような不躾な視線であったが、こちらも、シンディは敢えてスルーする。
「はい、私はお昼にしか来たことがありませんし、大体テイクアウトを利用していますので……」
「そうなの。じゃあ今度是非、夜にも来てよね。――ご家族とでも」
マリーヌはヴェルクルッドにちらりと視線を向けた後、含みを持たせて「ご家族と」といった。
「あ……はい……」
どのような言葉もスルーするつもりでいたシンディであったが、その一言には、引っかかってしまった。
「? シンディ嬢?」
急に顔を曇らせたシンディを、ヴェルクルッドが覗き込もうとした、その時。
「お待ちどう! ちょっとサービスしておいたからね! 二人とも、仲良くするんだよ!」
「あ、ありがとう、女将さん」
威勢の良い女将にバスケットを押し出され、ヴェルクルッドは反射的に受け取っていた。そして、女将の手に御代を乗せる。
「あ、ヴェルクルッド様、御代は私が……」
「いいえ、お誘いしたのは私ですから」
慌ててシンディが財布を取り出したが、ヴェルクルッドはそれを笑って押し留めた。
「ですが、私は、ヴェルクルッド様にお礼を……」
「ほらほらシンディちゃん、ここは男の顔を立ててやるのが、女の甲斐性だよ」
尚も言い募ろうとしたシンディの背を、女将が反転させて軽く押した。
「え……ですが」
戸惑うシンディだったが、ヴェルクルッドには「さあ、行きましょう」と声をかけられて。
「また来てくださいね、ヴェルクルッド様。――シンディさんも」
マリーヌには、手をひらひらと、送り出されて。
「あ、はい、では、失礼します――あら?」
とりあえずお辞儀を返したところで、流されたことに気付いたシンディであった。