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彼女のための戦い 3


 剣が宙を飛んでいる間に、ヴェルクルッドは踏み込んだ。

 繰り出した突きが、グラントの頬を浅く裂く。つ、と一筋、血が頬を伝った。

 

 「……え……?」

 

 シンディも侍女も、野次馬たちも、その時何が起こったのかわからなかった。

 ――がらん、と、宙を舞ったグラントの剣が、地面に落下した。

 

 「……俺の負けだ」

 

 両手を軽く上げて、グラントは一歩、大きく後退した。

 それを確認したヴェルクルッドは、保っていた残心を解いて剣を引いた。

 

 「な……グラント様! 一体今のは何で御座いますか!?」

 

 ギャラリーの中で一早く我に返ったのは侍女であった。それを聞いた野次馬たちも、口々に喋りだす。

 

 「何だも何も。俺の剣が巻き上げられた。隙が出来た俺にヴェルクルッドが突きを放った。それだけだ」

 「巻き……? 何です、それは!」

 「そりゃあ、こう、相手の剣に剣を合わせて素早く巻き込んで、相手の剣を手放させる技だ」

 

 食って掛かる侍女に、グラントは面倒くさそうに説明した。が、実演はないので、いまいち理解しにくい。

 

 「とにかく、俺の負けだ」

 

 グラントはそれ以上の説明を放棄した。地面に転がった己の剣を拾い上げると、巻き付けていたハンカチを解き、さっさと鞘にしまう。

 

 「ほれ」

 「っ」

 

 無造作に投げられたハンカチを、慌てて侍女が受け止めた。土埃がついたくらいで、破れたりはしていない。

 

 「――このような結果で、姫様がご納得くださるとでも!?」

 

 侍女が喚いた。ぼろぼろになったハンカチならば、激闘、接戦の末、と言い訳も出来ようが、この綺麗さではそうもいかない。

 

 「納得しようがしまいが、それが事実なんだから仕方ない。――なあ、皆の者!」

 「おお! グラント様の仰るとおりだ!」

 「決闘の結果には、いかに姫様といえど、文句は許されねえぞ!」

 

 グラントの煽りに、野次馬たちが乗る。

 

 「……く……っ」

 

 返す言葉を無くした侍女は――せめてもか、ハンカチをぐしゃぐしゃに握りつぶした。

 

 「――シンディ嬢」

 「ヴェルクルッド様……」

 

 周りの騒々しさをよそに、ヴェルクルッドは静かにシンディに歩み寄った。

 シンディの前に片膝つくと、土埃もついていない袖を差し出す。

 

 「この勝利を、貴方に捧げます」

 「――ご無事のご帰還、とても嬉しく思います。素晴らしい戦いでした、ヴェルクルッド様」

 

 胸が詰まった様子のシンディは、だがそれでも毅然と、礼を言って袖を受け取った。

 その様は、ヴェルクルッドにとって、とても好ましいものに映った。

 

 「貴方のために戦えたことは、私の誉れです」

 

 片手を胸に当て、頭を垂れる。

 毅然とした美しい女性と、彼女に傅く凛々しい騎士。

 まるで絵物語から抜け出たような二人の姿に、野次馬たちから感嘆の溜息が漏れた。

 割って入ることを躊躇させるような、そんな空気が二人の間に流れていたのだが。

 

 「――やれやれだ。噂どおりだな、ヴェルクルッド。いい腕だ」

 

 そんな空気をぶち壊して――というか、まるで気付いた素振りもなく、グラントが声をかけた。

 

 「グラント殿」

 

 すっと立ち上がって、ヴェルクルッドは軽く一礼した。

 

 「俺もまだまだだな。これは、今度の闘技大会に楽しみが増えたぞ」

 

 負けたというのに特別悔しがることもなく、グラントはにやりと笑った。

 

 「またお手合わせいただけるのでしたら、その時も全力でお相手させていただきます」

 「おう、望むところだ」

 

 グラントはヴェルクルッドの肩をぽん、と一つ叩き――シンディに視線を向けた。

 

 「娘、手間をかけさせたな。だがこれで、お主は姫の下に出向ずに済むわけだ」

 「あ……いえ。私は何も……全てはヴェルクルッド様のお蔭で御座います」

 「いやいや、こういう綺麗な娘の応援があればこそ、騎士は力が出せるというものだ。その点、ほれ、俺のほうは……なあ?」

 

 グラントは侍女のほうに、意味ありげな視線をくれた。それに気付いた侍女が、苛立たしげに声を荒げる。

 

 「グラント様! それは私に不満があるということでございますか!?」

 「いいや、そのようなことは一言もいっておらんぞ」

 「……グラント様」

 

 飄々と嘯いて見せたグラントに、シンディは迷いを見せつつも声をかけた。

 

 「うん? なんだ、娘」

 「……本当に、よろしいのでしょうか。如何に決闘の結果とはいえ、姫様のご希望を裏切るような形になっては……グラント様や、侍女の方にご迷惑が掛かることになるのではないでしょうか」

 

 そのことが、シンディはとても気掛かりだった。

 わがまま姫の異名を持つトレフィナだ。決闘の結果を聞いたとしても、納得するとは思えない。決闘に負けたグラントや、務めを果たせなかった侍女に辛く当たるのではないかと不安に思う。

 

 「うむ。まあ、わがまま姫だからな。決闘の結果といっても不機嫌になるだろうし、喚き散らしもするだろう」

 

 グラントは顎をしごきながら一つ二つ、頷いて見せた。

 

 「……では、やはり私は」

 「だがな、娘。あのわがまま姫には、少々お灸をすえてやるべきだと、俺は思っている」

 

 シンディの言葉を遮って、グラントは言った。

 

 「世の中には、思い通りにいかぬこともある。それを思い知らなければ、あの姫はいつまでたっても成長しないだろう。それでは、あの姫の親衛隊の騎士、全ての不幸だ」

 「では、グラント殿は、姫のお怒りを買うことを覚悟で、それでもご忠告を?」

 「まあ、適切な忠告を与えることも、部下の役目だろう」

 「――グラント殿の貴いお志に、真、敬服いたします」

 

 ヴェルクルッドは深く礼をした。

 貴婦人とは、騎士をより洗練された人格へ導く存在であるべきといわれている。だが、その貴婦人――この場合はトレフィナのことだ――は現在、騎士を高みに導けるような存在ではない。グラントは、それを改善させようというのだ。

 ヴェルクルッドや他の騎士にしてみれば、素晴らしい主を願って探すだけである。忠誠を誓った主を、相応しき人物に育て上げようと考えることはなかった。発想の転換に、ヴェルクルッドは目から鱗が落ちる思いであった。

 

 「ふはははは! まあ、偉そうなことを言っても、結局は、腹に溜め込むことが出来ぬ俺の性質ゆえ、なのだがな!」

 

 ヴェルクルッドの感心を、グラントは笑い飛ばした。だが、そんな磊落なところにも、ヴェルクルッドは尊敬の念を抱く。

 

 「グラント殿の忠誠を受けた姫は、真に果報なことですね」

 「それをいうならば、ヴェルクルッド、そなたの忠誠を受けるものこそ、果報者だろう。誰か、決めた相手はおらんのか」

 「――残念ながら」

 

 ヴェルクルッドは苦笑して――ちらりと、傍らのシンディを見た。

 奉仕を誓う女性の身分は問われないが、臣従を誓う相手の身分は、貴族以上と決められている。相応しい家柄と、騎士に俸禄を与えられる、裕福なものに限られているのだ。

 もしシンディが貴族であったのなら、臣従を誓うのも良かったかもしれない。だが、彼女は貴族ではない。

 ――少なくとも、貴族であると名乗っていないシンディに、ヴェルクルッドから望めることではなかった。

 

 「ふむ。まあ、主は慎重に見定めることだな。……正直、わがまま姫は、お奨めせん」

 

 付け加えられた一言は、侍女の耳を気にしてか、囁くものであった。

 

 「――ご忠告、肝に銘じます」

 

 ヴェルクルッドは真面目に聞き入れた後、苦笑を見せた。

 

 「ふはははは! ではな」

 

 笑い声を上げながらグラントは、もう一度ヴェルクルッドの肩を叩き――不満げにむっつりとしている侍女を引き連れて去っていった。

 


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