勝者の名前
コロシアムに大の字にひっくりかえったグラントは、全力を出した後の清々しさを感じながら青い空を見上げていた。
その視界に、赤い騎士のヘルムが入ってきた。
グラントが身体を起こせば、そこに騎士の手が差し出される。
グラントは有難くその手を借りて立ち上がった。そして、手を握ったまま、未だヘルムを被った騎士に問いかける。
「――参った。俺はグラント。貴殿の名を伺いたい」
「…………」
赤い騎士は無言でグラントから手を引くと、ヘルムを脱いだ。
「……お主……!」
グラントが驚きに目を瞠り、遅れてその顔を認めた観衆たちも、ざわめいた。
「ヴェルクルッド……!」
「はい。お久しぶりです、グラント殿」
ヘルムを脱いだ赤い騎士――ヴェルクルッドは、グラントに微笑みかけた。
「な、戻っていたのか!」
「はい」
「ならとっとと挨拶にこんか! 一体何処で何をしていたのだ、お前は!」
「申し訳ありません」
「全く……。しかし、何故本名ではなく、赤い騎士として出場したのだ?」
「実は……私が到着した頃には、既にこの大会が始まってしまっていまして……」
シルディアの命運はグラントに託すしかない、とコロシアムを訪れたヴェルクルッドに、この赤い装備の持ち主が声をかけてきたのだ。
彼は――パラデスであった。
ヴェルクルッドは警戒したが、パラデスは既に魅了の呪いが薄れ始めており、シルディアへの敬愛を抱いている状態であった。パラデスは、シルディアの自由を勝ち取るために――過去の罪から、パラデスの名で参加することは出来なかったので――赤の騎士として大会に参加していたのだ。
パラデスは、ヴェルクルッドが出場していないことを不思議に思っていた。コロシアムでヴェルクルッドを見かけ、その事情を知った彼は、赤の騎士としての参加枠を快くヴェルクルッドに譲り渡したのである。
が、一応、参加者の入れ替わりは褒められたことではない。事実が知られれば、優勝権を取り上げられかねない。
なので、ヴェルクルッドは苦笑と共に頼んだ。
「内緒にしておいていただけると、有難いです」
「ははは! 心配するな。誰にもいわん!」
盛大な歓声が巻き起こる中、グラントは親しげにヴェルクルッドの肩を抱いた。
「――さあ、お主の主殿を、堂々と、迎えに行くといい!」
「はい」
ヴェルクルッドの顔には、押さえきれない喜びが広がっていた。
この大会の優勝者には、シルディアへの求婚が許される。
ヴェルクルッドは晴れがましい気持ちで、コロシアムの王族席を仰ぎ――
「……姫……?」
しかしそこに、何よりも求める姿は、なかった。
王と王妃、トレフィナも、ヴェルクルッドの登場は予想外だったのか、身を乗り出してこちらを見ている。彼らの護衛騎士の姿も確認できる。
が、シルディアの姿だけがない。傍に控えているはずのダイアンの姿も、ない。
観客たちも、シルディアの不在に気付き始めたようだ。歓声に、どよめきが混ざり始めている。
そんなどよめきを押さえ込むかのように、王妃が一歩進み出て、高らかに告げた。
「――ヴェルクルッド、見事な勝負でした」
「……王后陛下。恐悦至極にございます」
ヴェルクルッドは不安を抱きながらも、騎士として完璧な礼をした。
「さて、本来ならばシルディア自らが貴方を労うべきなのでしょうが、血に弱いあの子は、観戦中に気分を悪くし、部屋に下がっています。貴方の優勝権の行使は、本日夜のパーティーにて執り行うこととします」
「――は。承知いたしました」
シルディアが血に弱いというのは口実だと、ヴェルクルッドは気付いていた。ヴェルクルッドの怪我を、何の恐れも躊躇いも無く適切に治療できたシルディアが、血に弱いはずが無い。
だが、そんな不審は押し込めて、ヴェルクルッドは毅然と頭を垂れた。
王妃は鷹揚に頷くと、一際声を張った。
「それでは、闘技大会はこれにて終了とします! 最後に、勇敢なる騎士たちに賞賛の拍手を!」
王妃とヴェルクルッドのやりとりによって、観衆たちの違和感も払拭されたようだ。盛大な拍手が、コロシアムに鳴り響いた。
暖かい拍手に送られて堂々とコロシアムを退場したヴェルクルッドは、通路に入るなり、笑みを消した。
「ヴェルクルッド様!」
「セイニー嬢! 姫は一体どうなさった!?」
ヴェルクルッドは、コロシアムの通路で待ち構えていたセイニーに勢い込んで訊ねた。
「わ、わかりません! 姫様、急に、飛び出してしまわれて……! ダイアン様が追っていますけれど……!」
「……何処にいるかはわからないか……! 姫は、いつ出られた!?」
「ヴェルクルッド様とグラント様が戦ってる途中……中盤くらいですわ!」
「…………」
ヴェルクルッドは唇をかんだ。丁度接戦を繰り広げていた辺りだ。
もしかしたらシルディアは、グラントが勝てない可能性を考えたのかもしれない。
「ヴェルク! 姫は、部屋には戻られてなかった!」
「エスト……なら、姫は何処に……っ。いや、とにかく探しにいく!」
考えている時間も惜しいと、ヴェルクルッドは駆け出した。
チェインメイルを着たまま、ヴェルクルッドは城外へ飛び出た。
「ヴェルクルッドや」
「! ユファ殿……!」
城門にはユファがいた。
「ユファ殿、姫を見かけられませんでしたか!?」
「あちらだよ」
そういってユファが示したのは、入江の方向だった。
「あちら……ユファ殿?」
入江のほうを見てからユファを振り返ったヴェルクルッドだったが、しかしそこにはもう、ユファの姿はなかった。
「ユファ殿……?」
ユファが隠れられるような場所はない。どれほど早く駆けたとしても、ユファの姿がヴェルクルッドの視界から消えるなどないはずなのに――にもかかわらず、ユファの姿はなかった。
「…………」
ユファは一体何者なのか、という疑問が、ここに至ってヴェルクルッドを悩ませた。
湖の緑の女性はユファを知っている素振りであった。親しみをもっているように感じた。
ならば、ユファは、彼女と同じ――
「――いや」
今は、ユファの素性を詮索している場合ではない。ヴェルクルッドは軽く頭を振って疑問を振り払うと、教えられたとおりに入江へ向かって走り出した。




