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揺れる心


 「……シルディア、貴方、本当によいの?」

 

 周囲の歓声に紛れ込ますように、王妃はシルディアに問いかけた。

 

 「お母様……」

 「シルディアや。嫌なら嫌といっておくれ。このような大会、儂が居合わせれば、断じて承諾しなかったものを……!」

 

 王妃の言葉に乗る形で、王もまた言った。

 玉座の腕置きでは、握られた拳が、だんだん! と苛立たしげに打ち付けられている。

 

 天候が回復して、王と王妃がようやく国に戻ってきたときには、既にシルディアを賭けた闘技大会開催が近隣諸国に知れ渡ってしまったあとだった。

 そうなっては、一国の王といえども、なかったことには出来ない。止めるとしたら、それは開催が告知される前でしかなかった。

 王と王妃は、その時、国を留守にしていたことを、今日までずっと悔やみ続けているのだ。

 

 「お父様……」

 

 両親の思いやりに、シルディアは微笑を浮かべた。しかしそれはどこか悲しげだ。

 

 「……大体、お姉様は我慢しすぎなのですわ。身勝手な男どもなど、勝手に争わせておけばよいのです!」

 

 つん、と頤を上げて、トレフィナがシルディアを非難した。

 

 「トレフィナ……。けれど、放っておいては、きっと戦争が……」

 「……そんなの、我が国には関係ありませんわ。……いいえ、お母様。お母様が、東と南の国を和解させようと努力なさっていたのは勿論知っておりますわ。ですがそれでも! あのような馬鹿二人、互いに食いつぶさせて、その後お母様が吸収合併なさったほうが、余程民のためですわ!」

 「トレフィナ……」

 

 トレフィナの言葉は、王族としては褒められたものではない。だが――それも姉の幸せを願っての言葉と考えれば、窘めるのもシルディアには躊躇われた。

 

 「うむうむ」

 「…………」

 

 王は、溺愛する娘の言葉に、本気なのだが追従なのだかいまいちわかりかねる頷きを繰り返している。王妃は、物憂げな視線でシルディアを見つめるばかりだ。為政者としてはシルディアの決断を退けるわけには行かず、かといって、母としては、その幸せを願ってやまない、複雑な心境であるのだ。

 

 「――まあ、グラントに任せておけば、大丈夫でしょうけれど」

 

 トレフィナは、煮え切らないシルディアの態度に溜息を一つついた後、コロシアムを見下ろした。

 

 「……そうですね。そう……願っています……」

 

 眼下で繰り広げられる熱戦を、シルディアは祈りながら見守る。

 国随一の騎士、グラント。力強く、その大柄な体躯のわりに、敏捷に動く歴戦の勇士。

 対するは、ヘルム、チェインメイル、盾とフル装備の騎士。赤の騎士の名で登録した彼は、一体どこの騎士なのか。その剣捌き、身のこなしはグラントに勝るとも劣らない。

 

 もしこれが、己が命運の懸かっていない戦いならば、シルディアは名勝負に惜しみない賞賛を送ったことだろう。

 しかし、今のシルディアには、そのような余裕はなかった。

 目は確かにコロシアムの激闘を追ってはいても、シルディアの思考は別の場所にあった。

 

 ――ヴェルクルッド。

 

 音信不通ののち、無事に帰ってきた彼。

 間際に事情を知ったのだろう。逃げようと、言ってくれた彼。

 その言葉、想いに応えられなかったことが、シルディアの心を重くしていた。

 彼の眼差しを思い出すと、顔が火照る。

 一途に寄せてくれる想いに、胸が高鳴る。

 シルディアは、ヴェルクルッドと一緒に逃げたい、と思った。

 その思いを辛うじて押さえ込んだのは、ここで逃げては最悪、戦争と言う事態が想定されたからだ。

 

 「…………」

 

 ――シルディアは、目を瞑って微かに頭を振った。

 

 いいえ、気付かぬふりはやめましょう。私は――逃げたのです。

 

 ヴェルクルッドが示す恋情、それが、結局は己が身に宿る呪いゆえであると……そう思っているから。

 いつか、この呪いが効果を失う日が来たとき、ヴェルクルッドが正気に戻り、シルディアに失望の視線を向ける日がくるのではないか……そんな未来の可能性に怖気づいて、逃げたのだ。

 

 抱いた不安と疑念が、シルディアを王女としての責務に立ち返らせた。

 僅かに傾いた天秤が、もう一度振れてしまわぬうちに、シルディアはヴェルクルッドに否を告げた。

 それでももし――ヴェルクルッドがシルディアの決断を是としなかったら。力尽くで攫うことに踏み切っていたら。

 そうしたら、シルディアはきっと、大した抵抗もせずに身を任せただろう。

 

 ヴェルクルッドが、そうせずに理性に従ったのは――シルディアにとって、良かったのか、悪かったのか。

 安堵と共に、落胆した気持ちが、まざまざと思い出されて――

 

 「…………え……?」

 

 そこで、シルディアは気がついた。

 魅了の呪いにかかったものたちは、しばしば非常な行動力を示す。過去の侯爵子息然り、パラデス然り。呪いは、彼らを大胆に――無鉄砲にすら、する。それが、シルディアの経験から見出された効果の一つだ。

 

 しかしヴェルクルッドは、理性に従った。

 

 「――私は、その命令に、従わなければ、ならないのですから……」

 

 騎士としての規律に、従った。

 それは――果たして、魅了の呪いにかかったものに、可能な行動なのだろうか。

 

 「……っ」

 

 シルディアは胸元を押さえ、頭を振った。不審に思ったトレフィナが「お姉様?」と声をかけたが、それに答える余裕もなかった。

 抱いた疑問が、シルディアの心を、これ以上ないというくらいに掻き乱す。

 

 魅了の呪いは、概ね、彼らを無鉄砲にさせる。そうだとしたら、ヴェルクルッドが理性に従ったのは――彼が、魅了の呪いにかかっていないことの証明になりはしないか。

 いいや、もともとの、本人たちの気質と言うものもあるのだろう。クリストファーは、シルディアに対してそのような行動を見せることはなかった。

 

 疑問を抱き、それを打ち消し、しかし疑問はまた膨らみ――シルディアの心は、千々に乱れた。

 その時、一際強い歓声が巻き起こった。

 

 「!?」

 

 ハッとしてコロシアムを見下ろせば、火花散る打ち合い、鍔迫り合いが披露されているところだった。

 シルディアの素人目では、どちらが優位かはわからない。

 だが――今はその勝敗の行方よりも、気にかかって仕方のないことがある。

 

 ヴェルクルッドはそもそも、シルディアの魅了の呪いを解く方法を探す旅に出ていたのだ。もし、もし――本当に、そんな方法を見つけていたら?

 仮に、旅に出る前は魅了の呪いがかかっていたとしても、解呪の法を見つけ、既にヴェルクルッド自身の心が自由になっていたのだとしたら?

 

 ヴェルクルッドのあの熱情は、呪いゆえなのか、それとも――

 

 「…………っ」

 

 シルディアは、立ち上がって身を翻していた。

 

 「お、お姉様!?」

 「シ、シルディアや? 何処へ行くのだ」

 「――行かせてあげましょう」

 

 シルディアの突然の行動に面食らうトレフィナと王とを宥めて――王妃は、この試合が少しでも長引くことを願った。

 


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