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湖にて 2


 森の香りがヴェルクルッドを包みこむ。

 そして、ヴェルクルッドは、己が見知らぬ場所に居ることに気がついた。

 

 「――っここは……俺は一体……」

 

 己の記憶を遡って思い出したのは、湖の塔で、緑の女性と会話したこと。

 

 「っ姫……!?」

 

 一体どうして、姫のことを忘れてしまっていたのか。

 有り得ない失態に、ヴェルクルッドは歯噛みする。

 

 「……いいや、今はとにかく戻らなければ!」

 「――なんじゃ、もう気付いたのか」

 「!? 貴方は……!」

 

 気付けば目の前に、緑の髪と目、病的な白さの肌の娘――モリーであり、湖の塔の主でもある彼女が出現していた。

 

 「……ほう、その香り……ふうむ、ユファめ。余計な真似を」

 「……これは、一体どういうおつもりですか!」

 

 目を眇めた後で面白そうに呟いた彼女を、ヴェルクルッドは鋭く問い質した。

 ヴェルクルッドは、自分が、女性の魔法の虜になっていたことを察していた。

 礼を尽くして助力を求めた相手を、有無を言わさず虜にするとは、なんという仕打ちか。騎士ならば、それは許されざる非礼である。

 

 「何、ちょっとした実験よ。色々と魔法のコレクションをしているが、たまには使ってやらねばな?」

 

 しかし騎士ではない女性は、ヴェルクルッドが信奉する騎士の礼儀など歯牙にもかけずに微笑んだ。

 

 「……少々、お戯れがすぎるのではありませんか」

 「そうか? 可愛いものであろう? 死ぬでなし。怪我とて、ほれ、幻よ」

 

 ぱちん、と女性が指を鳴らせば、ヴェルクルッドの胸元から血が消え去った。牙で穴を開けられた洋服も、元通りである。

 

 「…………」

 

 痛みも、服の破れも、全てが魔法による錯覚。

 ヴェルクルッドは、見破れなかった己を不甲斐なく思いつつも、このようなことをした女性を睨みつけずにはいられなかった。

 

 「わかったわかった。わらわが悪かったから、そう睨むでない」

 

 女性は、手を振って投げやり気味に謝罪した。あまり誠意の篭っていないそれでは、ヴェルクルッドの怒りは緩まなかった。変わらぬ強さで睨み据えれば、女性は、す、とヴェルクルッドに顔を寄せてきた。

 

 「な……」

 

 面食らい、若干身体を反らしたヴェルクルッドに、女性はにんまりと笑いかけた。

 

 「まあ、怒った顔も、眼福ではある。――のう、ヴェルク。そなたこのまま、わらわのもとで暮らさぬか? 楽しくくらそうではないか」

 「……お断り申し上げます」

 

 湧き上がる嫌悪感を押し込めて、ヴェルクルッドは努めて平静に辞退した。女性はあっさりと身体を引くと、肩を竦めて見せた。

 

 「やれやれ、かなり本気なのだが」

 「私は、主の呪いを解く術を、探しております」

 「それを授けたら、わらわのものになるか?」

 「…………そ、れは……」

 

 顔を覗き込まれながら問われ、ヴェルクルッドは言葉に詰まった。

 シルディアの呪いを解く方法は知りたい。そのためならば何を犠牲にしても良いと思っていたはずなのに――ヴェルクルッドは、躊躇ってしまった。

 

 その要求を受け入れたら、ヴェルクルッドは、シルディアの傍にいられないことになる。

 いや、シルディアの憂いを払うためならば、傍にいられないことくらい、我慢して受け入れるべきだ。それこそが、騎士の忠誠。だが、しかし……。

 

 「……よい、忘れよ」

 「!」

 

 ヴェルクルッドの葛藤は、女性の声で強制停止をかけられた。

 

 「我ながら無粋なことをいった。――ほれ」

 

 ほい、と無造作に放り投げられた小さなものを、ヴェルクルッドは危なげなくキャッチした。

 

 「これは……」

 

 小さな銀の指輪。

 ヴェルクルッドが問う視線を送れば、女性は一つ頷いた。

 

 「破魔の指輪よ。これに触れたものは、あらゆる魔法の効果から逃れる。お主が持っていた瓶の中身の、永続版よな」

 「……では、これで……姫の呪いは……?」

 「常に嵌めておれば、魅了の呪いも効果を発揮しまいて」

 「頂いて、宜しいのでしょうか」

 

 ヴェルクルッドが慎重に確認すれば、女性はあっさりと頷いた。

 

 「うむ。破魔の道具は、そう珍しいものでもない。以前、ユファにも融通したが……はて、あれはまた別件であったのか? ――まあ、よい。今回、おぬしが持ち込んだ水晶のほうがよほどレアよ。遠慮せず持ってゆけ」

 「――有難う御座います、……」

 

 感謝を告げて――ヴェルクルッドは、目の前の女性の名を知らないことに気がついた。

 魔法に囚われていたときはモリーと呼んでいたが、それが名とは限らないのだ。

 

 「モリー。それは確かにわらわの名じゃ」

 「は。心より感謝致します、モリー様」

 

 改めて礼をいい、ヴェルクルッドは小さな銀の指輪を握り締めた。

 これで、シルディアのもとに帰れる。

 シルディアを呪いから解放することが出来る。

 己の想いを、もう一度、伝えることが出来る。

 

 「うむ。――おお、もし姫に振られたら、戻ってきてよいぞ?」

 

 ヴェルクルッドが深い喜びに浸っているところで、それを茶化すようにモリーが笑いかけた。ヴェルクルッドは苦笑を返す。

 

 「……お気持ちは有難く。ですが、たとえ受け入れられずとも、私は、許される限り近くに、あり続けるつもりです」

 

 指輪を握り締めた手を胸元にあてて誓う、ヴェルクルッド。

 そんな姿を見せられてしまっては、これ以上邪魔をするのも野暮と言うものだ。

 

 「……はあ、やれやれ。盛大にのろけられてしもうた。もうよい、疾く去ね」

 「――失礼致します」

 

 しっしと邪険に追い払われたヴェルクルッドは、最後にもう一度丁寧に頭を下げてから――駆け出した。

 

 

 ヴェルクルッドは、いつのまにか足元に現れていた光の道に従って走り、湖を渡り、対岸に至った。

 そして、そこにいたノエルの歓迎を受けた後、跨る。

 乗馬は随分と久しぶりのような気がしたが、ヴェルクルッドの心はシルディアへの想いで浮き立っていて、深く追求するには至らなかった。

 城への街道をひた走るヴェルクルッドの前方に、人の姿が見えた。栗毛の馬に乗っているその人は、ノエルの足音を聞きつけて振り返り――

 

 「ん? あ、君! いつぞやの兄さんじゃないか!」

 

 ぶんぶんと手を振ってきた。

 正直、先を急ぎたいところであったが、これを無視するのも失礼な話だ。ヴェルクルッドはノエルの足を緩め、並んだ。

 

 「……これは、吟遊詩人殿。奇遇ですね」

 「そうだねー。あの美人さんは、一緒じゃないの?」

 

 トレフィナの婚約話が持ち上がった際に隣国の情報をくれた吟遊詩人は、ヴェルクルッドの背後を探るようにきょろきょろした。

 

 「……ええ。これから戻るところです」

 「そっか。じゃあ、一緒に行っていいかな? ちょっと離れてたんだけど、面白そうな噂聞いたから、あの国に戻るところなんだ」

 「構いませんが……噂とは?」

 「あれ? 知らない? ほら、あそこの引きこもり姫に、求愛が重なって」

 「何!?」

 

 ごく軽い調子で言われたその言葉に、ヴェルクルッドは心臓を鷲掴まれたかのような衝撃を受けた。

 

 「え?」

 

 ヴェルクルッドが件の姫の騎士であることを知らない吟遊詩人は、過剰と思える反応に面食らったが、「どういうことですか!」と強く促されたので、話を続ける。

 

 「あ、ええと、うん、で、戦争も起きそうなごたごたに発展したから、じゃあ闘技大会で結婚相手を決めようってことになっ――」

 「っ失礼! 急用ができた!」

 

 皆まで聞かずに、ヴェルクルッドはノエルの腹を蹴った。ノエルは主人の要請にすぐさま応じて、矢のように走り出す。

 

 「って、ええ!? 兄さーん!?」

 

 一人置いてけぼりをくらった吟遊詩人は、しばし呆然と、遠ざかる騎影を見送った。

 


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