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湖にて 1


 深い森の中、清らかな水が満ちる湖を前にして、ヴェルクルッドは愛馬ノエルから降りた。

 荷物袋の中から水晶球を取り出し、かざす。

 しばらく掲げたままで様子を見れば、やがて水晶がほんのりと輝き始め、それに呼応するかのように、湖の中心点で、光の柱が立った。

 

 「…………」

 

 旅に出てから初めて目にする反応を、ヴェルクルッドは固唾をのんで見守った。

 光は、徐々に弱まりながらも、大きく広がっていく。

 やがて光の柱が消えたときには、そこに島と塔が出現していた。

 早速島に向かおうとしたヴェルクルッドだが、島があるのは湖の中央。歩いて渡るには深く、船になりそうなものもない。

 

 ならば、泳ぐしかない。

 

 迷うことなく結論を出したヴェルクルッドが、湖の縁に足を踏み入れた、その時。

 再び光が出現した。今度は湖面を這うように、島から、ヴェルクルッドの正面まで。

 

 「…………」

 

 ヴェルクルッドは、その光の道に、そっと足を乗せてみた。

 かつん、と音がして、存外固い感触が伝わった。乗せた足に体重をかけ、続けて完全に乗りあがってみても、光の道はびくともせず、変わらずそこにあった。

 これは、島の主からの招待状か。

 ヴェルクルッドは水晶球を袋にしまって携えると、一人、光の道を進んだ。

 

 

 光の道は、島の中央に聳える塔まで続いていた。

 ヴェルクルッドが入り口の前に立てば、扉は自動で開いた。

 さっと周囲を見回したが、案内人はいないようだったので、「――失礼します」と一声かけた後、入り口をくぐる。

 塔内部にはいくつか部屋があるようだったが、今も足元にある光の道は、そちらには繋がっていない。

 ヴェルクルッドは光に従って進み、広間の中央に至って、それは途切れた。

 

 「…………」

 

 光の道から降りたヴェルクルッドは、油断なく周囲を見渡した。

 正面には空の玉座が一つ。そのほかには特別見るものもない、殺風景に広く、天井の高い広間だった。ヴェルクルッドは正面の玉座に視線を戻した。

 

 「!」

 

 つい最前まで空であったそこに、若葉色の長い髪で、新緑色のドレスを身にまとった女性が座っていた。

 

 「何用か」

 

 病的なほどに白い肌の女性だったが、その声は低いものの、か細くは無かった。張りのある声が、朗々と広間に響く。正面からの声に違いないはずなのに、声は、四方八方からヴェルクルッドに届いた。

 驚くヴェルクルッドを見て、女性は、やけに鮮やかに赤い唇を、笑みの形に吊り上げた。

 

 「――お目にかかれて光栄で御座います」

 

 動揺から素早く立ち直ったヴェルクルッドは、跪き、丁重に頭を垂れた。

 

 「私は、シルディア王女に仕える騎士、ヴェルクルッドと申します。シルディア王女の師、ユファ殿からお教えいただきまして、御身のご助力を賜りたく、参上いたしました」

 「……ユファの? ……聞こう」

 「は。我が主は、異性の心を束縛する、魅了の呪いを持ってお生まれになりました。主は、その呪いに大変心を痛めておられます。呪いを無効化する術にお心当たりが御座いましたら、何卒、お力添えくださいますよう、お願い申し上げます」

 

 面を伏せたまま一通りの説明をして、ヴェルクルッドは、一際深く頭を下げた。そしてそのまま、息を詰めて返答を待つ。

 

 「…………ユファが、手ぶらでそなたを寄越すとは思えん」

 

 しばしの沈黙の後に与えられた返事は、ヴェルクルッドの要請に応えるものではなかったが、これは予想した反応のひとつであった。

 ヴェルクルッドは袋から水晶を取り出し、捧げ持った。

 

 「は。こちらの水晶をお気に召していただければ幸いに御座います」

 「ふむ」

 

 女性が玉座を立って、滑るように――足音もなく、ヴェルクルッドの面前に立った。

 ヴェルクルッドが捧げ持った水晶を無造作に取り上げ、くるりと一回しする。

 

 「――ほう、これは珍しい。人を操る魔法か」

 

 女性の反応は淡々としたものであった。珍しい、という言葉すらも、さして感慨深いものではなかった。

 

 「…………」

 

 水晶では駄目だったのかと、ヴェルクルッドは内心焦りを抱いた。

 

 「――ふうむ。ヴェルクルッド」

 「は」

 

 答えたヴェルクルッドの目の前に、ずい、と水晶が差し出された。

 面食らうヴェルクルッドの前に水晶を据えたまま、女性が身を屈めた。

 若葉色の髪の一房がヴェルクルッドの頬を擽り、ヴェルクルッドの耳元に、女性の吐息がかかる。

 

 「…………」

 

 そして、何事かが囁かれたが――しかしその言葉を理解するより前に、ヴェルクルッドの意識は途絶えていた。

 

 

 剣を腰に佩き、矢筒を背負い、弓を持って、ヴェルクルッドは扉を開けた。

 丁度戸口付近にいた、緑の髪と目で、やや病弱な白さの肌を持つ美しい女性が振り返り、笑顔を見せた。

 

 「ヴェルク」

 「モリー、それじゃあ、行って来る」

 「ええ。今日もたくさん、狩ってきてね!」

 「ああ。任せろ」

 

 モリーの激励を背に受けて、ヴェルクルッドは森の奥へと進んだ。

 病弱なモリーだが、最近は身体の調子がよいようで、食欲もいつもよりある。ならば、この機会に体力をつけてもらおうと、ヴェルクルッドは良さそうな獲物を探して歩いた。

 途中で見つけた薬草を摘み、野兎を一羽狩る。

 兎の処理を終え、顔を上げたヴェルクルッドの視界を、黒い影がよぎった。

 

 「!」

 

 素早く弓を引き絞り、視線を巡らす。

 葉擦れの音と、鳥の鳴き声。

 周囲の気配を探るが、どうやら近くにはいないようだ。

 ヴェルクルッドは弓を下した。

 地面に置いていた兎を拾い上げ――その時、葉の重なりを突き破って、狼が飛び出してきた。

 

 「っ」

 

 弓を構えるには近過ぎる。

 ヴェルクルッドは兎を放り出し、腰に佩いていた剣を引き抜いた。が、それを構えるより早く、狼がヴェルクルッドの喉目掛けて跳躍した。

 むき出しの牙が迫る。

 

 「……っ!」

 

 ヴェルクルッドは辛うじて身を捻った。喉への一撃は避けられたが、牙は胸に届いた。牙が食い込む。

 痛みに歯を食いしばりながら、ヴェルクルッドは狼に剣を突き刺した。

 剣は、狼の無防備な横腹を貫いた。その反動か、一瞬、牙が更に深く食い込んだが、狼の身体は次第に弛緩していった。

 

 「…………っ」

 

 ヴェルクルッドは、狼の牙をゆっくりと引き剥がした。

 そして怪我の手当てをするべく、血に染まった胸元を見下ろす。

 

 「……何だ、これは……?」

 

 血に染まった胸元、そこには、紐を通して首からかけられた小さな袋があった。

 しかし、ヴェルクルッドに覚えはなかった。

 

 「……知らないうちに、モリーに持たされたのか?」

 

 例えば、寝ているときにでも、こっそりと。

 ヴェルクルッドは短い逡巡の後、袋を開けてみた。

 

 「……瓶?」

 

 小さな瓶に、少量の液体が入っている。

 ヴェルクルッドは瓶の蓋も開けてみた。

 

 ――ふわりと、森の香りが漂った。

 


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