残された者の憂鬱 4
晩餐会にて、グラントはつまらない顔で辺りを睥睨していた。
「……その不機嫌な顔をどうにかして。見ていて不愉快だわ」
そんなグラントの隣で苦々しく囁くのは、美しく着飾ったトレフィナだ。きらびやかに装った姿は、多くの男たちの視線を集めている。
「なあに、見目麗しいのはそこら中におる。目の保養をしたいのなら、俺のような仏頂面などみずに他所へ視線をやるがいい」
「……あ、貴方は、今日は私のエスコート役なのよ。そんなことできるわけないでしょう! ……何がそんなに面白くないの」
トレフィナは、思わず声を荒げそうになったのを慌てて抑制し――しかし眉を顰めるのは止められずに、グラントを睨み上げた。不機嫌な表情すらも美しい、と囁く声がトレフィナの耳に届くが、今のトレフィナには、その他大勢の賛辞よりも、今、隣に居る男の不興のほうが重要だった。
「何と問うか? 当然、目の前に酒があるというのに飲めぬことだ」
「……それだけ?」
己の何がグラントの不興を買ったのかと不安だったトレフィナは、あまりといえばあまりな理由に、拍子抜けした。だが、グラントはあくまで本気だ。
「何? それだけというか? これは俺の死活問題であるというのに!?」
「……いいわ。宴が終わったら、良いワインを貰ってきてあげるから、笑いなさい。……あ、貴方は、作り自体はいいのだから、笑って、後は黙ってさえ居れば、私の隣に立つには十分なのよ」
「やれやれ――ん?」
ツン、と顔を背けたトレフィナに、グラントは肩を竦めて――そこで、睨みあう男二人の存在に気がついた。
「貴様のせいで、あのレディの不興を買ったのだ!」
「何を! 貴様の無作法を棚にあげ、よくもそのようなことをぬけぬけと!」
あたり憚らず、険悪な空気を撒き散らす二人に、トレフィナの頬が怒りで上気した。
「……っ私の晩餐会で、なんと無礼な……!」
「……さて――そこまでにしていただきたい、両殿下」
グラントが、今にも掴みかからんばかりの二人の男――東国と南国の王子の間に割って入った。
「っな、何だ貴様! 無礼者!」
「私を誰だと……!」
「それはこちらの台詞ですわ、両殿下。楽しむべきこの場で、何を争っておいでですの」
「! トレフィナ姫……」
「いや、これは……」
グラント相手ならばいくらでも居丈高に出られた王子たちも、主催者たるトレフィナを前にしては言い訳も紡げずに、気まずげに視線を交わした。
「紳士たるお二人に相応しくない醜態でいらっしゃいますこと。私、お二人を軽蔑してしまいそうですわ」
トレフィナは二人に冷たく流し目をくれた。
二人は、以前からトレフィナに求愛していた。トレフィナのこの言葉は、二人にとって何より効き目のある脅しであるはずだった。
しかし。
「――いいえ、やはりトレフィナ姫のお言葉であっても、これは譲れません!」
「な、なんですって!?」
トレフィナの勘気など恐れるに足らず、と主張されてしまって、トレフィナは目をむいた。
「俺とて! ああ、あのレディを貴様の視界に入れたこと、返す返すも悔やまれる!」
「ちょ、お二方!?」
グラントの大柄な身体を間に挟みながらも、腕を伸ばして掴みかかろうとする王子たちに、トレフィナは混乱した。
対して、間に挟まれながらも、グラントは冷静だった。腕をつっぱって王子たちを引き離しているが、振り回された手が身体を打って、鬱陶しい。
グラントはさっと辺りを見回し――援軍を呼んだ。
「やれやれ。おおい、エスト!」
「……は。――宴でそのような狼藉はお控えください」
グラントに呼ばれたエストは、一瞬面倒くさそうな顔を見せたが、すぐに無表情を装って、王子の一人をグラントから引き離した。もう片方の王子は、相変わらずグラントが押さえている。
「く! 放せ! 放さんか!!」
「この……っ」
「っいい加減になさいませ!」
距離を取っても睨みあい、悪口を投げ合う二人に、トレフィナは苛立って声を張り上げた。
「……っ一体、お二方の御心を奪ったのは、どのように美しい方ですの!?」
「! そう、彼女こそ、春の女神!」
「麗しい顔立ち、怒りを孕んで煌くエメラルドグリーンの瞳!」
「白い肌、薔薇色の唇!」
「艶やかな栗色の髪!! おお、いとしの乙女よ!」
王子たちは、名も知らぬ女性を賛美する言葉を、競い合って歌い上げた。つい一瞬前までいがみ合っていたとは思えぬほどに、息が合っている。
「……随分気が合っているようだな」
とりあえず、いがみあうのは止めたようなので、グラントは一歩引いて様子をみることにした。そのグラントに並んだエストは、若干顔を引きつらせつつ囁く。
「……グラント殿、俺、なんか嫌な予感がしてきたんですけど」
「む?」
「――! レディ!」
何を、と問い返す前に、王子の片方が、広間入り口に目を留めて喜色を露にした。
皆が、王子の視線を追ってそちらに注目する。そこには、相応しい衣装に着替えたシルディアがいた。
「何!? おお、我が麗しの乙女!!」
「……お、お姉様……!」
「ああ、やっぱり……」
広間中の視線を集め、硬い表情ながらも毅然と歩いてくる主を見て、エストは思わず頭を抱えた。
「このような場所で再びまみえることが出来ようとは……! これは最早運命です!」
「いいや、貴方の運命の相手はこの私に相違ありません!」
王子たちは先を争ってシルディアの下に駆けつけ、熱く気持ちを訴えた。
「――私は、お二方のお気持ちにお応えできません」
シルディアは、二人の熱意と言葉に心動かされることなく、硬い声で拒絶を伝えた。しかし、それくらいで、恋の熱に浮かされた王子たちが納得するはずがなかった。
「何故で御座いますか!」
「どうか、チャンスをお与えください! どうすれば私は貴方の愛を得ることができるのです!?」
「私は……」
どうしたら諦めてくれるのかと、シルディアが悩んで言葉を止めたその短い隙に「もしや!」と王子の片方が声を上げた。
「こやつのせいですか!? こやつと私の間で、悩んでいらっしゃる!?」
「おお、そのようなことでお悩みになる必要はございません。私のほうこそが、貴方に相応しいのですから!」
「っ重ね重ね、お前は……! ええい、許すまじ! 我が国の精鋭のみならず、最後の一兵までも費やして、貴様と貴様の国を打ち倒してくれる!」
「は! それはこちらの台詞だ! 貴様の国を、雑草の一本も生えぬ土地に変えて……」
「っお止めください!」
シルディアを放って、醜いほどにいがみ合う王子たち。その苛烈さにしばし呆然としていたシルディアであったが、途中で非常に物騒な言葉を聞き取って、鋭く声を発していた。
「っ」
シルディアの声に、王子たちは絶句し、動きを止めた。
「女一人のために、国を滅ぼす戦争を起こすなど、断じてあってはなりません!」
「…………」
シルディアの悲痛な訴えの後、沈黙が降りた。
皆が固唾を呑んで、次の展開を待つことしばし。動いたのは、やはり王子の片方であった。
「――では、貴方がお決めください」
「……え……?」
右手を取られて、シルディアは目を瞬いた。
「そうです、私を選んでいただければ、ことは解決するのですから!」
「っわ、私は……」
左手も取られて、シルディアは混乱した。
戦争は断じてあってはならない。だが、シルディアは二人のうち、どちらも選ぶつもりはない。けれど、それを伝えたら、またこの二人は声高に戦争を唱えるのだろう。
「――まあ、落ち着かれよ、皆の衆」
堂々巡りに陥ったシルディアの思考に待ったをかけたのは、悠然と構えるグラントであった。
「ぐ、グラント?」
一体この場をどう収めるつもりか。そう視線で問うトレフィナに、グラントはにやりと野太い笑みを向けて、告げた。
「ここは一つ――尋常に一騎打ちといくべきではないか?」
「っグラント殿、それでは、姫は!」
反射的に、エストは否を唱えた。一騎打ちでは、必ず勝者が出る。勝者がシルディアを手に入れてしまう。そんなことは、認められなかった。
だからこその素早い異議に、しかしグラントは宥めるように言葉を繋げた。
「待て待て、エスト。続きがある。――さて、我らが王女はなかなかに罪作り。求婚を望む輩は多く居る。それらを無視するのも酷な話。そこでだ。闘技大会を行い、優勝者が王女に求婚できるということにしてはどうか」
グラントの提案が理解されるに従って、広間にざわめきがおきた。
「グラント様……」
賞品にされたシルディアは、咎めるではなく――問うように、グラントを見つめた。そして不安げなシルディアに、グラントは笑って頷いて見せた。
「さて、王子たちも一角の騎士なれば、貴婦人はその武勇で勝ち取るが誉であろう?」
「――いや、しかし」
「そ、それは……」
グラントの軽い挑発に、王子たちは乗らず――あからさまにしり込みを見せた。結局、王子たちは、己自身の腕には自信がないのだ。
これならば、グラントの思惑通りの結果に持ち込むのは、そう難しくはないだろう。
「さて、シルディア姫よ。……どうする?」
「…………わかり、ました……」
グラントに決断を迫られ――シルディアも、覚悟を決めて、頷いた。




