残された者の憂鬱 2
いくらも進まないうちに、シルディアの耳に異音が届いた。
金属が強く打ち合わされる音、怒声。馬の嘶き。
「……ダイアン様、あの音は……」
「……誰かが争っているようですね。……姫、お近づきにならないほうがよいと思います」
「……ですが……」
シルディアは表情を曇らせた。
護衛騎士としてのダイアンの判断は正しい。戦闘が行われている場所に、どうして護衛対象を引き連れていかなければならないのか。無関係な戦闘ならば尚更、鉢合わないようにするべきだ。
しかしシルディアは、その場を立ち去りかねた。
そして、シルディアが足踏みしている間に哀れな馬の嘶きが聞こえ、続いて、どう、と重量のあるものが倒れる音がした。
「っ今、何か倒れる音がしました! どなたかが、落馬されたのかもしれません」
「お待ちください、姫!」
駆け出そうとしたシルディアの手を、ダイアンは握り締めて制止した。
怪我人を放っておけないというシルディアの意志は尊いが、やはり複数人が交戦している場所へ行かせるわけにはいかない。ダイアンは折衷案を出した。
「私が見て参りますので、姫は、どうぞこちらでお待ちください」
「……はい、そうですね。お願いします、ダイアン様」
「は」
シルディアとて、己の立場は弁えているのだ。駆け出すダイアンの背に、「お気をつけて」と言葉をかけた。
足元はぬかるみ、戦闘に向いた場所ではなかったが、それは彼らの戦意を挫くほどの障害ではなかった。
馬上の二人、落馬した一人、剣を構えて睨みあう三人。
チェインメイルを装備している様子は見受けられない。示し合わせた戦闘ではなく、出会いがしら的な戦闘のようだ。
お互いの出方を窺う彼らに向けて、ダイアンは声を張り上げた。
「――双方、剣を収められよ! 祝賀を控えるこの地にて、諍いは許しがたい!」
「! なんだ貴様は!」
「っふん! 一介の騎士風情が、この俺に意見するか!」
「ええい! 邪魔立てするというのなら、女! 貴様から斬り捨ててくれる! 者共、かかれ!」
ダイアンの登場は、歓迎されなかった。
むしろ、彼ら共通の敵として認識されてしまい、槍と剣がダイアンに向けられる。
「……くっ!」
分が悪い。
しかし、今更引けない状況だ。
覚悟を決めて、ダイアンは腰に下げた剣を引き抜いた。
「――おおおっ!」
雄叫びを上げて、剣士が突進してくる。
ダイアンはその突撃をいなし、剣士の足を浅めに斬り払った。
「ぐ!?」
向こう脛を斬りつけられた剣士は肩から倒れ、顔面が泥に塗れた。
続いてダイアンは、様子を窺って剣を構えていた剣士に斬りかかった。
「な……う、く……っ!?」
己が標的になるとは思っていなかったのか、剣士の腰は引け、ダイアンの鋭い打ち込みに剣を合わせるので精一杯だった。
「――はっ!」
ダイアンは渾身の力で打ち込んで剣を叩き落すと、がらあきになった男の顎に、右ストレートをくらわせた。
「っ」
男は脳震盪を起こして、背中から仰向けに倒れた。
「ええい! 不甲斐ない! どけ! 俺がいく!」
馬上の男は、業を煮やして宣言するなり、馬の腹を蹴った。
「っく……卑怯者が!」
ダイアンは非難の言葉を投げつけながら、馬の突進、槍の一撃を辛うじてかわした。
騎士たるもの、戦闘の条件は等しくあるべきだ。馬なら互いに馬で。徒歩なら互いに徒歩で。落馬した相手と戦闘を続行するのなら、自らも馬を降り、互いに剣で勝負するのが騎士としての作法。
それを、馬上の男は無視してのけたのだ。卑怯とそしられて当然の行為であるが、しかし馬上の男がそれを気にするそぶりは欠片も見受けられなかった。
馬首を返し、槍を構えなおし、ダイアンににやりと笑ってみせる。
「……っ」
ダイアンは歯を噛み締め、男を睨み据えた。
男が、再び馬の腹を蹴った。
馬が迫り、槍が突き出される。
ダイアンは横っ飛びに避けたが――しかし馬は速く、槍のリーチは長かった。
槍は、ダイアンのチェインメイルをひっかけ、その切っ先は肩に触れた。
「っぐあ……!」
チェインメイルのおかげで威力は減じたが、馬の突撃の威力は相殺できるものではなかった。
ダイアンの身体は宙を飛び、もんどりうって地を転がる。
「……っダイアン様……!」
数度身を転がし、倒れ伏したダイアンを見て、シルディアは飛び出していた。
「ダイアン様!」
「……っお、下がりくださ、お逃げください、お嬢様っ!」
シルディアに頭を抱えられたダイアンは、訴えた。幸い、肩の傷は深くない。が、シルディアを守り抜くことが出来るとも思えなかったからだ。
しかし、シルディアは承知しなかった。ダイアンに向かって緩く頭を振ると、キッと男たちを睨み上げた。
そして、凛と――要請する。
「――皆様、剣をお収めください」
「お、おお……」
「なんと、美しい……」
馬上の二人が、シルディアを見て呟いた。シルディアの要請など、耳に入っていない。
「……お、嬢様」
「ダイアン様……私のせいで、申し訳ありません」
「いえ、そのような……それよりも、お嬢様……」
ダイアンは、馬から下りた男二人の動向を警戒した。
男たちは、シルディアだけを見つめて、足早に寄ってきていた。
「……はい。わかっています」
シルディアはダイアンに頷いて――目の前に膝をついた男二人を見据えた。
「――美しいレディ。どうか、御名を」
「貴様! 抜け駆けをするな! マイレディ、かように濡れては風邪を召される。どうぞ、私と共にいらしてください。手厚いもてなしをお約束いたします!」
シルディアの前に跪いた男二人は、シルディアに熱の篭った視線と声を向けながら、隣の男には敵意を忘れずいがみ合う。
シルディアは、しかし寄せられる想いに、微塵も揺らがなかった。
冷めた視線を男二人に等分に向け、淡々と告げる。
「女性騎士一人相手に多人数で襲い掛かる方々は、信用に値しません。お下がりください」
「っ」
「ぐ……っ」
彼らにしてみれば思いがけず冷たい言葉にそれぞれ息を呑み、シルディアの静かな怒りに身を竦ませた。
シルディアは、追い討つように二人に冷めた一瞥をくれると、腕に抱いたダイアンに優しく語り掛ける。
「――さあ、帰りましょう。すぐに手当てをしなくては」
「……面目御座いません……」
ダイアンはシルディアの手を借りて立ち上がった。
「――道をあけてください」
「…………」
シルディアの静かな気迫に抗えるものは、誰も居なかった。




