王妃の昔語り 2
媚薬、というもの自体は、今の世でも珍しいものではない。一部の花の香りにその効果があるといわれている。が、それは経験則に乗っ取ったものであり、誰にでも確実に効果が発揮されるわけではない。
「……魔法時代の媚薬……で、ございますか」
しかし、魔法時代の、と注釈がつく――しかも、王家に代々伝わる秘蔵の品となれば、その効果は、今の比ではないだろう。
「ええ。その媚薬を共に飲んだ男女は、永遠に愛し合うようになる。そう言い伝えられているものでした」
「……では、王后陛下は……それをご使用になられたのですか」
「――そうです。……そしてようやく、私と陛下は夫婦となりました」
魔法の媚薬を使用したことに負い目があるのか、王妃の表情は暗く、声にも張りがなかった。
王妃が嘘をついている、とは思わない。
が――ヴェルクルッドは失礼を承知で訊ねた。
「……ですが……王后陛下。失礼ですが……私には、王后陛下が魔法の影響下にあるとは思えません」
王の態度をみれば、魔法の効果があったといわれても納得が出来る。それほどに、王は王妃を溺愛している。
だが、王妃が王を溺愛しているそぶりは――ヴェルクルッドは見たことがない。
「――その通りです、ヴェルクルッド。確かに私は陛下と共に媚薬を飲みました。一時期は、本当に……お互いのことしか目に入らない状態だったのですよ」
そんなヴェルクルッドの疑問を、王妃は肯定した。しかし、それでも同じ媚薬を飲んだという。
「それは……真に申し訳ないのですが……少々信じがたい思いです」
ヴェルクルッドは困惑した。
ヴェルクルッドが知る王妃は、常に王をより良きほうへと導く理性的な人物である。この国は、王妃のおかげで回っていると専らの評判だ。
そんな王妃が、以前は王しか見えていなかったとは――俄かに信じられることではなかった。
信じられないというヴェルクルッドを、しかし王妃は咎めることはしなかった。暗かった表情に、苦くはあるが笑みすら見せる。
「無理もありません。私が陛下しか見ていなかった時期は、未だ王太子妃のとき。前国王夫妻も健在で、陛下と私が揃って人前に出る機会は、それほど多いものではありませんでしたし……何より貴方はまだ生まれたかどうかというところでしょうから」
「……では、媚薬といっても、個人によってその効果に差があるものだったのでしょうか? 陛下にのみ、未だ影響を残していると……そういうことでございますか?」
王太子妃時代といえば、もう二十年は前のこと。いくら魔法の品といえども、その効果が切れてもおかしくない。
「……そうね。そうでしょう。ある日突然、私だけ、魔法が解けたのです」
「ある日、突然……でございますか?」
「ええ。それがどういう作用によるものかはわかりません。ですが……何故か私は、陛下に対する盲目的な愛情がなくなっていたのです。――ああ、話が少し逸れていますね。問題は、私がまだ魔法の影響下にあったときに、シルディアを身ごもっていたということです」
「……では、シルディア姫は、まさか……」
ここに至ってようやく、ヴェルクルッドは話の方向が見えた。
「……ええ。シルディアは私と陛下が飲んだ媚薬の効果を、身に宿して生まれてきたのだと、私は考えています」
媚薬を飲んだ同士の子供が皆そうなるのかは、他に症例がないからなんともいえないが――発揮された効果には見当がついた。
シルディアは、「お互いに媚薬を飲む」というプロセスを飛ばして、相対した異性を虜にする力を持っているということだ。
それも、かなり強力な。
「だからこその……彼らの、暴走……」
パラデス然り、クリストファーが語った侯爵子息然り。
唐突にして過剰に思えた彼らの行動には、そのような理由があったのだ。
「ええ。……以前の事件のときに、私はそのことに思い至りました。……シルディアに、話しました」
「……では、シルディア姫は……」
「ええ。ですからあの子は、異性から寄せられる好意は、皆、魔法の媚薬のせいだと考えています。そして……それを否定することが、私には出来ません」
王妃は、悔いていた。
いくら王家の血筋のためとはいえ、安易に魔法の媚薬に頼ったことを悔いていた。
そのせいで、わが子が人の心を信じられずにいる。人としての幸せの、一つの形を手に入れられないでいる。
それが何より悲しかった。
「…………」
王妃の告白を聞いて、ヴェルクルッドは己の心を振り返ってみた。
シルディアを想うこの気持ちは、魔法によって齎されたものなのだろうか、と。
笑顔が見たい。
傍にいたい。
役に立ちたい。
認めて欲しい。
護りたい。
必要とされたい。
抱きしめたい。
手に入れたい。
誰にも渡したくない。
自分だけを見て欲しい。
――――閉じ込めて、しまいたい。
「っ」
そんな想いが浮かんだ瞬間、ヴェルクルッドは息をのんで拳を握り締めていた。
「……ヴェルクルッド?」
「! ……い、いえ……失礼致しました……」
「……動揺しているのですね。無理もありません」
王妃は、ヴェルクルッドが己の想いの真偽を自問したことを察した。
己の気持ちが魔法によって齎された――偽りのものであるといわれれば、動揺するのも当然だろう。
「ですが――それで何より苦しんでいるのは……あの子なのです」
シルディアは、魔法による被害者を出さないために、部屋に篭るようになった。
年頃の娘のような――そう、妹のトレフィナのような華やかな生活とは無縁に、静かにつつましく過ごしている。
それが、シルディアの本質であるならばまだしも、そうせざるを得なかったからだとすれば、娘が不憫でならない。
「ヴェルクルッド」
「は」
「……どうか、あの子を見捨てないでください」
王妃は――いや、シルディアの母は、懇願した。
シルディアが、魅了を自覚して以降、初めて傍にあることを許した青年。
願って願って、ようやく変化の兆しが見えて、内心喜んでいた。ついに魔法がその効果をなくしたのかと思い始めた頃に――シルディアはまた引きこもってしまった。前以上の頑なさで。
「……どうか、お願い……」
「――言われるまでもございません。我が身、我が心は、既にシルディア姫に捧げております」
ヴェルクルッドは毅然と告げた。
宣誓は、既に成されている。
今更、魔法がどうので覆されるほど、ヴェルクルッドの宣誓は軽いものではない。
そして何より――心が、シルディアを求めているから。
だから、ヴェルクルッドは迷わずそう答えることが出来た。
「――感謝します、ヴェルクルッド」
ヴェルクルッドの力強い言葉に、王妃は心の底から安堵し、淡い笑みを零した。




