王妃の昔語り 1
シルディアは、徹底的にヴェルクルッドを――いや、男性を、避け始めた。
お忍びで街に出かけることもなく、完全に部屋に引きこもり、傍にはセイニーとダイアン、後は数名の侍女しか近寄らせない。ヴェルクルッドは未だ怪我療養で仕事復帰が許されないままで、エストは護衛以外の仕事を、セイニーかダイアン伝手に任されるようになった。
「…………っ」
そんな状況に、ヴェルクルッドはじりじりとしていた。
シルディアに奉仕を誓ったことは後悔していない。抱く想いは、紛れもない真実だと思っている。
だが――そのせいで、シルディアと顔を合わせることも、声を聞くことも叶わなくなってしまったのは、非常に辛かった。
セイニーやダイアンからシルディアの様子を聞くことは出来るが、二人からは、シルディアが常に物憂げだといわれ――慰めることすら出来ない己が悔しくてならなかった。己の言動がシルディアを煩わせていると思えば申し訳ない気持ちもしたが、しかし、だからといって捧げた想いを否定するつもりも、取り下げるつもりもなかった。
むしろ、重ねて懇願したかった。
一体何度、螺旋階段を下りてシルディアのもとに駆けつけたいと思ったことか。
――だがそれを、きっとシルディアは望んでいない。
「……姫……」
だから今、ヴェルクルッドに出来ることは、中庭からシルディアの部屋の窓を見上げることだけ。横顔でも、後姿でも――いや、髪の一筋でも構わない。目にする幸運に恵まれることを願うことだけだった。
「……これでは、まるで……」
まるで、先頃見かけたクリストファーと同じ。
そのことがまた、歯がゆかった。
「――ヴェルクルッド様」
「! セイニー嬢?」
いつの間にかセイニーが傍に来ていて、ヴェルクルッドは驚いた。
全く気配を感じなかったが、一介の侍女のセイニーが気配を消す、なんて芸当が出来るわけがない。ヴェルクルッドがシルディアの部屋の窓に集中しすぎていたせいである。
「どうしてこちらに? シルディア姫のお傍にいらしたのでは?」
「ダイアン様にお任せして、少しお時間を頂いたのです。……あの、ヴェルクルッド様、これから少し、お付き合いいただけますか?」
「――ええ」
ヴェルクルッドは頷き、セイニーについて歩き出した。
セイニーは、例の隠し通路を使った先にある一軒家へ、ヴェルクルッドを案内した。
そして、部屋に通される。
「――こちらで、少々お待ちくださいませ」
「……わかりました」
てっきりすぐに話が始まると思っていたヴェルクルッドは、予想外ではあったが、言われるまま、待つことにした。
セイニーはヴェルクルッドにお茶を出した後、部屋を出て行った。
そして、待つことしばし。
「――お待たせいたしました、ヴェルクルッド様」
「セイニー嬢」
戻ってきたセイニーを、ヴェルクルッドは立ち上がって迎え――そして目を疑った。
「! 王后陛下!」
そこに、王妃の姿があったからだ。
王妃は、素早く礼をとったヴェルクルッドに軽く頷いて見せると、椅子に座ってヴェルクルッドにも着席を促した。
「構いません、楽になさい、ヴェルクルッド」
「……は、ですが」
「構いません。少し長くなります」
「……はい。では、失礼致します」
重ねて促されたので、ヴェルクルッドは応じた。
王妃の向かいに、座る。
王妃は一つ頷いた後、早速切り出した。
「話はセイニーから聞きました。……貴方は、シルディアに奉仕を誓ったそうですね」
「――真に僭越ではありますが……その通りでございます」
「……あの子にそこまでの想いを捧げてくれたことを、あの子の母として嬉しく思っています」
「恐縮で御座います」
王妃の声は優しかったが――だが、心底から嬉しそうな響きではない。社交辞令のように感じて、ヴェルクルッドは警戒した。
もしや、シルディアの心を煩わすものなど親衛隊には必要ないと、王妃直々に除名を告げられるのかと身構える。
「……ですが残念ながら、今のままでは、あの子が受け入れることはないでしょう。それが、誰のものであっても」
「……シルディア姫の、男性恐怖症のことでございましょうか」
それほど重度のものではなさそうだったが、シルディアが男性恐怖症であることは幾度も耳にしていた。実際、そのような素振りも見ている。
「男性恐怖症? ……そうね。そうともいえるけれど……あの子の場合、より適切な言い方をするのならば、男性不信……いいえ、恋愛不信でしょう」
「……と、仰いますのは……どういう意味でございましょうか」
男性不信と恋愛不信。
ヴェルクルッドには同じ意味のように思えたが、王妃がわざわざ言いなおしたのであれば、そこには差があるのだろう。
「あの子は、男性から寄せられる好意は、己の魅力で勝ち得たものとは信じられないのです」
「まさか……」
ヴェルクルッドは言葉を失った。
どうして、あれほどに美しく気立ての良い方が、己の魅力を信じられないのか。
過去にいくらでも賛辞を贈られただろうに、どうしてそれを信じられないのか。
「……何故、そのような……」
もしや、王族と言う身分のせいだろうかと、ふと思った。
身分が高ければ、それも王族であるならば、おべっかを使う輩には事欠かなかっただろう。そのようなものたちによって、傷つくことがあったのかもしれない。
そう思い至れば、見たこともない、おべっかや追従を行ったものたちへの怒りがわいて来る。
「……それは、私の咎です」
だが、その怒りは王妃の言葉で消し飛ばされた。
「王后陛下の……で、ございますか……?」
ヴェルクルッドは思わず、王妃をまじまじとみた。
王妃たるに相応しい風格を常に保ち続けていた人が、今は悄然と肩を落とし、目を伏せている。
そんな王妃の姿は初めてで――ヴェルクルッドは己の目を疑った。
「――ええ。私が大陸から嫁いできたのは知っていますね?」
「はい」
現国王夫妻の婚姻は、まだヴェルクルッドが幼いころの話である。
ヴェルクルッド自身の記憶はないが、それでもいくらかの噂は聞いたことがあった。
王妃は、西の海を越えた先、大陸でも歴史ある王国の出身である。
当時はそれぞれ王子と王女の地位にあった二人の婚姻が纏まった。それまでは自国内の有力貴族との婚姻が続いていたため、久しぶりの大陸からの花嫁に、国内は大いに沸き立ったと――そういわれている。
「……嫁いでしばらく、私と陛下は、夫婦とはいえぬ状態でした。陛下は、私に興味をお持ちで無かったのです」
「…………」
「――陛下の、並々ならぬ興味が他所にあることは、婚約の話が出たころから問題視されていました。王族でなければ、それでも良かったのでしょう。ですが、私たち王族には、世継ぎの子を成す義務があります。……万が一に備えて、私は故郷より、厳重に保管されていた秘薬を持参していました。――まだ魔法がこの世に満ちていた時代、妖精によって齎されたという……媚薬です」
「!」
王妃の口が紡いだ予想外の単語に、ヴェルクルッドは無言で目を瞠った。




