騎士の行方 4
頭が重い、気持ちが悪い。
寒気がする、鈍い痛みもある。
意識が浮上したヴェルクルッドが感じたのは、全身を襲う不愉快さと気だるさであった。
「…………」
「――お、ヴェルク、気がついたか?」
「……エスト……?」
霞む視界に入り込んできた顔は、エストのものだった。どこかほっとしたような笑みを見せながら、ヴェルクルッドの額に手を置く。
ひんやりとした手が、心地よかった。
「おう。……ん、さっきより、熱も下がってる。姫の薬が効いたんだな。いやあ、凄いな、姫は。医術にもお詳しいなんて」
「……姫……姫は……」
横たわった視界内にはシルディアの姿を見つけられなかったので、ヴェルクルッドは身体を起こそうとした。
「おい、こら、寝てろって」
が、エストに肩口を押さえられて、ヴェルクルッドは断念した。さして力も込められていないエストの手すら、今は撥ね退けることが出来なかったのだ。
「お前、弱いものとはいえ、毒にやられたんだぞ」
「……毒?」
「そ。あいつ――パラデスの奴、剣に毒を塗ってやがったんだ。全く、騎士の風上にもおけねえよな! 取り逃がしたのが悔やまれるぜ!」
「……そうか。まだ見つかっていないのか……」
パラデスが逃げ延びていることを知って、ヴェルクルッドは複雑な思いを抱いた。シルディアの望みどおりになっているのはいいが、やはりパラデスは捕まえるべきだったのではないかと、どうしても思ってしまう。
「っ! あ、いや、悪い! 別にお前を責めるつもりじゃなかったんだけどっ」
そんなヴェルクルッドの憂い顔を見たエストは、その表情を、力不足を嘆く顔と見て取った。慌てるエストに、ヴェルクルッドは「いや、構わない」と告げて――ハッとした。
「……待て、毒といったな!?」
大きな怪我が無いのは確認したが、毒ともなれば、かすり傷でも油断できない。
「なら、姫は……っ!?」
「っだから寝てろって! 大丈夫、姫はお元気だよ! 今は女性騎士のダイアンが傍にいる」
血相変えて起き上がろうとしたヴェルクルッドをベッドに押し戻しつつ、エストは説明を足した。
「……女性、騎士……ダイアン?」
「そ。お前が寝込んでいる間に、ダイアンと俺が、シルディア姫の親衛隊に抜擢されたんだ。誘拐事件解決に功績があったってことでな」
ダイアンとは、シルディアの悲鳴を聞いて真っ先に駆けつけ、首元を切られた女性騎士の名だ。
パラデスの剣で斬られた彼女も、当然毒を受けたのだが、幸いにして手当てが早く適切であったので、ヴェルクルッドのように寝込むこともなく復帰。シルディアの希望を受けて護衛についた。任命式は来年の騎士叙任式までお預けだが、実質、親衛隊騎士として扱われる。
「いや、予想外の大出世だぜ」
「そうか……」
おどけてみせるエストに、ヴェルクルッドは弱々しく笑んだ。
「――ほら、これ飲め。姫が調合なさった薬湯だ」
エストが左手でヴェルクルッドの頭を支え、右手に持ったカップを少し傾けた。
「…………」
少しずつ飲み込むその薬湯は、ほのかに甘く、すんなりと喉を通った。
「水は?」
薬湯を飲み終えたところでエストに問われ、ヴェルクルッドは浅く頷いた。すぐに水を満たしたカップが差し出され、そちらも順調に飲み干した。
エストは、カップが空になるのを見届けると、カップを引き取って立ち上がる。
「姫に報告してくる。お前のこと、ずっと気にかけていらしたんだぞ。あ、何か欲しいものあるか?」
「…………いや……」
枕に頭を預けたまま、ヴェルクルッドは弱々しく頭を振った。
「そっか。じゃあ、ちっといってくる」
エストが立ち去る足音を聞きながら、ヴェルクルッドは、一先ず瞼を閉じた。
望みがあるとしたら、それは、シルディアに会うことであったが――それを正直に告げるのは憚られた。
騎士の控えの間に姫を招くのは無礼であろうし、今の弱った姿を見せたくない気持ちもあった。
「…………」
それとも、姫はご自分から、いらしてくださるだろうか。
いらしてくださったとしたら、まず「良かった」と笑ってくださるだろうか。
それとも、「ごめんなさい」と悲しげにされるだろうか。
ヴェルクルッドの望みは、勿論、笑ってもらうことなのだが――
「…………」
そんなことを考えながら、ヴェルクルッドは眠りに落ちていった。
「…………」
窓から差し込む光が、ヴェルクルッドの覚醒を促した。
目覚めは爽快だった。
全身の気だるさは消え、頭もすっきりしている。
「…………」
ヴェルクルッドは左手を使って身体を起こした。
右手には丁寧に包帯が巻かれている。パラデスの剣によって負った怪我は未だ多少の痛みを訴えているものの、それほど酷いものではなさそうだった。
動かしてみないとわからないが、利き手が潰れたということもなさそうで、ヴェルクルッドはほっと息をついた。
「……ヴェルクルッド様?」
「! ――姫?」
控えめにかけられた声に驚いて顔を上げ、さっと見渡せば――螺旋階段から肩ほどまで覗かせた状態のシルディアを発見した。
「……ご気分は如何ですか? ヴェルクルッド様」
螺旋階段から、シルディアが心配そうな面持ちで問うた。
「はい、ご心配をお掛けいたしました。大分良いようで……っ失礼致しました、ご無礼を……!」
返事をしてからヴェルクルッドは、己がベッドにいることを思い出した。
「あ、いいえ、どうかそのままでいらしてください」
慌ててベッドから降りようとするヴェルクルッドに、シルディアが制止の声をかけた。
「ですが」
「お願いですから。あの、エスト様、お願いします、ヴェルクルッド様を……」
「はい、了解しました」
ヴェルクルッドを手振りで制止しながら、シルディアは階下に向けて呼びかけた。すると階段を二つ三つ上がる足音がして、すぐにエストが姿を見せた。エストは、螺旋階段の途中、シルディアより少し下の段で待機していたのだ。
「ほら、大人しく寝てろって。今は身体を治す事が、お前の仕事だろ」
「だが……わかった」
エストの言葉に、一度は反論しかけたヴェルクルッドだったが、己の右手の包帯を見て頷いた。
騎士は体が資本。この利き手の怪我も治さなくては、満足に務めも果たせない。
「ヴェルクルッド様、食欲はおありです?」
「あ、はい」
相変わらず螺旋階段から顔を覗かせているシルディアに、ヴェルクルッドは半ば反射的に答えた。
どうやらシルディア自身は、そこから上にあがるつもりはないようだ。ヴェルクルッドを心配していないわけではないだろう。ただ、姫としての立場を弁え、騎士の部屋にあがることを自重しているのだろう。
「わかりました。すぐに用意してもらいますので、少しお待ちくださいね」
ヴェルクルッドの答えに嬉しそうに微笑んだシルディアは、螺旋階段の下へ顔を引っ込めた。




