騎士の行方 3
鍾乳洞から出たヴェルクルッドとシルディアは、馬がいる場所で、グラントの合流を待った。
その間に、シルディアがヴェルクルッドの怪我の応急処置を行う。
シルディアは自らの袖を包帯代わりに巻き終えて、ヴェルクルッドを見上げた。
「……大丈夫ですか? ヴェルクルッド様」
「はい、大丈夫です。お気遣いいただきまして、有難う御座います、姫」
ヴェルクルッドは、傷口のずきずきとした痛みも、焼けるような熱さもなんでもない素振りでシルディアに微笑んだ。
「いえ……もとはといえば私のせいなのです。……ああ、出来ればすぐに、もっと適切な処置をしたいのですが……」
シルディアは目を伏せた。
ヴェルクルッドが備えていた応急処置セットでは、シルディアにとって満足な処置が出来なかったようだ。血止め薬はあったし、包帯代わりの袖でキツメに止血もしたのだが。
「姫は、とても手際がよくていらっしゃいますね。医術の心得がおありなのですか」
「……医術と、いえるほどではないと思いますが……。薬草の類は、先生から教わりました。……熱が、出るかもしれません」
「――大丈夫です。これでも鍛えておりますので」
ヴェルクルッドはシルディアを安心させたくて笑いかけたが、返されたのは弱々しい微笑だけだった。
「おう、ヴェルクルッド。姫は無事見つかったか」
「グラント殿」
「グラント様、ご迷惑をお掛けしまして、申し訳ありません」
シルディアが、上のほうから下りてきたグラントに頭を下げた。
王族が頭を下げるという事態にヴェルクルッドは軽く驚いた。が、それがシルディアらしいといえば、らしいと、受け入れる余裕もあった。
「なに、姫が無事だったのであれば、言うことはない」
そして頭を下げられた当のグラントはといえば、鷹揚に頷き笑っている。むしろグラントのほうが王族といわれても納得してしまうくらい、堂々たる態度であった。
「――ヴェルク! シルディア姫!」
「エスト」
そこに、ようやくのことでエストが追いついてきた。
「まあ、エスト様……。この度は、私のせいでお手数お掛けしまして、申し訳ありません」
シルディアは、また当然のように頭を下げた。焦ったのは、グラントほどおおらかではないエストである。
「い、いえ、そのような! 姫をお守りするのは、騎士として当然の務め! むしろ救出が遅れまして、真に申し訳なく……!」
「いいえ、助けに来ていただけて、本当に嬉しく思っています、ありがとうございます」
「も、勿体無いお言葉……!」
王族、しかも美人に心からの感謝を向けられて、エストは感極まった。騎士とはいえ、王族とは縁のない仕事をしてきたエストは、王族に対する免疫がなかった。
「――ふむ。ところで、誘拐犯はどうした?」
シルディアとの挨拶も一段落したあたりで、グラントが腕を組み、周囲を見渡しながら訊ねた。姫の救出と犯人の捕縛に来た彼にしてみれば当然の問いである。
「……それは……」
しかし、その当然の問いに答えることを、シルディアは躊躇った。
「――申し訳ありません、グラント殿。……取り逃がしてしまいました」
「ヴェルクルッド様……」
口ごもるシルディアの代わりに、ヴェルクルッドが答えた。シルディアが驚いてヴェルクルッドを見上げる。
ヴェルクルッドが謝ることではない。彼は、シルディアの希望をいれて、パラデスを見逃したのだ。正直にそれを告げていいはずなのに、ここで謝ってしまっては、これはヴェルクルッドの咎になってしまう。
「……ふむ?」
グラントが、ヴェルクルッドとシルディアを見比べる。エストもまたヴェルクルッドを見て――そこで、気がついた。
「! ヴェルク、おま、利き腕……!」
騎士にとって、利き腕の怪我は痛い。場合によっては騎士生命の危機である。ヴェルクルッドの怪我を、まるで己のもののように感じ取ったエストの表情は、痛みと絶望に染まっていた。
「大丈夫だ。こんな怪我、すぐに治る」
ヴェルクルッドは、シルディアを慰めるためにも笑って見せた。
「ヴェルクルッド様……」
「……うむ。だがとにかく、早く城に戻ったほうがいいな。皆が心配しておるだろう」
「はい」
グラントの言葉にそれぞれ頷いて、一同は、城を目指して馬を走らせた。
馬を進ませ、街が見えてきたところで、エストが笑顔でシルディアを振り返った。
「ああ、やっと街が見えてきましたね。シルディア姫、セイニー嬢もとても心配しているでしょうし、早く会って差し上げてくださいね」
「はい、勿論です」
ヴェルクルッドの馬に相乗りしているシルディアが、微笑みながら頷いた。
シルディアも、一刻も早くセイニーに会いたかった。
が、既にたくさん走らせた馬たちは疲れているし、緊急時でもないのに、街中を疾走させるわけにもいかないだろう。並足を保ったまま、街に近づく。
真っ先にシルディアたちに気付いたのは、当然、門番であった。
「! 姫……! 姫がお戻りになったぞー!」
大声を上げて、シルディアの帰還を知らしめている。
「……もしや、もう皆さんに知れ渡っているのでしょうか……?」
「当然ですよ、シルディア姫。まず、あの誘拐犯が馬を全力疾走させましたからね。それを騎士がわらわらと追いましたし。私が馬を手にいれて出るころには、シルディア姫誘拐の話で持ちきりでした」
「……まあ……そんな、どうしましょう」
エストの説明に、シルディアはおろおろした。
シルディアは長年引きこもって過ごしていたので、自分が話題の中心となることに慣れていなかった。しかも今回はどちらかというと悪目立ちだ。非常に居心地がよろしくなかった。
「なに、堂々としていればいい。馬上から手を振ってやれば、皆満足するだろう」
「グラント殿の仰る通りです、姫。微笑んでいただければ、尚よろしいかと」
「グラント様、ヴェルクルッド様……はい、わかりました、やってみます」
グラントとヴェルクルッドの助言を受けたシルディアは、一つ深呼吸をして――気持ちを切り替えた。
王族として恥ずかしくないよう、凛と背を伸ばし、微笑を心がける。
「あれは……シルディア姫様だ!」
「騎士様方もご一緒だ!」
「まあ、ヴェルクルッド様に、グラント様まで!」
「シルディア姫様万歳! 騎士様方万歳!」
歓声。次々と押し寄せる人々。
「皆様、ご心配をお掛けいたしました。私は、騎士様方のおかげで、無事に戻って参りました」
それらの人々に、シルディアは優雅に手を振り、微笑み、時には語りかけた。シルディアの丁寧な対応に、人々の熱狂はますます強まり、下手に馬を進められなくなったりもしたが――何とか、城まで到達する。
城の手前は既に他の騎士によって交通整理がされており、ヴェルクルッドたちはスムーズに城内に入ることが出来た。
背後で城門が閉じられ、市民の目から逃れる。
ヴェルクルッドは適当な場所まで馬を進めると、まずは自らが降りて、シルディアに手を差し伸べた。
「――姫」
「有難う御座います、ヴェルクルッド様。……あら……?」
ヴェルクルッドの手を借りて馬から降りるとき、シルディアはその手の熱さに気がついた。小首を傾げたが、ヴェルクルッドは完璧なエスコートでシルディアを降ろした。
熱を持っていると感じたのは気のせいか、とシルディアが思ったその時。
「…………エスト」
ヴェルクルッドが、同じく馬を降りたエストに声をかけた。
「ん? どうした? ヴェルク」
「……悪い。後は……頼む……」
途切れ途切れに告げて――ヴェルクルッドは、前のめりに倒れた。
「ヴェルクルッド様!?」
「っヴェルク!? おい、ヴェルク!」
慌ててエストがヴェルクルッドを抱きとめ、大股に近づいたグラントが、ヴェルクルッドの額に手を当てる。
「どれ――おお、これは酷い熱だな。おおい、誰か! 担架をもってこい!」
「ヴェルクルッド様……!」
「…………」
シルディアの悲痛な声がヴェルクルッドの耳を打ったが――しかし、ヴェルクルッドにそれに応じる余裕は、既になかった……。




