レインの花 4
ヴェルクルッドと別れて中央通りの人ごみに紛れたシンディは、そのまましばらく人の流れにのって歩いた。歩きながらも注意深く辺りを窺えば、すれ違った男性たちの視線を感じる。
――気のせいであればいい、と願いながらも足を速め、路地へ入る。
中央通りから一本それただけで、家路を急ぐ人々は格段に減った。男性の視線も途切れたところで、速度を落とす。
人通りの少ない路地を進み、一軒の家に滑り込んだ。
家の鍵を開けて薄暗い室内に入り、ドアを閉め――ほっと一息つく。
「姫様!!」
「っ!?」
気を緩めた瞬間の声に、シンディは抱えていた篭を取り落とした。足元に、色とりどりの花が散らばる。
その花々を蹴散らすようにして、侍女のお仕着せを着た黒髪の若い女性が、シンディに詰め寄った。
「姫様! またお一人で外に行かれましたね!? 何かあったらどうなさるんですか!! 今日なんて、お帰りも遅くて、もう、私は心配で心配で……!!」
胸元で両手を握り締め、ヘイゼルの瞳を潤ませる侍女セイニーに罪悪感をかき立てられながらも、シンディは無事を印象付けるように微笑んでみた。
「ご、ごめんなさい、セイニー。で、でも、大丈夫です。危ないことなんて何もありませんでしたから」
「では、どうしてこのように遅いお戻りになったのですか!? どこかで拐されたのではございませんか!?」
「そんなことはありません。……ちょっと、遠くへ行き過ぎてしまっただけです」
「遠くへ……? ……姫様、よもや、街の外へは、お出かけになってはいらっしゃいませんよね……?」
「…………」
シンディは思わず視線を逸らした。無言ではあるが雄弁なその答えに、セイニーの顔が蒼ざめる。
「ひ、姫様……! なんて危険なことを! 街の外には危険な動物や野蛮な人間たちがたくさんいるのですよ!? それを、それを……!」
「だ、大丈夫です。危険な人たちになんて、お会いしませんでした。……そ、そう、反対に、とても素敵な人にお会いしたんですよ」
「……素敵な? それは一体どのようなお方でございます?」
素敵な人、の一言に、セイニーはシンディへの苦言も忘れてくいついた。
セイニーの意識を逸らすには、イケメン情報がなにより効果的だ。シンディは、ヴェルクルッドに出会えた事を心の底から感謝した。
「一番隊の、ヴェルクルッド様です」
「まあ! あのヴェルクルッド様ですか、姫様! 武勇に優れ、見目麗しく、立ち居振る舞いもご立派な、あの!」
「ええ、そのヴェルクルッド様です」
顔を輝かせるセイニーに、シンディはそっと苦笑し――その苦笑を隠すために、足元に散らばっている花を拾いに掛かった。
「ああ、なんて素敵なんでしょう!」
花を拾い始めたシンディに遅れること一拍。セイニーもまた屈み込んで花を拾い出し、しかしそれでもヴェルクルッドに関する情報収集を止めはしなかった。
「姫様、如何でした!? ヴェルクルッド様!」
「街娘の私にも丁寧な物腰で、とてもご親切な方でした」
「お顔は!? やはりお美しくていらっしゃいました!?」
「ええ。とても端正なお顔立ちでいらして。一見、細身なのですけれど、私を馬に乗せてくださったときは、とても力強くて安定感がありました」
「だって、一番隊の騎士様ですもの! 細くたって、しっかり鍛えられているに決まってますわ! ああ、なんて素敵なのでしょう!」
拾った色とりどりの花を胸に抱きしめて感激するセイニーは――ハッと顔色を変えた。
「……!? ひ、姫様!? それはもしかせずとも、ヴェルクルッド様にお触れに……!?」
「…………ええ。そうなのです」
シンディは丁度拾い上げた花の茎を、きゅっと握った。そのシンディの手に、セイニーがそっと触れる。
「姫様、大丈夫でございました?」
「…………大丈夫……だと思います。視線は普通……でしたから」
馬に乗るときと降りるときに、手を借りた。危惧される接触は、その程度だった。
それ以外は――近くはあったが、屋外であったし、香水もまだ十分効果のある時間だった。
大丈夫だろうと、シンディは、そう思っている。
「姫様……」
しかし、セイニーが聞きたかったのは、実はそちらではなかった。いや、ヴェルクルッドの反応も気にはなったが、それ以上に心配なのがシンディの心のほうだ。
だがシンディは、セイニーの内心には気付かぬまま、己に言い聞かせるように、浅く頷く。
「……ええ、大丈夫……。ご親切だったのは、あの方本来のご気質のはずです」
――そう、願っている。
「それなら……ようございました……」
セイニーが期待していた答えとは若干ずれていたが、シンディは平気そうだ。
ほっと胸を撫で下ろして微笑んだセイニーに、「ええ、本当に」とシンディも頷く。
散らばった花を全て拾い上げて篭に戻した二人は、立ち上がって地下貯蔵室に向かった。
「――そうそう、ヴェルクルッド様は、レインの花をお探しでした」
「ええ!? そんな姫様! では、ヴェルクルッド様は、どなたか想い人が!? きゃあ、ショックです! でも誰ですか!? 侍女の情報網にもひっかかって来ないなんて、流石はヴェルクルッド様!」
ショックを受けたり、興味津々だったり、ヴェルクルッドを持ち上げてみたりと、セイニーは忙しい。彼女がもつ燭台が、大きく揺れた。
「ふふふ。ご友人のために、とのことでした」
「え? あ、そうなんですか? 姫様ー、そういうことはまず始めに仰ってください。もう、びっくりしてしまいました」
「ふふ、ごめんなさい」
少し驚かせたかったのでわざとだったのだが、予想以上の反応に、シンディは素直に謝った。
「――それでですね、セイニー。レインの花の在庫はあるので、お分けするお約束をしたのですけれど……代わりに行ってもらえないでしょうか?」
「え? 姫様がいらっしゃらないのですか?」
会話をしつつ、地下貯蔵室にたどり着いた二人は、とある手順で石壁に触れ――隠し扉を動かした。
現れた真っ暗な通路を、セイニーの燭台の灯りだけを頼りに、奥へ進んでいく。
「……ええ。私は、お会いしないほうがいいと思うのです」
「……姫様……」
シンディの声が寂しさと諦念を帯びたからか、セイニーが痛ましげにシンディを見つめた。
セイニーに沈んで欲しくないシンディは、出来る限りいつも通りの声を心がけて告げる。
「ヴェルクルッド様は明日、お仕事なのだそうです。ですから、お渡しするのはレインの花を必要としているご本人の、エスト様とおっしゃる方になるのですけれど」
「エスト様、エスト様……ああ、はい。存じ上げてます。二番隊の、少し褪せた金髪の方ですね。中々有望株で、侍女たちの間でも人気がある方ですわ。ええ、確かに最近、恋人が出来たらしいという噂を、耳にしましたが……」
「? 何か問題でもありましたか? お顔はわかりませんか?」
「あ、いいえ! 大丈夫ですわ、姫様。何度か遠目に拝見したことがございますもの!」
「そうですか。相変わらず詳しいのですね、セイニー。頼りになる反面、空恐ろしくもあります」
シンディは、ヴェルクルッドの噂は耳にしていたけれど、エストの名は初耳だった。
立場上、騎士たちの噂が入ってきやすいシンディが知らなかった名を、セイニーは更なる詳細情報とともに把握していたのだ。恐るべき侍女の情報網に、シンディは苦笑するしかない。
「あら姫様! これくらい大したことではありませんわ! 私たち侍女にしてみれば、むしろ覚えておくべき基本情報でございます!」
セイニーは誇るように胸を張った。
確かに侍女たちは、主のために使いをすることがある。手紙のやり取りで、内密に、それも本人に間違いなく手渡すように、という指令が下ることもあるのだから、人物の顔と名前を一致させておくことは、職務の一環と言えなくもない。――まあ、シンディはそのような用事をセイニーに言いつけたことは一度もないのだが。
「では、僭越ながら私がお届けいたしますね。姫様、何か、お言付けなさいますか?」
「いいえ、特にありません」
隠し通路の出口が見えた。最後に階段を上りきって、シンディたちは塔の二階層の一室に出る。ここまでくれば、シンディの自室までそう遠くない。
「そうです、セイニー、折角のお祭りです。お使いが終わったら、楽しんできてください」
「……お心遣いは大変有難いのですが……姫様? お言葉ですが、あんな恋人たちの祭り、独り者の私には身の置き場がなくて、むしろ暴れて潰してしまいたいくらいですわ」
セイニーは笑顔だったが、目は笑っていなかった。
「……」
セイニーの本気を感じ取ったシンディは、釘を刺しておくことにした。
「……祭りを楽しみにしている多くの人たちのために、それは我慢してください」
「――かしこまりました」
セイニーは、折り目正しく礼をした。