騎士の行方 2
ちぎられた葉を握り締めて進むこと少し。ヴェルクルッドはT字路に差し掛かった。
さっと左右を見渡すが、鍾乳洞内には十分な光源もない。少し先に人が息を潜めていてもわからないだろう。
「…………」
どうせどちらとも調べる必要があるのだ。
ヴェルクルッドが、とりあえず右、と思ったその時。
かつん、と小さな音がした。
「!」
ヴェルクルッドは音の聞こえた左の道に変えた。
罠の可能性も考慮しながら、慎重に足を進め――
「っ姫!」
そこにヴェルクルッドは、拘束され、地面に転がされたシルディアを見つけた。
「……んっ」
口には猿轡を噛まされ、手と足は、マントを切ったであろう布で縛られていた。
「姫、お怪我はございませんか!?」
ヴェルクルッドはシルディアの下に駆け寄り、まずはシルディアの身体を抱き起こした。
「お待ちください、今、拘束を……」
「んーっ!」
「!?」
シルディアの声は、警告のように聞こえた。
ハッとしてヴェルクルッドが振り返れば――そこには、剣を振りかぶったパラデス。
ヴェルクルッドは咄嗟に、剣を翳した。
「っ」
が、片手で、慌てて差し込んだヴェルクルッドの剣は、振り下ろされたパラデスの剣を受けきることが出来なかった。容易く叩き落され、パラデスの剣はヴェルクルッドの腕を切りつけた。
「く……っ」
「んんっ」
シルディアのくぐもった悲鳴が聞こえたが、パラデスを前にしてシルディアを振り返ることは出来ない。ヴェルクルッドはシルディアを背に庇いながら、無事な左手で取り落とした剣を拾うと、パラデスへ突き出した。
「な……っ!?」
まさか左手で剣を使ってくるとは考えていなかったのか、パラデスの腰が大きく引けた。
その隙に、ヴェルクルッドは素早く立ち上がって間合いを詰め――パラデスの向こう脛を渾身の力で、蹴りつけた。
確かな手ごたえと、鈍い音がした。
「っが……っ!?」
パラデスの身体がくずおれた。
「っあああああっ!?」
足を抱え、悲鳴を上げる。
ヴェルクルッドは左手に剣を持ったまま、地面をのた打ち回るパラデスに歩み寄った。
「…………」
冷たく見下ろし、剣を――
「んんんんんっ」
「!?」
ヴェルクルッドが振り下ろした剣は、拳一つ分、パラデスの上で止まった。
「姫……?」
ヴェルクルッドの剣を止めたのは、シルディアの声だ。
「…………」
振り返れば、シルディアは真っ直ぐにヴェルクルッドを見上げていた。
ヴェルクルッドと視線があったことを確認すると、ゆっくりと、首を横に振る。
「…………了解しました」
ヴェルクルッドは剣を鞘に収めると、パラデスの剣を拾い上げ――パラデス自身は捨て置いて――シルディアに歩み寄った。
そしてまず、シルディアの猿轡を外す。
「……ヴェルクルッド様……有難う御座います」
シルディアが安堵の笑みを見せた。
「お怪我は御座いませんか? 姫」
シルディアに微笑み返しながら、ヴェルクルッドは手と足の拘束も解く。縛られた場所が赤くなっているが、特別傷つけられたような痕跡は見受けられなかった。
「はい、大丈夫です。ですが、ヴェルクルッド様が……」
痛ましげに眉を寄せて、シルディアはヴェルクルッドの右腕にそっと手を伸ばした。傷口には触れない場所に、シルディアの手が置かれる。
「これぐらい、大した怪我ではございません。さあ、姫、帰りましょう」
ヴェルクルッドは多少の強がりも混ぜてそういうと、先に立ち上がってシルディアに左手を差し伸べた。
「……はい、有難う御座います、ヴェルクルッド様」
シルディアはヴェルクルッドの手に手を重ねたが、怪我を気遣って、頼ることはしなかった。自分の足に力を込めて立ち上がる。
「……あの、パラデス様は……」
「無論、拘束して連行します」
シルディアが、痛みに呻くパラデスを気遣わしげに見下ろすのに、ヴェルクルッドは若干の苛立ちを覚えた。そのためか、多少、つっけんどんな響きを帯びてしまった。
そのヴェルクルッドの怒りの気配に、シルディアは身を縮めながらも――請う。
「……見逃しては、いただけませんか……?」
「姫!? 何を仰います! このものは姫に対して、万死に値する無礼を働いたのですよ!?」
ヴェルクルッドは思わず声を荒げた。
パラデスは、今この場で斬首されて当然の罪を犯した。ヴェルクルッドはその手で断罪するつもりでいた。
それを思いとどまったのは、シルディアの制止があったからこそだ。
助命すら破格の温情だというのに、シルディアは無罪放免せよという。
それは、いくらシルディアの言葉でも、納得できるものではなかった。
「……お願いします、ヴェルクルッド様。今回のこと……私にも責がないとは、言い切れません……」
「ですが」
ヴェルクルッドは騎士だ。法の下、正義を貫き、弱きを助ける。
ここで、明らかな罪を犯したパラデスを見逃したのでは、法にも正義にも悖る。王族の威信にも傷がつく。
だがそれは、シルディアも十分承知の上だった。承知の上で、それでも尚、パラデスの放免を望む。
「王族の身で、法と正義を脅かす判断をするのはあるまじきことと、わかってはいます……ですが、お願いです、ヴェルクルッド様。きっと……もうパラデス様は、二度とこのようなことはなさいません。どうか、今回だけは……」
「…………姫……」
ヴェルクルッドは悩んだ。
騎士として、パラデスは見逃すべきではない。
だが、その騎士としての忠誠を捧げた主が、見逃せといっている。
「…………」
ヴェルクルッドが、シルディアの騎士になる前に理想とした主ならば、見逃せとは、いわないはずだった。
――しかし、理想は理想である、ということを、ヴェルクルッドは理解してもいた。
今現在、ヴェルクルッドの主はシルディアであり、ヴェルクルッドはシルディアを主と出来たことを、何よりも幸運なことと、確かに思ったのだ。その思いは、今回の意見の不一致ぐらいでは揺らがない。
「ヴェルクルッド様……」
シルディアが、ヴェルクルッドを見上げて懇願する。
一体、どうしてそこまでパラデスを庇うのか。
――彼に、情があるのか。
そう思い至った途端、ヴェルクルッドは胸に痛みを感じた。重苦しいものもがじわりと広がる。
「……ヴェルクルッド様……?」
そんなヴェルクルッドの気配が伝わったのか、シルディアが心配そうな表情を見せた。
ヴェルクルッドは、腹のうちに生まれた黒い感情を押し出すかのように長く息を吐いて――気持ちの切り替えを試みた。
そして。
「……姫、お願いがございます」
「……はい、なんでしょう……?」
「……姫の親衛隊騎士の増員を。そして姫の護衛体制が調うまでは、常に姫のお傍近くにあることを、お許しください」
同じ轍は踏まない。
ヴェルクルッドのその決意をしっかりと形にするためには、増員が必要不可欠だ。
男性恐怖症だなんだといわれようとも、断固として、人は増やさなければならない。
パラデスを見逃すというのなら、それくらいの条件は飲んでもらわなければ、とヴェルクルッドは強気に交渉に出たのだが。
「……はい、わかりました。こちらこそ、お願いいたします、ヴェルクルッド様」
シルディアは、ヴェルクルッドが拍子抜けするほどあっさりと、その条件を飲んだ。
些か予想外ではあったが――二言は無様だ。
ヴェルクルッドは、パラデスを冷たく見下ろした。
「――……命拾いしたな。二度目はないと心得よ」
「っ……」
パラデスが息をのむ音は聞こえたが、返事らしい言葉はなかった。ヴェルクルッドも、返事が欲しくて声をかけたわけではない。
ヴェルクルッドは、また気遣わしげにパラデスを見るシルディアをそっと促して、出口へと歩き出した。




