騎士の行方 1
「ヴェルク……! 大変だ! シルディア姫が、攫われた……!」
「な……!?」
エストが齎した凶報にショックを受けて、ヴェルクルッドは二の句が継げなかった。
視力も聴力も、思考力もがどこか遠くにいってしまったように、時が止まったかのように、停止した。
「――姫が攫われるなど……一体何があった?」
「はい、隣国の使節団としてきた騎士が、シルディア姫を人質にとって街を出て行ってしまったんです!」
「……っパラデス……!」
「ヴェルク、知ってるのか、あいつ!」
「……くっ」
パラデスの、シルディアを見つめる様子に、嫌な予感はしたのだ。
だが、シルディアが部屋に篭っていると約束してくれたから――だからヴェルクルッドは、感じる不安は杞憂だろうと、自らの予感に蓋をして、任務に出た。
「……俺の責任だ……っ」
ヴェルクルッドは後悔を形にしたような声で唸った。
親衛隊である自分は、やはり姫の下を離れるべきではなかったのだ。嫌な予感がしたのなら。そして、姫の親衛隊が己一人であったのなら、尚更に。
「は? 何でだよ! ヴェルクはその時城にすらいなかったのに!」
「俺の責任なんだ! エスト! 姫がどちらに連れ去られたかはわかっているのか?!」
「あ、ああ、南の平原のほう……」
「は!」
エストの言葉を皆まで聞かず、ヴェルクルッドは愛馬ノエルの腹を蹴って、全速を命じた。ノエルは、矢のように駆けだした。
「ヴェルク!? 待てよ……って、早!」
エストは慌てて馬首を巡らせるが、ここまで走らせてきた馬は、既に疲労が出ていた。
「お主は後から来るといい。他に、追っているものは?」
「……いません。面目ないことですが……」
パラデスは、シルディアを誘拐する前に城の厩に細工をしていた。追いかけようにも馬が使えず、また、緊急時に備えて街門に用意されていた馬は、斬り捨てられてしまったのだ。
機転をきかせたエストが、歌う子馬亭の宿泊客から馬を借り受けたのが一番速く、パラデスを追って駆け出たところ、ヴェルクルッドとグラントの姿を見つけたというわけだ。
「心得た。では俺も行くか」
「お、お気をつけて!」
エストの声にひらりと手を振って、グラントはヴェルクルッドの後を追いかけた。
ヴェルクルッドはひたすら南へ、ノエルを走らせた。
街の外門に近づいても目もくれずに走りぬけ、平原を駆け抜ける。
だが平原は、途中で道が二手に分かれている。
どちらか。
「っ」
決断を迫られたヴェルクルッドは、一先ずノエルの手綱を引いて足を止めた。
辺りを見回すが、どちらの道にも、パラデスとシルディアらしき人影を見つけることは出来なかった。
「ヴェルクルッド!」
「っグラント殿」
「どうだ、手がかりはあったか」
「……」
グラントの問いに、ヴェルクルッドは唇をかんで首を振った。
「――そうか……。む、あれは」
そのとき、左の道から荷馬車がくるのが見えた。グラントに言われて気付いたヴェルクルッドは、素早くノエルの腹を蹴って走らせた。
「っ失礼! そこの商人!」
「! こ、これは騎士様、何が御用でございましょうか」
荷馬車の商人は、険しい表情の騎士に鋭く声をかけられて、やましいところがないにも関らず、肝を冷やした。
「そちらの道に、男女の二人連れを見かけなかっただろうか!?」
「え、い、いえ。私は誰とも行きあっておりませんが……」
「っ」
「ふむ、となると右か。厄介だな――っと、待て、ヴェルクルッド」
商人の答えを聞くなり走り出そうとしたヴェルクルッドだったが、グラントが横から手を伸ばしてノエルの手綱を掴んだので、果たせなかった。
「グラント殿!」
「落ち着け。そう焦っていては、見つかるものも見つからん。何しろ右の道は、鍾乳洞の道だからな」
「……っ」
グラントの冷静な指摘に、ヴェルクルッドは唇をかんだ。
右の道の先には、多くの鍾乳洞が存在している。
自然の芸術が美しい場所ではあるが――それは、身を隠す場所が多いということでもある。
「せめて、足跡が残っていることを祈って、慎重に行かねば」
「…………はい」
グラントの宥める声に、ヴェルクルッドは大きく息を吐いた後、頷いた。
「商人、呼び止めて悪かったな。助かったぞ」
「は、いえ、どういたしまして」
ただならぬ気配の騎士二人に目を丸くしつつ、商人は、風のように去っていくその姿を呆然と見送った。
足元を確認しながら、ヴェルクルッドたちは鍾乳洞の手前までやってきた。
だが、それまで辛うじて目視できていた足跡はついに途切れ、目に見える鍾乳洞の入り口だけでも、三つ以上ある。
「……手分けして探すしかあるまい」
グラントは、これ以上は馬では進みづらいと判断して、降りながら言った。
「……はい」
短く返事をしながらもヴェルクルッドは油断なく周囲を見回し――すぐに、目をつけた入り口目指して走りだした。
「……やれやれ」
グラントは肩を竦めた。
一言の断りもなく行動に移すのは、ヴェルクルッドらしくないと思った。無用心でもあるが……グラントは、それを指摘するのはやめておいた。
「ヴェルクルッド、気をつけていけ! ――さて、では、俺はあちらにするか」
ヴェルクルッドの背中に忠告を投げて、グラントは別の鍾乳洞を選んで踏み込んでいった。
ヴェルクルッドがその鍾乳洞を選んだのに、なんらかの確証があったわけではない。
足跡もないし、何か目印のようなものが置かれていたわけでもない。
だが――微かに、香りがしたような気がしたのだ。
爽やかに甘い、シルディアの香りが。
ごく弱いものではあったが――そして、どこかに咲いた花の香りかも知れないという可能性を考えつつも――ヴェルクルッドは、それを追った。
「――姫! シルディア姫!」
剣を抜き、鍾乳洞に踏み込みながら、ヴェルクルッドはシルディアを呼んだ。
洞窟内にヴェルクルッドの声が反響するが、それに対する返事はなかった。
「…………」
ハズレかもしれない、と不安がよぎる。
引き返そうかと足を止めたとき――ふわりと、香りがした……気がした。
「…………」
ヴェルクルッドは進むことにした。
三叉路に行き当たった。
念のために足元を調べてみるが、足跡はない。
勘で選ぶしかないかと、三つの道を見渡したとき――その緑色が目に付いた。
「これは……」
ヴェルクルッドはその緑色――葉っぱを、拾い上げた。
鍾乳洞内に、自生する草花の類は見当たらなかった。自然に落ちたものではありえないし、引きちぎられた形跡もある。風で運ばれたと思うには、今ヴェルクルッドが立っている場所は奥に来すぎている。
そして――葉っぱにはまだ、十分な瑞々しさがあった。
「……っ姫……!」
ヴェルクルッドはその葉を握り締めると、葉が落ちていた道を選んで進んだ。




