想いの作用
ヴェルクルッドとグラントを送り出してから、シルディアは約束どおり、部屋に引きこもって過ごしていた。
元々、公に姿を見せることもなく、城下へお忍びで出かける以外は、一日の大半を自室で過ごしていたシルディアだ。行動を束縛された、と思うようなことはない。
「…………」
しかし今、シルディアは溜息をついていた。
行動に不自由はない。だが、思い煩うことはあった。
トレフィナの婚約相手に、良くない噂があったこと。
トレフィナが、ヴェルクルッドに恋していたこと。
ヴェルクルッドが、その想いを拒否したこと。
「…………」
また一つ、シルディアの口から溜息が落ちた。
トレフィナが告白したとき、シルディアはヴェルクルッドの答えを、固唾を呑んで待った。
ヴェルクルッドがどのように答えるのを望んでいたのかは……わからない。
だが、ヴェルクルッドがトレフィナを拒絶したときの感情は覚えている。
トレフィナの泣きそうな顔に胸が痛み――そして、若干の安堵も感じた。
「…………」
今度は溜息と共に、腕に顔を埋めた。
妹の失恋を喜んだことに、シルディアは自己嫌悪に陥っていた。
「……姫様? どこかお悪いのですか?」
「あ……いいえ、違います。少し……」
落ち込んだところで、すぐにセイニーから心配されてしまった。シルディアはパッと顔を上げ――言いよどむ。
「……大丈夫ですわ、姫様! ヴェルクルッド様とグラント様ですもの! きっとすぐに、ご無事にお戻りになりますわ!」
「……ええ、そうですね……大丈夫ですよね……」
シルディアは目を伏せた。
ヴェルクルッドとグラントのことも勿論案じていたが、今シルディアが考えていたのは、己が感情の動向だ。
自分のわがままで二人を派遣しておきながら、その二人を一番に思っていないなんて、と、また自己嫌悪に陥る。
「あ……あの、姫様! お茶に致しません!? そうしましょう! 私、準備して参りますわ!」
暗くなったシルディアの表情に慌てふためいたセイニーはそう提案し、返事を待たずに部屋を飛び出した。
「…………」
部屋に一人になったシルディアは、今度は誰憚ることなく、大きな溜息をついて膝を抱えた。
「…………」
セイニーが戻るまでの短い時間だが、思う存分落ち込んでおこうと膝に顔を埋めたシルディアは、静かな足音を聴いた。
もう戻ってきたのかと、表情を作って顔を上げたところで。
「……シルディア姫」
「っ!? あ、貴方は……どうして、ここに……っ」
予想外の声で呼びかけられて、シルディアは目を見開いた。
螺旋階段の傍に、パラデスが、いた。
「シルディア姫、貴方は私の全てです。貴方無しでは生きていけません。どうか、どうか……」
足早にシルディアとの距離を詰めるパラデスは、その視線をシルディアから僅かも逸らさない。
シルディアは、パラデスとの距離をとりたくて、逃げるように後退した。
「っお、お下がりください、私は、貴方のご期待に応えることは出来ません」
「何故で御座います? 私を使っていただけるだけでよいのです! お傍に置いてくださるだけで……」
一歩の距離はパラデスに分があり、加えて、室内では逃げられるスペースにも限りがある。
シルディアの背が壁に触れ、目前にパラデスが立ち――更に、一歩が踏み出された。
「っなりません……! せ、セイニー、誰か……!」
パラデスの接近を押し留めるように手を構えながら、シルディアは助けを求めた。
その声は、シルディアの部屋を守る女性騎士の耳に届いた。
「シルディア姫!? っパラデス殿! お下がりください!」
女性騎士が、シルディアとパラデスの間に割って入るために駆け寄った。
「私の邪魔をするな!」
「っ!」
しかし駆け寄った女性騎士を、パラデスが抜き放った剣で切りつける。
パラデスの剣が、女性騎士の首元を切った。細くない血の筋が、彼女の服を染めていく。
「っパラデス様……なんて事を……っ」
女性騎士の負傷に息をのんだシルディアであったが、一拍で気を持ち直すと、パラデスに非難を向けた。
隣国の使節団の人間といえど、この暴挙は許し難い。
だがパラデスはシルディアの非難を皆まで聞かず「こちらへ!」と乱暴にシルディアの腕を引っ張った。
「っぱ、パラデス様!? い、嫌です、お離しくださいっ」
シルディアは足を踏ん張って抵抗を試みたが、パラデスはものともせずにシルディアを引きずってしまう。
「っひ、め……!」
女性騎士がパラデスの前に立ちはだかろうとしたが、振られた剣に牽制されてしまい、かなわなかった。
「っく、誰か! 誰か、パラデス殿を止めろ!!」
女性騎士は怪我を押して声を張り上げ、応援を呼んだ。その声を聞いて、警備に当たっていた騎士たちが集まってくる。
シルディアは、駆けつけてくれる騎士たちのために時間を稼ごうと、足を踏ん張って抵抗しながら、パラデスの説得を試みた。
「っパラデス様、どうか落ち着いてください! 貴方様は今、混乱しているだけなのです! このようなことをなさっては、必ず後悔なさいます!」
「いいえ! 私が後悔するのは、ここで姫の手を離すことです! ――下がれ! 姫を傷つけたくなければ、下がれ!!」
パラデスはシルディアに剣を突きつけ、騎士たちを威嚇した。
「く……っ卑怯な!」
シルディアを盾にされては、騎士たちに打つ手はない。集まった騎士たちは、じりじりと包囲網を後退させることしか出来なかった。
シルディアは建物から引き立てられ、脱出のために用意されていた馬に向かって歩かされるが、その間も、パラデスに突きつけられる剣に怯まず、説得を続けていた。
「お願いです……どうか、私のことは諦めてください」
「不可能です! 私のこの胸の想いを、どうして捨て去ることが出来ましょう! どうして忘れることが出来ましょう!」
「っきっと出来ます! しばらく私と会わずに過ごせば、パラデス様はきっと正気に戻られますから、どうか……!」
パラデスの想いは一時的な熱病のようなもの。そう確信しているシルディアは、馬に押し上げられながらも、言葉を重ねた。
「……姫は、今の私が正気でないと思われるのですね?」
「! はい、そうです、パラデス様は、今……」
「ええ。確かに、私は今、貴方様への想いで狂っています」
「っ」
通じかけた、と思った矢先に、熱く、だが昏い瞳で見上げられて、シルディアは息をのんだ。
「私はそれほどまでに、貴方に恋焦がれています。私から貴方を取り上げようとするもの全てを切り伏せる覚悟です」
パラデスの口端が歪につりあがった。
「…………」
シルディアは言葉を失った。
反抗を忘れたシルディアを、馬に乗りあがったパラデスが腕に抱え込んだ。
そしてシルディアの耳元に唇を寄せ、そっと……熱を込めて囁く。
「大人しくしていてください、姫。私から逃げて、それで貴方が他の誰かのものになるというのなら……私はそれより先に、貴方を斬ります」
「……パラデス、様……」
「――はっ!」
パラデスは、立ち塞がる騎士たちをものともせずに馬に拍車をかけた。
「ま、待て、貴様……!」
「な……っ!?」
驚いて棒立ちになるもの、馬の進路から逃げ出そうとするもの、身体を張ってでも止めようとするもの――全ての騎士たちを、パラデスとシルディアが乗った馬は軽々と飛び越えて、その包囲網を突破した。




