魔女の館で 2
金髪の女性は、鎖で引っぱられるがまま、ソファの男に身体を寄せていた。胸に男の顔が埋められても抵抗しない。否、むしろ応えるように、頤が反らされた。
「っリズ!」
その女性の顔をみるなり、ジャックが叫んだ。
「っ何奴!? どうやって入った!? ここが侯爵家の館と知っての――王子の御前と知っての狼藉か!?」
ソファの傍に立つ男――侯爵が振り返り、怒鳴るように誰何した。
「無論、門番を倒して、正面からだ。……しかし、あまり良い趣味とはいえんぞ」
無防備に飛び出しかけたジャックの腕を掴んで引き戻し、グラントが一歩進み出た。
「…………」
ヴェルクルッドは、素早く室内の様子を見渡した。
広間中央にはソファの男――王子と、傍に立つ侯爵。鎖で繋がれた、ジャックの婚約者リズ。
左手前には、リズと同じ薄絹を纏い、首元に鎖をつけられて気だるげに横たわる金髪美女が三人。
そして右手奥には――こちらは鎖のない、それどころか檻にも入れられていないライオンが一頭、寝そべっていた。
「――ふん。大方娘の恋人が、流れの傭兵を連れて取り戻しに来たか。だが……どうだ、お前は村にかえりたいか」
王子は、突然の乱入者に興ざめしたような表情を覗かせつつ――じゃらりと鎖を引いて訊ねた。
「……いいえ、殿下のお傍にいさせてくださいませ」
リズはとろんとした目で王子を見上げ、無気力な声で答えた。
「っ」
婚約者の答えに、ジャックは言葉を失った。代わって高らかに笑い上げるのは王子だ。
「ははははは! 愛い奴だ。さあ、わかっただろう。この娘はお前などに興味はないそうだ。すぐ帰ると言うのならば見逃してやってもよいぞ」
「…………っ」
ジャックは唇を噛み締め、拳を握り――無言ながらも抵抗の意志を見せた。
「ふん、何だその顔は。納得がいかぬか」
鼻で笑った王子だったが、不意に、唇を歪めた。
「――良い、では一つ余興といこう。俺に勝ったら、娘を連れ帰るのを許そう」
「! 本当に……?」
「ああ。俺は寛大だ。お前でも、そこな傭兵でもどちらでもよい。なんなら全員まとめて掛かってきてもよいぞ」
王子はリズを抱きこんでその胸をまさぐりながら、顎でジャックを、グラントとヴェルクルッドをも指した。そして最後に、侯爵にちらりと視線を飛ばす。侯爵は、心得たように恭しく腰を折って応じた。
「っなら……っ」
「――ではまずは俺がお相手しよう」
飛び出しかけたジャックを押し留め、グラントがのそりと進み出た。
「グラント殿」
が、そのグラントを、ヴェルクルッドが呼び止める。
この館に入ってから、グラントの動きはどこか鈍い。本調子でないのなら、自分が代わって戦うと申し出ようとしたのだが。
「お主は、他を警戒しておいてくれ」
「……承知しました」
ヴェルクルッドは頷き、引き下がった。グラントと王子、侯爵の様子は当然ながら、ライオンの動きも窺える場所を確保する。
「あ、あの、騎士様……」
「グラント殿に任せましょう」
「……はい……」
ジャックを宥め、共に立会いにまわる。寝そべっていたライオンが、ゆっくりと身を起こした。
王子は立ち上がり、広間の中央に進んで剣を抜いた。応じて、グラントも剣を抜く。
二人は、同時に剣を振り上げた。
一合、二合と打ち合い、均衡はすぐに崩れた。グラントの優位だ。多少の体調不良など問題にならないくらいに、二人の間には歴然とした差があった。
「……っ」
王子の顔が焦燥に歪む。
「っぐあ!?」
グラントの強い打ち込みに耐え切れずに、王子の手から剣が離れた。
グラントは、すかさず剣を振りかぶり――
「動くな!」
「!?」
侯爵の、突然の制止の声に、グラントの身体が剣を振りかぶった状態で固まった。
「っは、ははっ! 良くやったぞ、侯爵!」
その大きな隙に、王子は体勢を立て直して剣を拾い上げると、グラント目掛けて突き出した。
グラントは、何故か動く様子を見せない。
「グラント殿!?」
「っ!?」
ヴェルクルッドの声に、どこからか水晶を取り出して掲げていた侯爵が、ぎょっとした。
と同時にグラントの身体が辛うじて捻られ、左胸を狙った王子の剣は、グラントの脇腹を斬った。
「ぐうっ」
呻き声を発しながらも、グラントは剣を振り下ろした。
「っ!?」
振り下ろされた剣は、無防備であった王子の肩に食い込み、鮮血が迸った。
「お、王子……! と、止まれ……!」
「っ」
再び、グラントの動きが不自然に止まった。ヴェルクルッドの視界の隅に映るジャックも、驚愕の表情のまま固まって微動だにしない。ライオンも、僅かに身を伏せた体勢ながらも、そこから動こうとはしていなかった。
周りが、まるで時が止まったような不可解な反応を見せる中――ヴェルクルッドは踏み出した。
素早く剣を抜き放ち、侯爵が捧げ持つ、鈍く光る水晶球目掛けて切り上げる。
「!? ひ、ひいっ!? な、何故だ、何故、お前は……!?」
慌てふためく侯爵の手から水晶は転がり落ち、ごとん、と重たい音がした。
ヴェルクルッドは、妙な光を見せて転がる水晶を、足で踏み止めた。水晶は、その輝きを徐々に失っていく。
「……む? ……おお、動くな」
不自然に硬直していたグラントが、手を握り、開き、肩を回す。その様子に、先ほどまでの不調は窺えなかった。
「……う……」
「っリズ!」
小さな声を聞き取って、ジャックが駆け出した。血を流して床に倒れる王子には目もくれず、ソファの傍に座り込むリズの肩を揺さぶる。
「え……ジャック……?」
肩を揺さぶられ、ジャックに名を呼ばれ、次第にリズの瞳に生気が戻ってきた。
「わ、私……どうしてこんなところ……え!? な、何!? この格好!?」
リズは己の格好に気付くと、恥らって身を縮めた。
「……ふむ。不思議なことがあるものだ」
「……グラント殿。何故、あのように無防備に固まられたのですか?」
いくら止まれといわれても、それは敵方の声だ。それでなくとも敵と対峙しているときに動きを止めるなど、自殺行為である。見ていて肝を冷やしたヴェルクルッドの声に非難の響きが混じるのは致し方ない。
「いや、止まるつもりはなかったのだ。だが、何故だか、こう、身体が動かなくなってだな」
「ぎゃ、ぐ、があああっ!?」
「!!」
苦悶の悲鳴に、ヴェルクルッドとグラントは反射的に剣を構えた。
「な……っ」
「きゃ、きゃああああっ!?」
ジャックは声を失い、リズが甲高い悲鳴を上げる。
グラントに肩を切られたものの、命に別状はなかったはずの王子が――ライオンの餌食になっていた。




