魔女の館で 1
グラントの来訪は、尋常で無い様子で部屋に駆け戻ったトレフィナが、そのまま出てこなくなった理由を尋ねるためであった。
その問いにシルディアは、「婚約したくないトレフィナが、ヴェルクルッド様にご協力をお願いしたのですが叶わなかったのです」と説明した。
トレフィナの恋心云々は伏せた。シルディアが勝手に喋っていいことだとは思わなかったからだ。だが、そこを伏せてしまえば、何故トレフィナは己の親衛隊騎士にではなくヴェルクルッドに頼んだのかの説明がつかないのであるが――グラントがそこを追究することはなかった。
納得した素振りで一つ二つ頷くグラントに、シルディアは「トレフィナの婚約相手の王子には、良くない噂があります。その真偽を探るのにご協力いただきたいのです」と依頼した。
それが、主、トレフィナのためであるならば、グラントに断る理由はない。むしろヴェルクルッドの助力は断り、トレフィナ親衛隊だけで事を済ませようと申し出もしたのだが――しかしシルディアは、自分の抱いた疑念がきっかけである手前、グラントらに丸投げするのは気が引けた。勿論、グラントを始めとするトレフィナの親衛隊騎士を信用していないわけでは無いのだが、最後まで協力するのが筋だろうと思ったのである。
ということで、ヴェルクルッドとグラントの二人が、国境を越えて館までやってきた。
「――あちらです」
「――ふうむ、なるほどな」
近くの村で見つけた道案内の青年、ジャックの示す先を見て、グラントは腕組みした。
「……あそこに……っ」
その横でジャックが、館を睨みつけたまま、ぎり、と歯噛みする。
「――気持ちはわかるが、そう逸るな。お主の許嫁は、きっと見つけてみせよう。なあ、ヴェルクルッド」
「はい、グラント殿」
ヴェルクルッドの言葉も添えて、グラントは、肩に力が入っているジャックを宥めた。
ジャックが、地元民が恐れる館への案内を承知したのは、許嫁の女性が行方不明になっているからだった。濃厚な疑いがある場所を調べることが出来ずに歯がゆい思いをしていたところへ、その館を調べたいグラントとヴェルクルッドがやってきた。双方にとって渡りに船のタイミングであった。
三人は隠れることなく、堂々と姿を晒して、館へ近づいていく。
「――止まれ」
そんな彼らを迎えたのは、堀に囲まれた館の唯一の出入り口、桟橋にて仁王立ちする一人の騎士であった。スケールアーマーを着た、体格の良い騎士だ。
「ここより先は、主の許可なく通すわけにはいかぬ」
盾を持ち、鞘に収めた剣を地面に立てて、その騎士は告げた。
威風堂々とした彼に、しかしグラントも負けてはいない。馬から降り、桟橋へと足を踏み出すと、腕組みをして傲然と取次ぎを求める。
「では、その主殿に取り次いでもらおう」
「ならぬ。男は通すなとの厳命ゆえ。――通りたくば、この私を倒してみせよ!」
一言の下に拒絶し、騎士は剣を抜いた。
「よかろう!」
腕組みを解き、グラントも嬉々としてそれに応じた。
剣を引き抜き、まずは真正面から打ち合う。火花が散った。続けて、二合、三合と技ではなく、力の勝負が行われる。
「――っ」
先に身を引いたのは、騎士のほうだった。間合いを取り、剣を構えてはいるものの、その肩は上下に揺れている。
「おや、そこまでか?」
グラントは余裕の笑みを見せた。こちらに呼吸の乱れは見られない。
「――では、そろそろ終わりにするか」
言葉の終わりと同時に、グラントはぐっと加速した。
「っ!?」
グラントの、大柄な身体に見合わぬ急加速に、騎士の身体はびくりと跳ねた。
その隙に、グラントの剣が、騎士の鎧に叩き込まれる。
「ぐっ!?」
騎士の身体は後ろへと弾き飛ばされた。
「……なんと……」
ヴェルクルッドは目を疑った。
グラントの力強さは先刻承知であったヴェルクルッドからしても、今の光景は容易く信じられるものではなかった。
鎧を着た大柄男性を、弾き飛ばすなど。
吹っ飛ばされた騎士の身体は桟橋をすべり、館のドアの手前まで来てようやく止まった。
「…………」
騎士の手からは剣が落ち、ぐったりとして、身を起こす素振りも見えない。完全に気を失っていた。
「お見事です、グラント殿」
「おう、なかなか力強い騎士であったぞ」
ヴェルクルッドの賞賛に頷き返し、グラントは剣を収めた。
「――さて、では進むか、ヴェルクルッド」
「はい」
「え、あ、あの、放っておいていいんですか!? 目が覚めたときとか……」
気絶した騎士の横を頓着なく通り過ぎる二人に、ジャックが慌てた。捕縛しておかなくては、意識を取り戻したときに背後から襲われる危険がある。
しかし、ジャックの危惧を、グラントは笑い飛ばした。
「ははは。なに、奴とて騎士だ。負けた以上、我らの邪魔はせんだろう」
「で、ですけど……っ」
「先を急ぎましょう」
「…………は、はい」
ヴェルクルッドにまでいわれ、結局ジャックは、倒れた騎士を気にしつつも館のドアを潜った。
グラントが先頭を歩き、ジャックが真ん中、そしてヴェルクルッドは最後尾について、館内を進んだ。
「…………」
ヴェルクルッドは館のあちこちに視線を飛ばしながら、不審を抱いていた。
使用人に出くわすかと思ったが、しかしヴェルクルッドたちを出迎える人も、すれ違う人もいない。貴族の館だというのなら、それはあまりに不自然だ。
「……ふむ、なにやらこう、空気が淀んでいるような気がするな」
「? そうですか?」
先を行くグラントが軽く頭を振りながら呟くのに、ヴェルクルッドは首を傾げた。
「あ、実は自分も……なんだか、頭がぼーっとするというか……」
ジャックも頭を押さえて、不安そうに辺りを見回している。
「…………」
しかし、ヴェルクルッドは何も感じない。前を歩くジャックは、明らかにだるそうなのだが。
「グラント殿、」
「――ふっはははは! いや、実に愉快だ!」
「!」
聞こえてきた笑い声に、ヴェルクルッドたちはハッとして顔を見合わせた。無言で頷きあうと、声の聞こえたほうへ足早に進む。
今度は、先の声の主にへつらうような声が聞こえてきた。
「真に。しかし、よろしかったのですか? 確かに美しくはありましたが、あの娘は隣国の王女。プライドの高そうな顔をしておりましたが」
「ははははは。それがいいのではないか! あの高慢な顔が崩れ、この足元に這い蹲るときが楽しみよ!」
「万が一にも、ここへ様子を見に来られては……」
「有り得ぬ。招かれざる客は門前払いであるし、王女はこの館で、俺の虜となる。外へ助けを求めることなど出来ようはずがない」
「例えば、この娘のように、でございますか」
にやにやという表現がぴったりの声に、じゃらりと金属のこすれる音が続いた。
「そう――この娘のように、な」
開け放たれた広間のドアの奥――ソファにだらしなく腰掛ける男が、左手に持って引き寄せる鎖のもう一方は、床に直接座る、薄絹を纏った金髪女性の首元に無骨に絡まっていた。




