隣国の使者 5
「……トレフィナ姫、私は……」
しかしヴェルクルッドは、トレフィナを受け入れるような素振りは見せなかった。
抱き返さない。肩に手も置かない。
ヴェルクルッドがしたのは――シルディアを見ることだけだった。
「――ヴェルクルッド様、義理や柵は考えずに……ただ、貴方様の正直なお心で、お決めください。私はそれを支持します」
ヴェルクルッドの視線を受けて、シルディアはそう告げた。
ヴェルクルッドの主として、トレフィナを受け入れさせることも、拒絶させることも、シルディアには出来た。恐らくヴェルクルッドは、心はともかく、シルディアの望むように行動するだろう。
だが、それでは駄目だ。
トレフィナはヴェルクルッドの愛情を求めている。シルディアの指示で得られた結果では、それはまがい物になってしまう。
「姫……」
「ヴェルクルッド……!」
涙が滲んできらめく瞳で、トレフィナは縋るようにヴェルクルッドを見上げた。
「…………」
ヴェルクルッドは一度目を閉じた後――真っ直ぐにトレフィナを見つめた。
「……トレフィナ姫……申し訳ありません。そのお気持ちにお応えすることはできません」
「っどうして!?」
「私は、シルディア姫の騎士です」
「っお姉様!」
涙声のトレフィナに催促されるまでもない。シルディアはトレフィナに向けて一つ頷くと、ヴェルクルッドを見据えた。
「ヴェルクルッド様。この際、私の親衛隊騎士であることは忘れてください」
誰かの騎士だから、ではない。一人の男性として、一人の女性であるトレフィナをどう思っているかを訊ねているのだ。仕事を理由にさせるつもりはなかった。
「――いいえ、姫。姫をお守りすることが、私の誓い、私の誉れ。忘れることなどできません」
揺るがない瞳と、決然とした声の響き。
「ヴェルクルッド様……」
それが、ヴェルクルッドの嘘偽りの無い気持ちなのだということを思い知って、シルディアは切なくなった。
では――トレフィナの願いは、叶わないのだ。
ヴェルクルッドは、シルディアの親衛隊騎士という立場を忘れてトレフィナの願いを受け入れるほどには、トレフィナをかけがえの無い女性だとは、思っていないのだ。
「ヴェルクルッド……っ」
「……申し訳ありません、トレフィナ姫。私は、貴方様の親衛隊騎士ではありません。そして……貴方様に奉仕を誓う騎士にも、なれません」
ヴェルクルッドは、そっとトレフィナから離れると、深く頭を垂れた。
トレフィナの騎士であったなら、ヴェルクルッドはその願いを、全力を持ってかなえたことだろう。
だが、ヴェルクルッドは、トレフィナの騎士ではない。
「……お姉様が、いるから?」
「――……はい」
トレフィナかシルディアかを選ぶ機会は以前にもあり、そのとき既に、ヴェルクルッドはシルディアを選んでいる。
「……どうして……どうしてよ!? 皆、私を美しいというわ! 私が声をかければ喜ぶし、笑顔を見せれば見惚れるのよ! その私が、あんなに話しかけて、あんなに笑いかけて……! 貴方のためにたくさんの時間を使って、会っていないときでも、貴方のことを考えたのに……!! なのにどうして!? 私のほうが、絶対、お姉様よりずっと貴方を想っているのよ!? 貴方のために出来ることも、きっと、たくさんあるわ!! なのに……なんでっ、ヴェルクルッド! なんで貴方は私を選ばないの!?」
「…………」
ヴェルクルッドは答えなかった。ただ、頭を下げる。
想いが報われないのは、辛いことだ。頑張った人には報われて欲しいと、ヴェルクルッドも思う。
だが、それで偽りの心を捧げても、結果は不幸になるのだろう。
人の心と言うのは――本当に、ままならない。
だからヴェルクルッドは、沈黙しか選べなかった。
「……っ」
何も答えないヴェルクルッドに、トレフィナは唇を噛み締めると――勢い良く身を翻した。
「っトレフィナ……!」
呼び止めるシルディアの声を無視して、トレフィナは部屋を走り出た。それに入れ替わる形で、お茶の用意をしたセイニーが戻ってくる。
「あら、お話はもうお済みになられましたの?」
「…………」
「……ええ。……お茶を、いただけます? セイニー」
頭を垂れたまま無言を貫くヴェルクルッドを、ちらりと見遣ったシルディアは――そっと溜息をついた後、倒れこむように椅子に座ってお茶を求めた。
「…………」
セイニーがいれたお茶を、シルディアは無言で飲んだ。
セイニーが事情を知りたがっている気配には気付いていたが、話す気分にはなれなくて、結果、なんともいえない沈黙がその場を支配していた。
しかし、いつまでもこのままというのも気詰まりであるし――何より、ヴェルクルッドがトレフィナの願いを容れないというのなら、シルディアは当初の予定通り、事を進める必要がある。
「…………ヴェルクルッド様、お願いがあります」
「――は、何で御座いましょう」
ヴェルクルッドが、一拍の間の後に応じた。
間があったのは、恐らく、トレフィナの願いを受け入れろといわれるのを警戒したためだろう。
だが、シルディアの願いはそれではない。
「……例のお邸へ、調査に行っていただきたいのです」
「……! ……ですが……」
例のお邸、というのが、先ほど広場で聞いた邸であることを、ヴェルクルッドは遅ればせながら悟った。
「……お願い、できませんか……?」
「……それが姫のお望みとあれば……しかし、それでは姫の身辺は……」
邸を調査することは問題ではない。ヴェルクルッドは、シルディアの身の安全を気にしたのだ。
「大丈夫です。私は部屋で大人しくしています」
「……城下には、おでかけになりませんね?」
以前のように一人で城下に行かれるのは、ヴェルクルッドの立場的に容認できない。
「はい。ヴェルクルッド様が調査を終えてお戻りになるまで、私はでかけません」
「……承知いたしました」
シルディアの言質を得られたので、ヴェルクルッドは――先のパラデスのことが若干不安ではあったが――その任務を受けた。
「有難うございます、ヴェルクルッド様。……お願いした手前、なんですが……お一人で大丈夫でしょうか……?」
「……そうですね、有事に備えて、信頼のおける連れがあれば安心ではありますが……」
ヴェルクルッドが思い浮かべたのは、まずはエストであった。それから、先輩。他にも数人の顔が浮かんだが、日程も不確かな任務にいきなり引き抜くのは迷惑だろう。
王族直々の命なのだから、それが駄目だといわれるわけはないが、現場に迷惑をかけるのも、やはり気が引けた。
「姫様、グラント様がご面会をご希望です」
二人で人選に苦慮しているとき、セイニーが来客を取り次いだ。
「まあ、グラント様が?」
珍しい――というか、グラントがシルディアを訪問するのは初めてのことだった。
「お通ししてください」
「はい」
「……あら」
セイニーに案内を頼み、そこでシルディアは閃いた。
「姫?」
「……ヴェルクルッド様、グラント様にお願いしてみては如何でしょう」
それが名案と思えて、シルディアは微笑んでいた。
「む?」
丁度そこに、セイニーに案内されたグラントが現れ、己の名を聞きつけて首を傾げた。
「成程……それは妙案です。グラント殿でしたらとても心強いです」
「……何事だ?」
知らぬうちに己の何かが決定した様子に、グラントは腕組みして説明を求めた。




