隣国の使者 4
「姫様!? どうなさいました!?」
シルディアが部屋に逃げ込めば、その常にない様子に驚いて、セイニーが駆け寄った。
「……どうしましょう、セイニー! ……私、使節の方とぶつかってしまって……」
「! まあ、それでは姫様……っ求愛を……!?」
セイニーの顔色が、シルディア同様青くなった。それでもこれだけはと確認するセイニーに、シルディアは弱々しく答える。
「……されて、しまいました……」
「お、お断りになったのですよね!?」
「勿論です! ……ですが……」
矢継ぎ早の質問に、シルディアも打てば響く早さで答えるが――しかし、そこで項垂れ黙り込んだ。
シルディアの懸念に察しがついたセイニーは、努めて明るい声を作った。
「……だ、大丈夫ですよ、姫様! いずれ、お諦めくださいます! それまでは姫様がお会いにならないよう、引きこもっていらっしゃればいいのです!」
「……そ、そうですね……そうですよね……?」
努力空しく、セイニーの声は震えていたのだが――それに気付きたくなかったシルディアは、セイニーの言葉に縋って肯定を求めた。
「はい、大丈夫です……! だって、ヴェルクルッド様もいらっしゃいますもの! 必ず姫様をお守りくださいますわ!」
「……そう、ですね……」
力づけるためにセイニーはいったのだが、しかしその言葉は、シルディアにまた新たな不安を抱かせた。
だが、セイニーがそのことに気付く前に、ヴェルクルッドが到着した。
ヴェルクルッドは早足でシルディアの傍に寄ると、その顔を覗き込み、心を込めて訊ねる。
「姫、お怪我は、ご気分はいかがですか」
「……はい、ご心配お掛けしました……大丈夫です。――ヴェルクルッド様、トレフィナと、お話は……」
シルディアは、弱々しいながらも微笑を作って答え、逆に問う。
「これからですわ、お姉様。――ヴェルクルッド、もうよろしい? なら、どこか二人で……」
シルディアの問いには、丁度部屋に入ってきたトレフィナが答えた。そして、ヴェルクルッドを連れ出そうと促した。
「……ですが……」
ヴェルクルッドはシルディアを見た。
まだ顔が青い。このようなシルディアを残していきたくはなかった。
「あの、私のことはお気になさらないで。本当に、大丈夫ですから……」
「…………」
気分不良にも関わらずトレフィナを気遣うシルディアに、ヴェルクルッドは無言で眉を寄せた。
「――わかりましたわ」
結局、折れたのはトレフィナだった。
「ヴェルクルッドはどうしてもお姉様が気になるようですし……ここでお話させてもらいます」
「え……トレフィナは、それでよいのですか?」
「……構いません。どうせ、お姉様にはすぐに伝わる話ですから」
「そう、ですか……?」
溜息交じりのトレフィナの言葉に、シルディアは首を傾げた。
ヴェルクルッドはシルディアの親衛隊騎士だ。彼の行動はシルディアを中心とするから、確かに無関係ではないのだろう。が、トレフィナは当初、ヴェルクルッドと二人で話をしたがっていた。ならば、それはプライベートな領分の話のはずだ。
「但し、そこの侍女は他所へ」
頭を悩ますシルディアを他所に、トレフィナは昂然と頤を上げ、セイニーに告げた。
「――かしこまりました。お茶のご用意をして参ります」
「……ゆっくりでよいわ」
「承知いたしました」
セイニーは深くお辞儀をして部屋を出た。また、トレフィナに付き従っていた親衛隊騎士も、トレフィナの目配せを受けてセイニーとともに退室する。
「――さて。では……ヴェルクルッド」
「は」
改まって呼ばれ、ヴェルクルッドは短く応じた。背筋は、正すまでもなく伸びている。
「…………貴方に、お願いがあるの」
「――は」
ヴェルクルッドは続きを待った。トレフィナは、ヴェルクルッドの主ではない。親衛隊騎士にとって何より優先されるのは、主の希望である。いくらトレフィナが王族であっても、シルディアの意を無視してまでは聞けない。
それはトレフィナも承知だ。だからか、あるいはまた他の理由があるのか。
トレフィナは、しばらく思いつめたように沈黙し――やがて、意を決したように、ヴェルクルッドを見た。
そして。
「…………私の旅に、同行して」
「――旅、で御座いますか?」
突然の申し出に、ヴェルクルッドは是とも否とも言わず、ただ聞き返した。
シルディアの騎士のヴェルクルッドが、トレフィナの旅に同行するなど、筋違いもいいところである。また、ヴェルクルッドの知る限り、トレフィナに旅行の予定はないはずだった。
「……トレフィナ、貴方に旅行の予定はなかったはずですけれど……何処に行くつもりなのですか?」
「――――大陸が良いと、思っていますわ」
トレフィナは、憮然とした表情で答えた。
海を渡った先にある大陸には、王妃の生国がある。目的地は特に問題なさそうだったが、しかしシルディアは訝しげに眉を顰めたまま、質問を重ねた。
「……何日の予定ですか?」
「……決めていません」
「…………いつから、ですか?」
「…………すぐにでも」
「……」
質問には答えるものの、どこか後ろめたそうな表情のトレフィナに、ヴェルクルッドとシルディアの不審はいよいよ強まった。
「――一体、何を考えているのです、トレフィナ。私たち王族に、そのような気ままな旅が許されると、本当に思っているのですか?」
変装して城下に遊びにいくシルディアである。多少の息抜きならばとやかく言うつもりはなかったが、こんなにもアバウトな旅行計画では諌めないわけにはいかなかった。
「第一、トレフィナ、貴方には今――……っまさか、貴方……」
「ええ、お察しの通りですわ、お姉様!」
ハッとしたシルディアに、トレフィナは開き直って胸を張った。
「私、戻らないつもりです!」
「――トレフィナ……貴方はそこまで、今回の婚約が嫌なのですか……?」
「ええ、嫌です! だってあの王子、何から何まで凡庸ではありませんか! 顔も、剣の腕も! 気の利いた話題も無く、ただ己の自慢話をするばかり! そんな方が、私に相応しいはずがありません! そう、この私に相応しいのは、ヴェルクルッド、貴方なのよ!」
感情を爆発させ、身振り手振りも大きく訴えたトレフィナは、無言のヴェルクルッドに、勢い良く手を差し出した。
「さあ、ヴェルクルッド、私の手を取って、この国から連れ出しなさい! そうすれば貴方は、この私を手に入れることが出来るのよ!」
「…………」
ヴェルクルッドは、目の前に据えられた、良く手入れのされた白い手を見つめた。
そして――笑んではいるものの、真剣な光を湛える、トレフィナの青い瞳を見返して。
「――……申し訳御座いません、トレフィナ姫」
ヴェルクルッドは、頭を垂れた。
「っ私の頼みを、断るというの!?」
ぎり、と歯噛みする音が頭上から聞こえ、差し出されたままの手が、わなわなと震えているのが見えた。
「……申し訳御座いません」
心苦しさに、ヴェルクルッドの胸は塞いだ。
「トレフィナ……」
シルディアも、かける言葉を見つけられずに、おろおろとしている。
「……嫌よ……」
トレフィナの唇から、ぽつりと言葉が落ちた。
「トレフィナ……? っ」
言葉に続いて、その青い瞳から涙が零れ落ちたのを見て、シルディアは衝撃を受けた。
「姫……?」
シルディアの動揺した声を聞いて、ヴェルクルッドが顔を上げる。しかしそのヴェルクルッドの目に飛び込んできたのは、間近に迫ったトレフィナの姿であった。
「…………私を連れて、逃げて」
「っ!?」
泣きそうに顔を歪めたトレフィナの弱々しい懇願に、ヴェルクルッドは目と耳を疑った。
「私は……私は、ヴェルクルッドのことが好きなのです! 他の方と結婚するなんて、絶対に嫌!」
直前の弱々しさが嘘のように、トレフィナは、興奮して力強く暴露した。
「……トレフィナ姫……」
しかし、ヴェルクルッドは困惑することしかできなかった。
ヴェルクルッドは今まで、トレフィナが勧誘に来ていたのは、己に靡かない騎士をなんとか服従させようとしている、いわゆる意地だと思い込んでいた。
だがそれが、恋心ゆえだと告げられて――ただ、困惑する。
トレフィナは、困惑し、立ち尽くすヴェルクルッドに身を寄せ、彼の瞳をじっと見上げた。
「……ヴェルクルッド、お願いよ……」
「…………っ」
トレフィナの瞳は潤み、頬は上気して白い肌を彩っている。ひたむきにヴェルクルッドを見つめるトレフィナには匂い立つような色気があり――それは、横から見ているだけのシルディアにまで、十分すぎるほどに伝わってきた。
「トレフィナ……」
シルディアは、目の前の女性は本当にトレフィナだろうかと思ってしまった。
いつでも自信に満ちて曇りの無い笑みを見せていたトレフィナが、今、ヴェルクルッドの心を求めて、なんと弱々しく、儚く見えることか。
「お願い! 他の人のものになるのは嫌! 私を連れて逃げて!」
目に涙を浮かべたトレフィナは、ヴェルクルッドに抱きつき、彼の胸に顔を埋めた。




