隣国の使者 2
人目を避けるために軽く変装したシルディアとヴェルクルッドは、まずは街の中心にある広場にやってきた。
人の動きに気を配りながら、ヴェルクルッドは訊ねる。
「シンディ嬢、これから何をすればよろしいのでしょうか」
「はい、吟遊詩人の方を探したいのです」
「吟遊詩人、ですか」
辺りを見回しながらのシルディアの言葉に、ヴェルクルッドもまた、それらしい姿を探して視線を巡らせた。
吟遊詩人らしき、楽器を持った旅人の姿は、すぐに幾人か見つかった。
「吟遊詩人でしたら、誰でもよろしいのでしょうか」
ただ単に歌を聞きたいだけなのか、それとも他に特別な用事があるのか。それによって声をかける相手は変わるだろう。
「……本当は、以前お会いした方がよいのですけれど……恐らくもう他所にいってしまわれているでしょうから……隣国からいらした方を。――まずあの方に伺ってみましょう」
「は」
シルディアが示したのは、木陰に座ってハープを鳴らす、若い男の吟遊詩人だった。
早速、ヴェルクルッドが声をかける。
「失礼、吟遊詩人殿」
「はいはい、何かな? おや、お似合いのお二人。僕に愛の歌をリクエストかな?」
ハープをかき鳴らす手を止めてヴェルクルッドとシルディアを見上げた吟遊詩人は、愛想の良い笑顔を見せた。
「あ、あの、いえ、そうではなくて……」
恋人同士に見られたと知ったシルディアは、顔を紅くしてあわあわと手を振って否定した。が、ヴェルクルッドが動じていないのに気付くと、こほん、と一つ咳払いをして仕切りなおした。まだその頬に火照りが残っているのはご愛嬌だろう。
「え、ええと、すいません、どちらからいらっしゃいました?」
「僕? 北から、丘を越えてやってきたところだよ」
この国の北には丘陵地帯があり、丘の向こうに流れている川が、隣国との国境線になっている。この吟遊詩人は、トレフィナに婚約を申し込んだ件の国からやってきたということだ。
「まあ、よかったです。実は、あちらの国のことをお伺いしたいのです。詳しくご存知でしょうか」
「あー、うん。結構長く居たからね。それで? 何を知りたいの?」
隣国のことを持ち出されて、吟遊詩人は微妙な表情を見せた。あまりよい思い出はなさそうな様子だったが、シルディアの問いに答えるつもりはあるようで、手振りで座るように示しながら話を促した。
シルディアが腰を屈めたところで、ヴェルクルッドがすっと動いて、ハンカチを敷いた。
「まあ、すいません、有難う御座います」
ヴェルクルッドに礼を言ってから――シルディアは腰を下し、吟遊詩人に向き直って尋ねる。
「……実は、以前他の吟遊詩人の方に、お隣では、女性の行方不明が相次いでいるとお伺いしたのです。それは本当で――解決はしたのでしょうか……?」
「あー、その話ね。うん、本当に行方不明は多かったよ。……って過去形にしちゃいけないんだよね、まだ」
「――では、まだ解決していないのですか」
「そ。しかも狙いは金髪碧眼の美女ばかり! まったく、もったいないことするよねー」
「……もったいないとは、どういうことですか」
吟遊詩人の言葉にひっかかりを覚えて、ヴェルクルッドが口を挟んだ。
「あ、うん。ええとね、居なくなった人の全員じゃないんだけどね、このまえ遺体で発見されたんだ。川を流れて。しかも、腕が噛み千切られた状態で」
「っ」
「それは何処のことですか」
悲鳴を飲み込んだシルディアの代わりに、ヴェルクルッドは眉を顰めつつも重ねて問うた。
「ええと、ほら、国境の川」
「当然、周辺の捜索はしたのですよね?」
「したって話だけど……どうだろうね。実はね、あの川を遡った先には、古いけど立派な館があるんだ。昔は魔女が住んでたとかっていう曰くつきで、地元民からは忌避されている館なんだけど……そこを、物好きな侯爵が買い取って住み始めてね。しかも、大陸から獰猛なライオンを買って、館で飼っているんだって。これほど怪しいものも他にないけど、自警団程度じゃ中までは調べられなかったって話なんだ」
「では、王の命を持って調べれば……」
「だから、その王様の命令がとれなかったんだって」
ヴェルクルッドの言葉を、吟遊詩人はぱたぱたと手を振って否定した。
「そんな……それでは……」
シルディアの顔が蒼ざめる。
吟遊詩人はあっさりと頷いた。
「そ、王族の誰かに保護されてる。――誰か、なんていってるけど、国の中じゃ第三王子だって皆思ってるよ」
「第三王子様……」
まさしく、トレフィナに婚約を申し込んだその人だ。シルディアは、ぎゅっと胸元で手を握り締めた。
ヴェルクルッドは、シルディアの様子を気にしながらも――事態をはっきりさせるために、質問を続ける。
「……その噂に、信憑性はあるのですか? そんなに素行の悪い方なのですか」
「んー、とにかく女好きって噂でね? それで、その侯爵とも気が合っちゃってるみたいなんだ。女性たちを痛めつけて楽しむ嫌なやつと、いっつも一緒」
「……では、その、遺体で見つかった女性は……」
恐る恐る、シルディアが訊ねた。今度は、吟遊詩人は神妙に頷いた。
「――酷い状態だったって。僕は見てないけど。そういう、噂」
「……そんな……」
「――そんなわけだからさ、ちょっといま、あっちの国は嫌な空気だよ。僕なんかは根無し草だから逃げてきちゃったけどさ。……あそこの人たちは、大変だろうね……」
吟遊詩人は、敢えて明るい口調で話して気分を変えようとしたようだったが、結局、終わりは暗くなってしまった。
「…………」
シルディアとヴェルクルッドも、黙り込む。
すっかり重くなった空気の中、お昼を告げる鐘の音が、常と変わらぬ清澄な音で響き渡った。
「おっと、鐘だ。お昼だね。僕、これから食べに行くけど、君たちはどうする?」
今度こそ気分を切り替えた吟遊詩人は、ハープを袋に入れて背負った。
「あ……いえ、すいません。これから約束がありますので……お話を聞かせてくださって、有難う御座いました。こちら……少ないですけれど……」
「うん、こちらこそありがとう。また何か聞きたいことあったら来てよ。しばらくは歌う子馬亭にいるし、夜は歌ってるからさ」
シルディアが差し出した硬貨を、吟遊詩人は笑顔で受け取って身軽に立ち上がった。
「はい。では、時間があったら歌を聞きにお伺いします」
「うん。じゃあね」
シルディアとヴェルクルッドにひらひらと手を振って、吟遊詩人は去っていった。
吟遊詩人の姿が人ごみに消え、周囲に人もいなくなったあたりで、ヴェルクルッドは静かに呼びかけた。
「――姫」
「……」
シルディアは、無言で首を横に振った。
ヴェルクルッドの言いたいことは察しがついた。だが、それを話すにはこの場はあまりにも無防備すぎるし――時間もない。
「…………とりあえず、帰りましょう、ヴェルクルッド様。……トレフィナが、ヴェルクルッド様にお話があるといっていたのです。――あら、有難う御座います、ヴェルクルッド様」
「いいえ」
立ち上がろうとしたところでヴェルクルッドから手を差し出されたので、シルディアは有難く手を借りて立った。
「しかし、トレフィナ姫が、私に……。改まって、一体なんでしょうか」
「さあ……なんでしょうね?」
ヴェルクルッドとシルディアは、首を傾げあった。




