レインの花 3
ノエルは落ち着きを取り戻したが、その背に座るシンディは、未だ挙動不審だ。
何がそんなにシンディを動揺させたのかはわからなかったが、とにかくヴェルクルッドは、もう少し詳しく話すことにした。
「――私が必要としているのではなく、私の友人に頼まれて、探しているのですが」
「…………まあ」
ヴェルクルッドの言葉を聞いたシンディは、目を瞠り――上品な驚きを見せた後、花が綻ぶように微笑んだ。先ほどまでの表情の硬さと怯えは消えていた。
「そうでしたか、ご友人が。ですが、この時期にレインの花はなかなか入手できません。もしや、初めての機会でしたでしょうか」
「ええ。花屋に予約にいったときには既に受付が終了していました。それでも何とか、自力で野生のレインの花を見つけはしたのですが――」
「では――枯らしてしまわれた?」
「ご名答です」
ヴェルクルッドは苦笑した。
枯れた花に気付いたエストが発した悲鳴は、中々に魂消るものであった。しばらくはそのネタで、皆から散々にいじられることだろう。実際今朝も、からかわれ、貶されていた。
「それは残念でしたね。レインの花には、たっぷりの水が必要です。あと、あまり日に当てるのも良くないのです」
「ああ……では、窓際に置いていたのが良くないのですか。……まあ、もう遅いのですが」
「それで、ヴェルクルッド様が花をお探しに?」
「ええ。友人は、祭り当日を休みにするためにシフトを調整したので、今日は仕事なのです」
ちなみに、そのシフト調整に協力したのが、ヴェルクルッドである。
当初の予定では、祭り当日はヴェルクルッドの休暇日であったのだが、エストに頼み込まれて交換したのだ。
祭り自体に特に思い入れのなかったヴェルクルッドだ。休日の交換くらいはお安い御用であったのだが――今日と言う休日をレインの花探しにあてることになってしまったのは、若干、納得がいかなくもあった。
「泣きつかれたので代わりに探しに来たのですが……しかし、彼が採取した場所には、すでに花はありませんでした」
「そうでしょうね。お祭りは明日です。近隣の群生地は、軒並み採取されていることでしょう」
「……残念ですが、諦めるしかないようですね」
エストの期待を裏切ることになるのは心苦しかったが、ないものは仕方ない。
さて、どうやって諦めさせよう、とヴェルクルッドが考え始めたところで。
「……明日、お時間はおありでしょうか」
「――はい?」
躊躇いがちに訊ねられて、ヴェルクルッドはシンディを見上げた。エメラルドの美しい瞳と薔薇色の唇が、柔らかな笑みを形作ってヴェルクルッドに向けられていた。
「実は私の家にレインの花がございます。よろしければお分けいたしますが」
「それは……そうしていただけると、友人も喜ぶと思いますが……よろしいのですか?」
誰かに贈るものではないのか、と言外に問う。美しく物腰柔らかな彼女に、恋人の一人もいないというのは、少々信じがたかったからだ。
「ええ。香水のために多めに採取しておいたのですが、予定より少ない量で済みました。貰っていただけると、花も嬉しいと思います」
「では――お言葉に甘えて、一輪、お願いします」
「はい、承りました。――ああ、門が見えてまいりましたね」
話が纏まった頃、二人は王都の門を遠目に確認した。
そして丁度同じタイミングで、王都の門近くに立っていた一人の騎士が、二人に気が付いた。
騎士は大きく数度手を振ったのち、待ちきれなくなって駆けだした。
「ヴェルク! どうだった……って何だお前、綺麗な女性を連れて! どこで引っ掛けた!? 俺はレインの花を摘んできてくれと頼んだんであって、女性を連れて来いなんていってねえぞ!? つか、お前には取り巻きの女性がたくさんいるだろうが! まだ足りねえってのか!? この、独り者の敵、去年の俺の敵!!」
ヴェルクルッドの帰りを――というよりは、レインの花を待ち構えていたエストが、シンディに目を留めるなり喚いた。
真っ先にレインの花の首尾を聞かれたのはともかく、続けざまに大声で非難されたのにはヴェルクルッドも不愉快になって、顔を顰めた。
「……人聞きの悪いことを言うな、エスト。閉門に間に合うようお連れしただけだ」
そして言い訳をさせてもらうのなら、ヴェルクルッドは、女性に取り巻かれた覚えはない。エスト曰くの「独り者の敵」になった覚えもないのに、何故かいつも恨み言を言われ、理不尽に思っているくらいだ。
もっとも、それを正直に言うと「これだから鈍感は」と呆れられ、更なる理不尽を感じるのが恒例なので、黙ることにしている。
ということで、ヴェルクルッドはエストを無視してシンディに詫びた。
「……申し訳ありません、シンディ嬢。友人が失礼なことを」
「いいえ、ヴェルクルッド様の人気は私も存じ上げています。……おかげさまで閉門に間に合いました。有難う御座いました」
「お役に立ててなによりです。……よろしければ、お家までお送りしますが」
「……いえ、大丈夫です。お気遣い、有難う御座います」
シンディが緩く首を振ったので、ヴェルクルッドは彼女が馬から降りるのに手を貸した。
その際彼女から、爽やかに甘い香りが、強くたちのぼった。
「……?」
香水というのは、時間が経つとともに香りが薄れるはずだ。
「……ヴェルクルッド様? あの……」
「……あ、ああ、失礼しました。お返しします」
心配げに見上げられて、ヴェルクルッドは我に返った。
彼女が差し出した両手に、篭を渡す。シンディが頭を下げた。
「有難う御座います。……明日、この門までお越しいただけますでしょうか」
「ああ、そのことなのですが、私は明日、街の警邏の任についておりますので……エスト」
「ん? なんだ?」
「こちらのシンディ嬢が、お前にレインの花を一輪、お譲り下さるそうだ」
「え!? それは本当ですか、シンディ嬢!」
「え、ええ……よろしければ……」
ヴェルクルッドの言葉を聞くなり、エストが目の色変えてシンディに詰め寄った。その勢いに怯えたか、シンディは数歩、後ずさった。
「是非! お譲り頂ければ非常に助かります、恩に着ます!!」
「い、いえ、そんな……。あの、では、いつ頃お届けしましょうか」
「あ、彼女との待ち合わせは昼……6の鐘からなので、その前であれば、いつでも結構です! 日の出からだってお待ちしますよ!」
「あ……で、では……5の鐘が鳴る頃、こちらの門前で……よろしいでしょうか?」
「はい!」
太陽が真上になるのが6の鐘であるから、一刻ほど早いことになる。
「では……明日、5の鐘に。それでは本日はこれで失礼致します、エスト様――ヴェルクルッド様」
「お気をつけてお帰りください、シンディ嬢」
スカートの裾を摘んで優雅なお辞儀をして見せたシンディに、ヴェルクルッドは反射的に騎士として礼をとっていた。
「はい、ごきげんよう」
ヴェルクルッドの騎士の礼に、シンディは柔らかな笑みを返して、中央通りの雑多な人ごみに紛れていった。
「……」
「……はあー、綺麗な人だったなあ……」
シンディの後姿を見送るヴェルクルッドの耳に、溜息が届いた。
「…………というか、エスト。お前、恋人がいるだろうが」
確かに、シンディは美しかった。それについてヴェルクルッドに異論はないし、彼自身、彼女のことを好ましく思ったのも事実であるが、エストがそれをいってはいけないだろう、と突っ込みをいれる。
「いや、そうだけど! でもほら、美人は美人じゃん!? それに……なんか、すっげーいい匂いしたしさあ。なんか、もう、めろめろ? こう、官能的で甘い……」
「……官能的?」
彼女の香りを思い出しつつ身をくねらす友人から若干距離を取って、ヴェルクルッドは首を傾げた。ヴェルクルッドが感じたのは、爽やかな甘さだ。官能的と爽やかさは同居しないと思われる。
「……まあ、彼女は色々な花を持っていたからな」
恐らく別の花の香りを嗅ぎ取ったのだろう、と一人納得する。
「…………しかし……」
だが、思えば彼女には最初から、ちょっとした違和感があった。
彼女は、高貴な女性のはずだ。触れた手は労働を知らない、よく手入れのされた、綺麗でたおやかなものだった。薄い青の長衣はシルク素材で、くるぶし丈の白いマントには、繊細な模様の縁取りがされていた。そして、最後に見せたお辞儀は――並みの令嬢では及びもつかないほど優雅であった。
だというのに、供の一人もつけずに、街の外に出ていた。上流階級のご令嬢には連れが居て然るべきであるのに。
「…………まあ、いいか」
問い詰めるほどの疑問ではない。大事なのは、レインの花を譲り受けることが出来るという事実だ。
「……いや、良くないのか?」
大騒ぎで人に花探しをさせたくせに、たった今シンディに目移りしたようなエストを少し冷たい目で見やってから――軽く首を振りつつ、ヴェルクルッドは帰路に着いた。