隣国の使者 1
舞踏会が終わった、数日後。私室で寛いでいたシルディアの元に、血相を変えたセイニーが飛び込んで来た。
「姫様! 大変です姫様!」
「まあ、セイニー、どうしました?」
おっとりと問い返すシルディアに、セイニーは「はいっ」と短く元気良く返事をした後、ぎゅっと拳を握り。
「――トレフィナ姫様に、婚約のお申し込みがございました!」
間をとると、高らかに報告した。
「まあ……!」
「それは真ですか、セイニー嬢」
シルディアが上品に驚き、その傍に控えていたヴェルクルッドが事の真偽を訊ねる。
「はい! 侍女仲間に聞きました! 隣国の第三王子様からですわ!」
「……第三王子様……?」
シルディアが小首を傾げた。
「姫? いかがなさいましたか」
「……いえ、あの方に関する噂を聞いたことがあったかと……」
「あ、それでしたら私もございます。何でも、子供の頃からの婚約者様はご病気でなくなられ、結婚なさった方は事故でなくなったというお話ですわ」
「それでは、トレフィナ姫は後妻と言う形に?」
「はい、そうなりますわ」
「…………」
ヴェルクルッドの確認にセイニーが頷く。その二人を他所に、シルディアはまだ考え込んでいた。
「――しかし、急な話ですね。そのような話が持ち上がっているとは、今まで聞いたことがありません」
王族の婚約話というのは、大体が十分な根回しがされるものだ。今回のように、寝耳に水の勢いで齎されるのは稀といえた。
ヴェルクルッドの感想に、セイニーが大きく頷く。
「はい、それがですね、数日前に、舞踏会がありましたでしょう?」
「ええ」
「あれに、第三王子様がお忍びでご出席なさっていたそうなのですけれど、その時、トレフィナ姫様をご覧になって、一目ぼれなさったというお話ですの!」
「……なるほど、そうでしたか」
トレフィナは美人と評判だ。実際ヴェルクルッドも、トレフィナを美しいとは思う。一目ぼれする人間がいても不思議だとは思わなかった。
「――それはもう、お父様とお母様に、正式にお話があったということなのですか?」
「はい。どうなると思われますか、姫様!」
「……そうね。……お尋ねしてみましょう」
「お供いたします」
シルディアが席を立つ気配を見てとったヴェルクルッドは、素早くその椅子を引いた。
「ありがとうございます、ヴェルクルッド様」
ヴェルクルッドのそつのないエスコートに、シルディアは微笑みながら礼を言って立ち上がった。
「私は嫌ですわ! お父様!」
「おうおう、そうか。そうだよなあ。隣国へ嫁ぐなど、トレフィナには辛いだろう」
「……」
ヴェルクルッドを部屋の入り口で待たせ、シルディア一人が奥まで進めば、婚約を強く拒否するトレフィナと、それに阿る王の声が聞こえてきた。
「陛下、そういってトレフィナのいうことをなんでも聞くのは感心いたしません」
「わわ、悪かった、妃よ。……こほん、ええとだな、トレフィナ。ここは一つ前向きに……」
王は、眉を顰めた王妃の諫言によって、容易く意見を翻した。が、その変わり身の早さは、今に始まったことではない。
トレフィナは、態度を変えた王ではなく、王妃を睨みつけた。
「っお母様は、どうしていつも私のすることに反対なさいますの!?」
「それは、貴方の態度が王族として相応しいと思えないからです」
「私のどこが王族として相応しくないと仰いますの!? 部屋に引きこもっておいでのお姉様より、よっぽど……!」
「遊び呆けてお金を無駄遣いしている貴方より、あの子のほうが余程民を思っていますよ。いくつかの慈善事業にも携わっています」
「っお母様は、いつもいつもお姉様のことばかり……!」
「……」
しばらく事の成り行きを黙ってみていたシルディアであったが、それ以上は親子喧嘩に発展しそうだと感じ、割って入ることにした。
「――お父様、お母様、トレフィナ。失礼致します」
「っお姉様!」
「おお、シルディア」
シルディアの登場に、トレフィナは驚いて振り返り、王は、ほっとしたように笑みを零した。王妃は特に大きな反応は見せずに、シルディアを迎え入れる。
「どうしましたか、シルディア」
「……トレフィナの婚約のお話は、本当でしょうか」
「ええ、本当です」
「…………お受けになるのですか?」
「嫌ですわ!」
間髪いれずに主張したトレフィナに、王妃はちらりと、物言いたげな視線を送ってから――溜息をついて、シルディアの問いに答えた。
「…………とりあえず、使者殿には返事を待っていただいていますが……そうね、一度お帰りいただくことになるでしょう。改めて審議し、その後の決定になります」
王制ではあるが、貴族たちの意見も無視はできない。まして、国家間の結婚は今後の政策と密接に関係する。すぐに答えの出る問題ではなかった。
王妃の順当な方針に、王は細かく頷いた。
「う、うむ。それがいい。とにかく、返事は先延ばしにしてだな」
「いっそ今すぐ、お断りしてください、お父様!」
「う、うむ……そうしたいのはやまやまなのだが……なあ?」
トレフィナを猫可愛がりしている王は、トレフィナを手元に置いておきたい気持ち満々なのだが、しかし王妃の機嫌を損ねることが、王には一番怖かった。
窺う視線の王は敢えて視界から閉め出し、王妃はシルディアに訊ねる。
「……シルディア、貴方はなにか気になることがあるのですか?」
「……いいえ。……また動きがありましたら、お知らせください」
王妃の問いに、シルディアは――迷った末に、頭を横に振った。王妃も、シルディアの迷いには気付いたが、問いただすことはせずに引く。
「……わかりました。貴方も、何か気付くことがあったら知らせてください」
「はい。では――失礼致します」
優雅に淑女の礼をし、シルディアが身を翻したところで、「……お姉様!」と、躊躇った末のようなトレフィナの声がかかった。
「何ですか?」
「……その、ヴェルクルッドは……」
「? 部屋の外に居ます」
いつもの、自信に溢れたトレフィナとは雰囲気が違った。そのことに内心首を傾げながらも、シルディアは答えた。
「…………あとで、彼とお話をさせてください」
「わかりました」
改めていわれたことにも、違和感を覚える。トレフィナは、舞踏会が終了してから、再び頻繁にヴェルクルッドを訪ねるようになっていた。
今日だって当然その予定だろうと、シルディアは思っていたのだが――どうやら、いつもの訪問とは少し違うことになりそうだ。
「ああ、ですが、これから少し、部屋を留守にします。昼過ぎでもよいでしょうか」
「……ええ、有難う御座います、お姉様……」
「……では、また後程」
らしくなくしおらしいトレフィナに、シルディアは、今度は実際に首を傾げ――だが追究は後回しにして、退出する。
部屋から出たシルディアは、入り口で待っていたヴェルクルッドに、すぐに声をかけた。
「ヴェルクルッド様」
「は」
「……少し気になることがあります。街に出ますので……」
「御意。お供いたします」
「はい、お願いします」
ヴェルクルッドの察しの良い反応が心地よくて、シルディアは知らず、微笑んでいた。




