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二人でダンス


 舞踏会を控えた城内は、その準備に追われて慌しい空気に包まれていた。

 

 「――姫は、ご出席なさらなくて本当によろしいのですか?」

 

 忙しく行きかう人々を窓から見下ろした後、ヴェルクルッドは、刺繍をしているシルディアを振り返って訊ねた。

 

 「はい。人ごみは苦手ですから。……何より、ダンスは……人に触れなくてはなりません」

 「……左様で御座いますか」

 

 寂しげな微笑を浮かべるシルディアの言葉に、ヴェルクルッドは目を伏せた。

 シルディアは、引きこもり姫と言う評判どおり、相変わらず人前に出ない。公式に姿を見せたのは、ヴェルクルッドの任命式が最後だ。

 

 ――とはいえ、城下へは何度か下りている。香水の先生の元へ行ったり、ただ散歩をしたり。人ごみは苦手と言うが、街をそぞろ歩くときには、人波を縫って進むこともする。

 一体、シルディアがどんな基準を持って動いているのか、ヴェルクルッドにはさっぱりわからなかった。

 

 「ヴェルクルッド様こそ、ご出席なさらなくてよろしいのですか? 私が行かないからと言って、遠慮はなさらないでください。私は部屋に居ますので、女性騎士様たちが護ってくださいますし、大丈夫ですから」

 「いえ。私は舞踏会に参加したいとは思っておりません。お気遣い、有難う御座います」

 

 シルディアの心遣いに、ヴェルクルッドは丁寧に礼をした。

 嘘ではない。むしろ今の状態がずっと続けばいいとすら思っている。

 何故なら、この舞踏会の準備のために、トレフィナの訪問が減ったからである。

 

 全くなくなったというわけではない。今でも、数日に一度は顔を出してヴェルクルッドの参加を促してくるのだが、ヴェルクルッドはシルディアの護衛を名目に丁重に断り続けていた。

 

 何しろ、誘いたい相手がいるわけでもない。ならば舞踏会に出ても、楽しみなことはあまりない。むしろ、トレフィナに絡まれる危険がある。そう何度も、女性の面目を潰すようなことはしたくなかった。

 

 「そうですか? セイニーは出席するのですけれど……」

 「本当に、お気持ちだけで」

 

 遠慮していないかと上目に窺うシルディアに、ヴェルクルッドは柔らかく微笑みかけた。

 

 

 舞踏会が始まって、どれくらいの時間が経っただろうか。下の広間からは、軽快な音楽が漏れ聞こえてきていた。

 

 「――ふふ、今頃、セイニーとエスト様は楽しんでいるのでしょうね」

 「そうですね」

 

 楽しげなシルディアの言葉に、ヴェルクルッドも微笑を浮かべて頷いた。

 畏れ多いと恐縮しながらも、シルディアのドレスを借りて綺麗になったセイニーと、騎士の礼服でかっちりと決めたエストは、中々にお似合いのカップルであった。

 

 ――ただし、お互いに好意を持っていてのカップリングなのか、ただ単に、舞踏会に参加したいけれどパートナーはいない、あら丁度いいところにあぶれものが、という理由のカップリングであるのかは、はっきりしていないのだが。

 

 「♪」

 

 シルディアは椅子に座って目を閉じ、下から聞こえてくる音楽に耳を傾けている。リズムに乗って身体が揺れている。

 どうやらシルディアは、ダンスが好きらしい。

 ならば――ヴェルクルッドがすることは一つだ。

 

 「姫、私と踊っていただけませんか?」

 

 ヴェルクルッドは完璧な所作で、シルディアをダンスに誘った。

 

 「……まあ、ヴェルクルッド様……」

 

 シルディアは、目を瞬いた。

 躊躇った時間は短かった。

 

 「――はい、喜んで」

 

 花が綻ぶように微笑み、シルディアはヴェルクルッドの手に、そっと手を重ねた。

 ヴェルクルッドはシルディアを椅子から立ち上がらせると、踊るスペースを確保するため、部屋の中央に進む。

 

 そして改めて向かい合った二人は、示し合わせるでなく――だが同時に、一歩を踏み出した。

 アップテンポの三拍子のリズムに合わせて、二人は軽快に飛び跳ね、踊る。

 踊りながら、シルディアがヴェルクルッドを見上げた。悪戯っぽい微笑が覗く。

 

 「……ふふ、ヴェルクルッド様、驚いていらっしゃいます?」

 「……正直申しまして……はい」

 

 心を見透かされて、ヴェルクルッドは白状した。

 シルディアは引きこもりであり、セイニー曰く、男性恐怖症である。

 ならば、いくらレディの嗜みとはいえ、男性とのダンスは慣れていないだろうと思っていた。

 だがシルディアはヴェルクルッドの予想をあっさりと覆し、慣れた様子で、余裕の笑みすら浮かべて踊りこなしている。

 

 「実は女性騎士の方にお相手いただいて、練習だけはたくさんしたのです」

 

 女性騎士は、舞踏会のときには特殊な立ち位置になる。

 淑女としてドレスでの参加は勿論だが、騎士の礼服で、男性の立場で女性をエスコートすることも許されている。つまり女性騎士は、ダンスの女性パートも男性パートも踊れることが求められるのだ。

 その練習に、シルディアは混ざったのだ。姫としてではなく、シンディとしてだったが。

 

 「そうでしたか……とても、お上手です」

 

 窓から差し込む柔らかな月光を浴びながら、楽しげに、そして飛び跳ねることすら優雅に見せるシルディアは、幻想的なほどに美しかった。

 

 「ふふ、有難う御座います。ヴェルクルッド様もとてもお上手でいらっしゃいます」

 「騎士たるもの、ダンスの一つもできないようでは、と従士時代に叩き込まれましたので」

 

 従士とは、騎士になる前の見習い職だ。指導騎士につきっきりで、騎士の何たるかを教わる。ヴェルクルッドを指導した騎士は由緒ある貴族の出であったため、特にそのあたりの礼儀作法は徹底して教え込まれたのだ。

 

 「まあ、そうでしたか。では、私はその方に感謝しなければいけませんね。こんなに楽しい時間を過ごせているのですから」

 

 頬を上気させたシルディアが微笑む。

 朱に染まった頬は、ダンスのせいか、あるいは――否、それがどのような理由にせよ、瞳をきらきらと輝かせ、頬を染めてヴェルクルッドを見上げるシルディアは、他の何よりも美しく、ヴェルクルッドの心を強く捉えた。

 

 「――姫……」

 

 それ以上の言葉が出てこない。

 シルディアが纏う、爽やかに甘い香り。それが、今まで以上に強く感じられた。

 むせるような、だが、決して不快ではなく――むしろもっと、と望むような香り。

 

 シルディアのエメラルドグリーンの瞳に、吸い込まれるような心地がした。

 紅をさしているわけでもないのに薔薇色を保つ唇はふっくらと柔らかそうで――それに触れたい、味わいたい、と思った。

 身分だとか、礼儀だとか、そういう理性的なものは何故だか思い浮かばず、ヴェルクルッドはシルディアに顔を寄せていた。

 

 「っ」

 

 急に近づいたヴェルクルッドの端正な顔に、シルディアは目を瞠り、身体を強張らせた。

 その身体の硬直が、ダンスの流れを止めた。シルディアとヴェルクルッドのステップがずれたのだ。

 

 「あ……っ」

 「っ姫!」

 

 倒れそうになったシルディアを、咄嗟にヴェルクルッドが抱き寄せる。

 ぐっと腕を引き、腰を抱え、シルディアの身体がヴェルクルッドと密着する。

 シルディアの転倒を防げたことに、ヴェルクルッドは心の底から安堵して溜息をついた。

 

 「……」

 

 布越しに、互いの体温が感じられる。呼吸で胸が上下するのも――その少し早めの鼓動も、伝わってくる。

 自分の腕の中に姫がいる。

 その暖かさや柔らかさが、嬉しくて、心地よくて、幸せで。

 

 立ち上る爽やかに甘い香りに誘われるように、ヴェルクルッドはシルディアに唇を寄せて――そこで、気がついた。

 腕の中にいるシルディアの柔らかな身体が、硬直していることに。

 心なしか、顔も蒼ざめているようだ。

 

 そう気付いてしまえば、つい最前までヴェルクルッドを動かしていた甘い感情は、吹き飛んだ。

 シルディアの身体を腕の中に閉じ込めたまま、そっと――囁くように、問う。

 

 「……姫?」

 「っは、はい!? あ、ああの、すいません、有難う御座います、ヴェルクルッド様っ」

 

 耳元で囁かれたシルディアは、びくりと身体を跳ねさせると、慌てて腕を突っ張ってヴェルクルッドの腕から逃れた。

 ヴェルクルッドも――その体温が離れていくことに寂しさを感じたけれど――無理に引き止めることはしない。

 

 「……す、すいません。無作法なことをしました……あ、あの、も、もうダンスも十分楽しませていただきました。もう、夜も遅いですので、その」

 「――畏まりました。では、私はこれで失礼させていただきます。ごゆっくり、お休みくださいませ」

 

 しどろもどろになったシルディアを見て、ヴェルクルッドは男性恐怖症が発症したのだろうと解釈した。

 ダンスが出来ただけでもよしとしなければと、身を引いて丁寧に礼をする。

 

 「は、はい。ヴェルクルッド様も……おやすみなさい」

 「はい、有難う御座います。失礼致します」

 

 もう一度礼をして、ヴェルクルッドは退出した。

 


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