憂鬱な訪問 4
ユファの元を辞して城に戻った後、ヴェルクルッドは早速行動を開始した。
セイニーに相談し、エストを誘い――そして、夕暮れを物憂げに眺めるシルディアに、声をかけた。
「姫、よろしければこれから、姫のお時間をいただけないでしょうか」
「……? はい。なんでしょう?」
「有難う御座います」
シルディアの了承を得たヴェルクルッドは礼をし、「では――セイニー嬢」と、傍に控えていたセイニーを呼んだ。
「はい! さあ姫様、こちらでお召しかえを!」
待ち構えていたセイニーが、うきうきと動き出す。
「え? セイニー?」
戸惑いながらもシルディアは、セイニーに言われるがままにを着替えを済ませ、仕上げに青いヴェールを受け取った。
「さあ、これで髪の色は分かりませんわ!」
「……ええ、そうでしょうけど……?」
シルディアは、髪を完全に覆うヴェールに触れ、着替えた服を見回した。
いつも街に下りるときに着る服よりも、感触がざらついていた。
「申し訳御座いません、姫様。少し着心地がよろしくないでしょうけれど……ですがそれが、一般市民の服でございますので……」
「まあ……これが? ……では、私が今まで用意してもらった街用の服は、良いものだったのですか?」
「はい。姫様がお召しになるのですもの。デザインは市民用ですけれど、生地は良いもので御座いました」
「まあ……そうでしたか。……でも、どうして、これを?」
「ふふふ、それはこれからのお楽しみですわ!」
悪戯気に笑ってセイニーは、シルディアをヴェルクルッドの待つほうへ誘った。
「姫。よくお似合いです」
「あ、ありがとうございます」
微笑んだヴェルクルッドに率直に褒められて、シルディアは照れた。ここ数年、引きこもり生活をしていたせいで、男性からの賛辞に免疫がなくなっていた。
恐縮するシルディアに、ヴェルクルッドは笑みを深くしたが、すぐに礼儀正しくシルディアを促した。
「それでは、ご案内いたします」
「は、はい」
頷き、シルディアは歩き出す。セイニーも、シルディアの後に続いた。
「……あの、ヴェルクルッド様……こちらは……」
しばらく無言で歩いていたシルディアであったが、城門に近づくにつれて、その足は重くなっていた。
「ご安心ください、姫。危険なことは何もありません」
ヴェルクルッドは、シルディアが何を不安がっているのかは察していたが、敢えてそこには触れずに微笑みかけた。
「……いえ、そのような心配は……していないのですけれど……」
シルディアは俯いた。
身の危険は心配していない。だが、心も無事とは限らないのだとは……言い出しかねた。
断固拒否するのも躊躇われて、結局流されるように城門を潜ったところで、男が一人立っているのに気がついた。
「お、来たな、ヴェルク! ……っと失礼しました、シルディア姫。お待ちしておりました」
その男――エストは、ヴェルクルッドを認めるなり陽気な声をかけた。ヴェルクルッドに対してはくだけた物言いのエストであったが、流石にシルディアには改まってお辞儀をする。
「まあ……エスト様」
「はい、ご記憶いただいて光栄です。さあ、ここからは俺がご案内しますよ! あ、街に出ますので、すいませんがシンディ嬢として対応させていただきますね!」
「え? あ……はい、是非」
エストの言動は、馴れ馴れしいといってもいい。無礼者、と叱ることも出来ただろう。
だがシルディアは、展開の速さに戸惑いはしても、それを不愉快と感じることはなく、むしろ歓迎して頷いたのだった。
人々は基本的には、日が沈んだら眠る。というのも、太陽が沈んだら蝋燭以外に光源がないからだ。その蝋燭もタダではなく、十分な光源を得ようと思えば相当数が必要になる。余程の理由がないかぎり、寝てしまうのが普通だった。
とはいえ、夜に全ての人間が眠りにつくわけではない。警備の人間は勿論夜通しだが、飲食店も、蝋燭一本分くらいは夜間も営業する店が多い。
歌う子馬亭もその一つである。
「はい、いらっしゃい! おや、ヴェルクルッド様にエスト様――と……」
笑顔で男二人を迎えた女将は、続いて現れた青いヴェールの女性の顔を見て固まった。
固まった女将に、しかしヴェルクルッドとエストは常と変わらぬ挨拶をする。
「こんばんは、女将さん」
「俺、いつものよろしく!」
「…………」
「あ、お嬢様! あちらの席が空いてますわ!」
女将の硬直に気付いたシルディアが、恐縮するように身を縮めたが、セイニーが素早く話しかけて気を逸らせた。
「お、セイニー嬢目ざとい! じゃ、そこにしよう! さあ、シンディ嬢も!」
すかさずエストがそれに乗って席を確保し、皆を手招く。
シンディ嬢、という呼びかけに、そばにいた客たちのいくらかが反応した。「シンディ」と交流のあった人々だ。それまで陽気だった場に、奇妙な静寂が広まっていく。
「……ちょいと、ヴェルクルッド様! こんなところに……!」
「女将さん、俺がお連れしたのは、シンディ嬢ですよ」
「え……?」
「確かに俺は、シルディア姫の親衛隊にしていただけたけれど、今は仕事外。シンディ嬢と侍女のセイニー嬢をご案内しただけです」
言外に、今まで通りシンディとして扱って欲しいといい、ヴェルクルッドは片目を瞑って見せた。
「…………」
女将は、呆気に取られてヴェルクルッドを見、次いで、不安気に辺りに視線を配っては俯くシルディアを見て――大きく一つ頷いた。
「……よっし! シンディちゃん、店で食べてってくれるのは初めてだろう! どうだい、何か気になるメニューはあるかい!?」
「え……女将さん……?」
唐突な、女将の陽気な語りかけに、シルディアは驚いて目を瞬いた。
そんなシルディアに笑みを深めて、女将は重ねて訊ねる。
「そうだ、この前のブイヤベースは気に入ってくれたかい?」
「あ……はい、とても美味しかったです。あの容器も珍しくて……いつまでも熱々で、驚きました!」
「そうかい! それは良かった……といいたいところだけど、あれのせいで、火傷したんだって? 大丈夫だったかい? すまないことをしたねえ」
申し訳なさそうに眉を下げた女将に、シルディアは慌てて手を振った。
「い、いいえ、お気になさらないでください。あれは私が不注意だったのです。温かいうちに美味しくいただけて、本当に嬉しかったのですから」
「お嬢様の肌にも、痕はもう残っていませんから、大丈夫ですよ」
「そうかい、それなら安心したよ。――さあ、それじゃあブイヤベースは勿論だけど、何か適当にもってきていいかね? お詫びと夜初来店の記念に今日は私がおごるよ!」
「まあ、いえ、お気遣いなく、」
「お、女将さん、太っ腹ー!」
どん! と胸を叩いて気前の良いところをみせた女将に、シルディアは遠慮したが、エストが便乗した。
「じゃあ上等のワインも忘れずに頼むよ!」
「おや、エスト様は別会計だよ!」
「ええ!?」
差別反対! と訴えるエストに、女将は「ははは!」と豪快に笑う。
「ああ、マリーヌいいところに! さあ、シンディちゃんのために一曲歌っておくれ!」
そして女将は、料理の手配にいく途中、ちょうど二階から降りてきたマリーヌに言いつけて、厨房に姿を消した。
「え? シンディちゃんって……ええ、母さん!?」
困ったのはマリーヌだ。
母が馴れ馴れしくシンディちゃんと呼んだ相手は、お姫様である。
しかもマリーヌは、昼に会ったときに無礼を働いてしまったのではないかと、思い返しては肝を冷やしていたところだった。
「ちょ、ま、えええ」
「…………」
戸惑うマリーヌの様子に、女将のおかげで浮上したシルディアのテンションが下がっていく。
勿論それを、ヴェルクルッドが見過ごせるわけがない。
ヴェルクルッドは、あわあわしているマリーヌを宥めるように、優しく微笑みかけた。
「マリーヌ嬢、是非、一曲お願いします」
「ヴェ、ヴェルクルッド様……」
ヴェルクルッドの微笑みに、マリーヌは見惚れた。パニックすら収まって、けれど胸はどきどきと高鳴っている。どきどきしすぎて気絶しそう、とも思った。
――が、マリーヌは、これでも歌のプロだと自負している。
一曲を求められたなら、その期待に応えるのがプロだ。
「わ、わかりました。それじゃあ――バラッドの二番を」
愛用のハープをぽろろん、とかき鳴らし、呼吸を整えると、マリーヌは優しく切なく、歌い始めた。
それは、片想いの歌だった。思う相手から難問をかけられ、それをクリアできたら恋人にしましょうといわれる歌。
ぽろん、と余韻を残してハープの音が消えれば、惜しみの無い拍手が送られた。
「さっすがマリーヌちゃん!」
「片想いを歌わせたら天下一だね!」
「しかも想い人目の前だから、いつも以上に胸にくるぜ!」
「っちょっと! 余計なこといわないでよ!!」
常連の酔っ払いたちに囃し立てられ、マリーヌは顔を真っ赤にして言い返したが、その反応もまた、酔っ払いたちにとってはいい肴だ。
シルディアが姿を見せてから緊張気味だった場が、いつもの陽気な空気に戻っていく。
そしてその、皆の笑顔や楽しい気分は、シルディアにも伝染した。
「はい、お待ち! さあ、いっぱい食べてっておくれ!」
「――はい、有難う御座います、頂きますっ」
曇りのないシルディアの笑顔。
待ち望んでいたそれを目にしたヴェルクルッドは、深い喜びを抱いて微笑んだ。




