憂鬱な訪問 3
「――何をそんな悲壮な顔をしているんだい? シンディや」
「! 先生……!」
決意をしたものの、不意打ちで相手が現れるのはやはり動揺するものだ。
「……あ……その、」
シルディアは何度か口を開きかけたが、結局言い出せずにいた。
そしてそのうちに老婆のほうが、シルディアの後ろに控えるヴェルクルッドに目を留めた。
「おや、お前さんが、第一王女の騎士様になったひとだね?」
「――はい。ヴェルクルッドと申します。お目にかかれて光栄です、ご婦人」
「おやおや、ご婦人、なんて呼ばれると照れてしまうねえ。私のことはユファと呼んでおくれ」
ヴェルクルッドの丁重な挨拶に、シルディアの先生――ユファは、目元を緩めてそういった。
「畏まりました、ユファ殿」
「……あの、先生、私……」
「ああ、立ち話もなんだから、中へお入り。彼を親衛隊に召し上げた経緯を、ゆっくり聞かせておくれ」
「先生……やはり、もう、ご存知だったのですね……。今まで黙っていて、申し訳ありませんでした」
ユファの口調にシルディアを責める響きはなかったが、謝罪はしなければならないと、シルディアは深く頭を下げた。
「聞かれなかったことを話さなかっただけで、何を謝ることがあるんだい? シンディ。身分がどうあろうと、お前は私の愛弟子だよ」
「先生……」
ユファの気遣いはとても嬉しかったが、シルディアは素直に喜べなかった。
聞かれなかったら話さなくていいという理屈は、この場合当てはまらないと思えたからだ。
そんな、納得いかない様子のシルディアに、ユファは重ねていう。
「大体ねえ、お前は私を見くびっているよ」
「え……?」
「お前が身分の高いお嬢さんだってこと――いいや、王女だってことは、言われるまでもなく気付いていたさ」
「先生……では、どうして……」
「人には話したくないことの一つや二つ、あるものさ。勿論、私にも、四つや五つ、いや、六つや七つはあるねえ」
「先生……」
ユファのおどけたものいいに、ようやくシルディアの顔が綻んだ。傍で黙ってやり取りを見守っていたヴェルクルッドは、そのことに安堵する。
「さあ、お入り、二人とも」
「はい、先生」
「失礼致します」
改めて招かれて、シルディアとヴェルクルッドは応じた。
ユファは、シルディアとヴェルクルッドのためにお茶を入れた。お茶をしながら、シルディアが経緯を説明し終わったところで、今度はシルディアからユファへの質問が始まる。
そもそも今日は、シルディアが香水調合の先生であるユファに相談するのが目的であったからだ。
続けて実践のために、シルディアとユファが作業室に向かう。二人についていこうとしたヴェルクルッドであったが、関係者以外立ち入り禁止と断られてしまった。
危ない作業はないというシルディアの言葉もあって、ヴェルクルッドは一人、お茶をしながら待つことになった。
そして、待つことしばし。
作業室から、ユファだけが出てきた。
「――さて、あの子のほうはまだもう少し掛かる。ヴェルクルッドや。お茶のお代わりはどうだい?」
「有難う御座います、頂きます」
特製ハーブティーなのか、ユファがいれてくれたお茶は美味しかった。有難くお代わりを貰って香りと味を楽しんでいると、その様子を見守っていたユファが「……ふうむ」と意味ありげに呟いた。
「……? どうなさいましたか?」
カップを置いて、ヴェルクルッドは訊ねた。
「……いいや。なあ、ヴェルクルッド。お前さん、あの子のことはどう思う?」
「素晴らしい方だと思っています」
ヴェルクルッドは即答した。
ユファは、その言葉に僅かに目を細め、重ねて聞いた。
「それは、見目がかね?」
「勿論、外見もお美しい方ですが……心も大変お美しく、お優しい方です」
栗色の髪も、エメラルドグリーンの瞳も、白い肌も、薔薇色の唇もとても美しい。
だがそれは、シルディアの思いやりに溢れた心が伴ってこその輝きだと、ヴェルクルッドは思っていた。対して、シルディアの妹であるトレフィナ。彼女の容姿は誰の目にも美しく映る完璧な美貌と評判であるが――しかし、彼女の性質がそれを曇らせていると、ヴェルクルッドには思えてならなかった。
「ふむ。……あの子の騎士になれて、幸せかね?」
ヴェルクルッドの答えに満足したのか、ユファは、質問を変えた。
「はい。心からの忠誠を、捧げております」
一度断られたくらいでは諦められなかった。
十度断られても、諦めなかっただろう。
そしてもし、百度断られたのなら――シルディアの公認は諦めて、己の中でのみ誓ったことだろう。
「……あの子の、力になってくれるんだね?」
「無論です。この身の全てをかけて、お守りする所存であります」
一片の迷いもなく、ヴェルクルッドは言い切った。
ユファは、断言したヴェルクルッドの目をじっと覗き込み――満足げに息を吐いた後、微笑んだ。
「――それなら私からいうことはない。……いや、一つだけ、アドバイスしておこうかね」
「是非、お願いいたします」
シルディアを守るために必要なことならば、どんな些細なことでも把握しておきたい。
ヴェルクルッドは是非にと頭を下げた。
「シルディアから、香水を渡されたね?」
「はい」
「それを、切らすことのないように。そうだね、突発的な事態に備えて、小瓶に少し移して持ち歩くのがいいと思うよ」
「…………何故、と、お聞きしてもよろしいでしょうか」
親衛隊採用条件といい、今回といい、何故香水に拘るのかが不可解だった。
単純に、嫌いな香りは傍におきたくないからかと思ったこともあったが――常に持ち歩けといわれるのは、やはり普通ではない。
「訊ねられても、私は答えないよ。あの子の過去にも関ることだからね。必要と思えば、あの子が話すだろうさ」
「……わかりました」
好奇心は抑えて、ヴェルクルッドは頷いた。
シルディアは、暴力事件に巻き込まれて以降、公には姿を見せなくなった。
セイニーも、シルディアは男性恐怖症だと言っていた。
シルディアの心の傷が癒えていないのなら、その傷口を押し広げるような真似はしたくない。してはいけないのだと、己を戒める。
「……なかなか潔ぎがいいねえ。――まあ、あの子の場合、怖気づいてなかなか喋らないかもしれないがね。そんなときは、ちょっと強引に出てみるのも手だよ。……おや、アドバイスが二つになってしまったね」
二つ目のアドバイスはユファの予定外だったようだが――それは、ヴェルクルッドに、あることを決意させた。
「――確かに、承りました。肝に銘じておきます」
心から感謝して――ヴェルクルッドは、シルディアが作業室から戻るのを待ち受けた。




