憂鬱な訪問 1
「――ですから私は……」
トレフィナの、得意げな声が止まらない。
臣従礼が無事に終わればトレフィナも諦めるだろうと予想していたが――甘かった。
トレフィナは臣従礼以降も、頻繁にシルディアの元に顔を出した。勿論、目当てはヴェルクルッドである。
「…………」
シルディアとヴェルクルッドは、トレフィナの話を聞き、相槌も入れながら、そっと視線を交し合った。
――二人の意見は同じだった。トレフィナの訪問に、困っているのである。
シルディアは、別にトレフィナを嫌っているわけではない。妹であるし、幼い頃は仲が良かったことを思えば、最近は遠ざかっていた妹が遊びに来てくれるのは嬉しくもある。
しかし、それも程度の問題だ。二日とあけずに来て、長く語っていかれるのには、困り始めていた。
ヴェルクルッドのほうは、何故自分の同席を求められているのだろうと、不思議に思っていた。そして、折々に意見を求められるのにも困っていた。
何しろトレフィナが振ってくる話題は、美容、宝石、ドレスに恋の噂話。基礎的な部分は嗜みとして知っていても、トレフィナが言及するような一級品にはあまり縁がないからコメントに困るし、中でも、恋の噂話はその最たるものだ。エスト曰く「鈍感野郎」のヴェルクルッドが、何を言えるというのか。
「これだけの誓いを捧げられたのは、私ぐらいなものよ」
そういってトレフィナが誇ったのは、トレフィナに奉仕の誓いを捧げた騎士の多さだ。
奉仕の誓いは、心に決めた女性に、己の栄誉を捧げること。己の全てをかけて愛するという誓いであり、この誓いを行ったものは、誓いを捧げた相手としか結婚を許されない。
つまりトレフィナは、「私と結婚できないのなら、生涯独身を貫く覚悟のものたちが、こんなにもいるのよ」と己の魅力を自慢しているのである。
「……トレフィナ……貴方はそれを全て受け入れたのですか?」
「え……? ――当たり前ではないですか。見返りはいらない。愛することだけを許して欲しいといわれたのです。断る理由がどこにあります?」
シルディアの声に非難の響きを感じたトレフィナは一瞬動揺を見せたが、しかしすぐに恥じることはないとばかりに、胸を張って言った。
確かに、見返りなどいらない、愛することだけを許してもらえればそれでいい――そういう気持ちでなければ、奉仕の誓いをするものではないと戒められている。それが伝統的な奉仕の誓いの精神である。
「……貴方は、その中の一人以外を、全員、生涯独身とさせるのですよ」
通常、複数から誓いを捧げられた場合、本命以外は受け入れを拒否するものだ。女性が誓いを拒否すれば、誓おうとした男性は、いずれ他の女性に求婚し、家庭をもつことが許されるからだ。
なのにトレフィナは、捧げられた誓いを全て受諾し、成立させてしまった。
シルディアは、そのような、人の未来を制限するようなことを、認めたくはなかった。
「……それでもいいと、彼らは言ったのです。その覚悟があるからこその、誓いでしょう? ねえ、ヴェルクルッド」
「…………はい、トレフィナ姫。仰せの通りに御座います」
「……ヴェルクルッド様……」
同意を求めるトレフィナの言葉に、ヴェルクルッドは不本意ながらも頷いた。シルディアの悲しげな視線が胸に痛かったが、しかし誓いの解釈においては、トレフィナの意見のほうがヴェルクルッドの解釈に近いのだ。
生涯愛する覚悟、その人以外とは添い遂げないという揺ぎ無い意志がない限り、奉仕の誓いをするべきではない、というのがヴェルクルッドの認識だった。
――もっとも、そのヴェルクルッドの認識は、エストに言わせれば「古い!」のであるが。
実は奉仕の誓いには、抜け道がある。
魔法が確実に存在した昔は、誓いを破ることでペナルティが発生したが、しかし――神も魔法も妖精も遠ざかった今、この誓約は、「本気で貴方に求婚します」という意思表示以上の意味はない。断られたら生涯独身、の縛りは有効だが、それを無視したからといって魔法的な罰が下ることはない。
確かに、奉仕の誓いを行えば、その相手以外とは結婚が出来ないのだが――それは、法的に、という意味である。正式な結婚が出来ないにしても愛人をつくるのは黙認されているし、子供の誕生も過去に多くの例がある。
それを考えれば――トレフィナに奉仕の誓いを行ったものたちは、第二王女の結婚相手として、出世目当てに名乗りをあげたのだろうと推測できる。
例え結婚相手に選ばれなかったとしてもトレフィナの覚えは目出度いだろうし、内縁の妻と家庭も持てる。成算は低いが、メリットは、デメリットよりも大きいのだ。
「うふふ、流石はヴェルクルッド。よくわかっているわね」
トレフィナは上機嫌に笑った。
そう――笑うトレフィナは、捧げられた誓いは、ただ己が魅力のみで勝ち得たものだと信じ込んでいる。
確かに、美貌にしろ、彼女が生まれ得た身分にしろ、それがトレフィナの魅力であることには違いない。
「…………」
――しかし、と目を伏せながら、ヴェルクルッドは思う。
もし、トレフィナ姫が王女でなかったら。
捧げられた誓いは、どれほどだったろうかと。
「――ねえヴェルクルッド。貴方は、どのような女性に奉仕を誓うのかしら?」
ヴェルクルッドがそのようなことを考えているとは知る由もないトレフィナが、絡め取るような、甘ったるい声で訊ねた。
「……私は……」
問われ、ヴェルクルッドは知らず、シルディアに視線を向けていた。
「…………」
しかしシルディアは悲しげに俯いていたので、ヴェルクルッドの視線に気付かない。
「っ! いいえ、答えなくていいわ」
ヴェルクルッドを注視していたトレフィナは、己の不利を敏感に感じ取るなり、急いで引いた。
「男性たちが誓うのは、それに相応しい女性に決まっているものね。多くの誓いを受けた女性の素晴らしさ、まさかわからないはずがないでしょう。……今日のところは、これで失礼するわ。――お姉様、ヴェルクルッド、ごきげんよう」
最後に、誓いを多く捧げられた己は誰より魅力的なのだと念を押してから――トレフィナは、足早に部屋を出て行った。
「…………」
「…………」
トレフィナの足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなってから――シルディアとヴェルクルッドは溜息をついた。
図らずも溜息が重なったことに、二人は軽く驚き、顔を見合わせると弱々しく笑いあう。
「……申し訳ありません、ヴェルクルッド様。トレフィナが……ご迷惑をお掛けして……」
「いいえ、そのような……。しかし……何故トレフィナ姫は、こちらにお越しになるのでしょう?」
「……まあ、ヴェルクルッド様、お気づきではなかったのですか?」
本気で首を傾げたヴェルクルッドに、シルディアは驚いて眼を丸くした。
「? 何をで御座いましょう」
「あの子は、ヴェルクルッド様からの奉仕の誓いを望んでいるのです」
「……それは……まさか、そのような」
ヴェルクルッドは戸惑った。
トレフィナにはむしろ嫌われているのだろうと思っていたヴェルクルッドにとって、それは予想だにしていなかった答えだった。
「……既に多くの方の誓いを受諾してしまっているあの子ですが……もし、ヴェルクルッド様の御心があの子をお望みなのでしたら……どうぞ、誓ってあげてください」
「――いいえ。申し訳ありませんが、それはないと思われます」
シルディアの言葉に、ヴェルクルッドは己でも意外なほどあっさりと、答えをだしていた。
どんな人に誓いを捧げるのか、という問いの答えは持ち合わせていなかったが、少なくとも、トレフィナに誓いたいとは思えなかったのだ。
そう、きっと、臣従の誓いを拒否したくなるような相手では有り得ないのだろうと、それだけは確信に近く感じていた。




