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貴方に忠誠を


 ヴェルクルッドは鏡に映った己の姿を見た。

 純白のシャツは勿論、その上にきっちりと着込んだ白い騎士服と灰色の脚衣にも、汚れと皺は一つもない。靴は磨き上げられている。

 

 問題ないことを確認したヴェルクルッドは、仕上げに、傍に置いておいたガラス瓶を手に取った。中の液体を少し、手首につける。更に、それを伸ばすように、自らの首筋にも塗る。

 そうするようにと、指示されていた。

 ふわりと、森の香りが舞った。

 

 「ヴェルクルッド様、準備はよろしいですか?」

 「セイニー嬢。ええ、済んでいます」

 

 階段を上ってきたセイニーの姿を鏡越しに認めて、ヴェルクルッドは振り返った。

 

 「ああ、素敵ですわ、ヴェルクルッド様! 騎士の礼服がとてもお似合いです!」

 「有難う御座います」

 「ええと、香水も、ちゃんとつけてくださいました?」

 「はい、勿論」

 

 セイニーの確認に、ヴェルクルッドは頷いた。

 香水――たった今ヴェルクルッドが使用した香水は、シルディアから下賜されたものである。

 

 トレフィナが逃げるように帰って行ったあの日、シルディアは、ヴェルクルッドを条件付で親衛隊に採用すると告げた。

 その条件が、シルディアの傍に控えるときは、忘れずにこの香水を使用すること、であった。

 シルディアの騎士になりたいヴェルクルッドは、その条件を呑んだ。

 どうやって説得しようかと頭を悩ませていた矢先に、実に簡単な条件が提示されたのだ。これを了承しないわけがない。

 

 何故そのような条件を、と思わないでもなかったが、シルディアがその理由を語りたくない様子であったので、質問しなかった。念願叶うヴェルクルッドにとって、それは些細な問題でしかなかった。

 

 「では、そろそろお時間で御座いますので、広場のほうへお願いします」

 「了解しました」

 

 セイニーに促されて、ヴェルクルッドは部屋を後にした。

 

 

 儀式は、野外に特設された舞台にて行われる。

 年に一度の騎士叙任の場である。人々の注目度は高く、祭り同様の盛り上がりを見せていた。

 たくさんの観客が、賑やかにその時を待っている。

 やがて、トランペットの音が突き抜けるように響いた。

 始まりの音を聞いた観客が一際ざわめき、そのざわめきを、音楽隊の演奏が押し流す。

 新しく騎士になるものたちが姿を見せるに至って、音楽をかき消すほどの歓声が巻き起こった。

 

 緊張気味の新人が一通り並んだ後に、親衛隊に任命される騎士たち――ヴェルクルッドのほかは二名だけだった――が続き、全員が並び終えたところで、頃合よく、音楽は終わった。

 そして一拍の間を取った後、トランペットが力強くファンファーレを奏でた。

 王族の登場だ。

 

 真っ先に現れたのは、王だ。金糸を織り込んだチュニックに、鮮やかな緋色のマントと、装飾された靴。金と宝石で輝く王冠を被った王が、王妃の手を取って笑顔で進む。

 対する王妃は、ワインレッドのロングドレスと緋色のマントだ。スカート部分に繊細なプリーツが施されて、優美なシルエットを作っている。王と揃いの王冠を被り、身につけたアクアマリンのイヤリングとペンダントが煌いていた。

 

 続いて現れたのは、栗色の髪の若い女性。ベージュ色のマントに、白のロングドレス。ガーネットが輝くチョーカーを身につけ、同じガーネットのドロップ型イヤリングが、静かな動きに合わせて揺れている。

 美しい――だが、見慣れぬ女性の登場に、観客たちからは歓声よりも戸惑いの声が漏れた。

 

 いつもならば、ここで現れるのは、豪華に装ったトレフィナである。国王夫妻の後、第二王女トレフィナの先に立てる女性といえば、それは――滅多に公式行事に顔を見せない、第一王女でしか有り得ない。

 その認識が観客たちの間に浸透するころには、シルディアだけでなく、トレフィナまでもが壇上に上がっていた。

 

 トレフィナは、金糸を織り込んだ、目の覚めるような青いドレスに、大粒ルビーのペンダントとイヤリング、そして指輪にブレスレットと、いつも以上に気合を入れて着飾った姿あったが――その、いつもならば憧憬と賞賛の的になるであろう衣装も、シルディア登場のインパクトには勝てなかった。

 

 「…………っ」

 

 トレフィナは悔しさに唇を噛み、睨むようにシルディアを見たが、しかしシルディアはその視線に気付かない。目を伏せて、静かに椅子に座っている。

 ざわめきが収まらないながらも、儀式は始められた。そのうちに観客たちも、本来の主役である騎士たちに注目する余裕を取り戻したようで、相応しい厳粛さの中で式は進行した。

 

 「汝、ここに騎士の誓約をたて、祖国を守るため、戦うことを誓うか」

 「はい、陛下。私は、愛する祖国のために、勇敢で従順な騎士として、いついかなるときも、身命を賭して戦い抜くことを神にかけて誓います」

 

 新人騎士の宣誓の後、王が剣の平で、騎士の肩を三度叩く。そしてその剣を騎士に授け、騎士は下賜された剣を携えて下がる。それが、新人の数、繰り返された。

 

 「――よろしい。以上で、本日の騎士叙任は終了である。続いて、親衛隊の任命式を執り行う。――シルディア」

 「はい」

 

 父王に呼ばれ、シルディアが立ち上がった。

 観客から漏れた、一つ一つは小さなささやきが、重なってざわめきと化して会場を伝わる。

 

 「――ヴェルクルッド」

 「は」

 

 ざわめきの中にあっても聞き逃すことなどない、凛とした声に名を呼ばれ、ヴェルクルッドは進み出た。

 壇上に上がり、シルディアの前、膝を置くクッションが据えられたその場所に両膝をつき、胸元で両手を組んで頭を垂れた。

 

 「貴方は、私の臣下となることを、心から希望しますか」

 「はい。私は、シルディア姫の忠実なる騎士となることを、心より望んでおります」

 「――貴方の望みを、聞き入れましょう。汝、ヴェルクルッド。王国騎士たる貴方を、現王グレモールが第一子である私、シルディアの親衛隊騎士として任命いたします」

 

 シルディアは一歩を詰めて身を屈めると、ヴェルクルッドの手を包み込むように、己の手を重ねた。

 白くたおやかな手に優しく触れられて、ヴェルクルッドは、嬉しさと気恥ずかしさとを感じた。

 が、それに囚われているわけにはいかない。

 ヴェルクルッドは凛と顔をあげると、シルディアの、美しいエメラルドグリーンの瞳を見つめた。

 

 「は。この栄誉に恥じぬ働きを、必ずや遂げてごらんに入れます――我が主」

 

 そして、シルディアの瞳を見つめたまま、その柔らかな手に、そっと唇を落とす。

 ふわりと、薔薇の香りがした。

 

 「……」

 

 ヴェルクルッドの唇が離れたところで、シルディアのほうから手が引かれた。

 離れていくぬくもりに若干の寂しさを覚えたが、それを表情や態度に表すようなことはしなかった。

 ヴェルクルッドは、右手を胸にあてた。

 シルディアを見上げて、締めくくりの誓いの言葉を紡ぐ。

 

 「シルディア姫。私、ヴェルクルッドは、他の何人でもなく、ただ貴方様のみに絶対の忠誠を捧げます。貴方様の勇敢なる騎士として、いつ、いかなるときも身命を賭する用意のあることを、この神聖なる宣誓を持って誓います」

 

 望んだ主に、公然と誓えることの喜びを噛み締めながら、ヴェルクルッドは、美しいシルディアを見つめた。

 

 「…………」

 

 ヴェルクルッドのひたむきな視線に、シルディアは僅かにたじろいだ。が、動揺は押し留めて鷹揚に一つ頷くと、身を翻した。

 ヴェルクルッドは立ち上がり、席に戻るシルディアの後に続く。親衛隊に任命されたヴェルクルッドは当然、シルディアの席の斜め後方に立つのだ。

 

 「…………」

 

 シルディアとヴェルクルッドの誓いの儀式――その神々しさに、観客からは溜息の反応しか出てこなかった。

 やがて、ぱらぱらと拍手が起こり――それは万雷となって、新しい主従の誕生を祝福した。式の途中でこのような拍手が巻き起こるのは、異例である。

 

 「……っ」

 

 鳴り止まない拍手の中、トレフィナは、表情を崩さないようにするので精一杯で――ぎり、と奥歯を噛み締め、膝元ではドレスを握り締めて一人、耐えていた。

 


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